Go to full page →

第25章 タラントの正しい用い方 COL 1312

本章は、マタイ25:13~30に基づく COL 1312.1

キリストは、オリブ山上で、ご自分がこの世界にもう1度来られることについて、弟子たちに語られた。そして、キリスト再臨の切迫を示す前兆をあげて、目を覚まして、用意しているように弟子たちにお命じになった。キリストは、くり返して、「だから、目をさましていなさい。その日、その時が、あなたがたにはわからないからである」とおおせになった。そして、キリストの再臨を待つということは、何を意味するかを、お示しになった。それはただ漫然と待つことではなくて、勤勉に働いて、時を過ごすことであった。主はそのことをタラントのたとえで教えられた。 COL 1312.2

「また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には5タラント、ある者には2タラント、ある者には1タラントを与えて、旅に出た」と主は言われた。 COL 1312.3

遠い国へ旅に出た人とは、キリストのことである。キリストは、このたとえを語られた時、まもなくこの地上から天へ帰ろうとしておられた。「僕ども」、つまり、奴隷は、キリストの弟子たちのことである。わたしたちは自分自身のものではない。わたしたちは、「代価を払って買いとられた」もの(Ⅰコリント6:20)、しかも、それは「銀や金のような朽ちる物によったのではなく、きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである」(Ⅰペテロ1:18、19)。これは、「生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである」(Ⅱコリント5:15)。 COL 1312.4

すべての人類は、この無限の代価を払って買われたのである。神は、この世界に天の全資産を傾けること、すなわち、キリストにあって、全天をわたしたちに与えることによって、すべての人の意志、愛情、知能、魂を買い取られたのである。信者であるとないと問わず、すべての人は、神の所有である。すべての者は、神のために奉仕するように召しを受けているのであって、それに対する彼らの態度いかんによって、大いなる審判の日に、決算をしなければならないのである。 COL 1312.5

ところが、このような神の要求を、すべての人が認めているわけではない。たとえの中で、キリストの僕たちといわれている人々は、キリストに奉仕することを、受け入れたことを公言する人のみをさしている。 COL 1312.6

キリストに従う者は、奉仕をするためにあがなわれた。主は、奉仕が人生の真の目的であることをお教えになった。キリストご自身が、勤労者であられて、彼に従うすべての者に、神と人類に仕えるという、奉仕の法則をお与えになる。ここで、キリストは、彼らがこれまで考えもしなかったところの、人生に対する高尚な見方をお示しになった。他のための奉仕に生きるということは、人をキリストに結合させる。奉仕の法則が、わたしたちを、神と同胞とに結びつける鎖となるのである。 COL 1312.7

キリストは、その僕たちに、「自分の財産」、つまり、神のために用いるべき何物かをお与えになる。キリストは、「それぞれ仕事を割り当てて」おられる。すべての者は、天の永遠の計画の中に自分の占めるべき場所があるのである。だれでも、魂を救うために、キリストと協力して働かなければならない。天の住居の中に、わたしたちの場所が確実に用意されているのと同じように、わたしたちがこの地上で神のために働くべき場所が、定められているのである。 COL 1312.8