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親切な心と愛情 COL 1324

親切心、情け深い心、霊的理解の速やかなことなどは、尊いタラントである。こうしたタラントの持ち主には、重い責任が負わされている。これは、みな神のご用のために用いなければならない。ところが、ここで誤っている者が多い。彼らは、そのような特質を持っていることに満足し、それを他のために活発に働かせようとしない。何かの機会があり、また境遇に恵まれれば、大いなる善事をすることであろうと、自ら満足している。彼らは、機会を待っている。彼らは、貧しい人に、わずかの金を恵むのをさえ惜しむ人々の狭量さを軽べつして、このような人々こそ、利己的生活をしている人で、タラントの誤用に対する責任を負うべきであると考える。彼らは、自分たちをこのような狭い心の人々と比較して、自分たちのほうが、これらのいやしい心の隣人よりは良い状態にあると感じて、満足感にひたる。ところが、彼らは、自分を欺いている。よい特質を持ちながら、それを用いないこと は、それだけ責任が重い。 COL 1324.7

大きな愛の心を持っている者は、単に友人ばかりでなくて、助けを必要とするすべての者を愛する義務が負わせられている。社会的に有利な地位もまたタラントであるから、それを、わたしたちの感化の及ぶ限りの人々の幸福のために用いなければならない。わずかの者にだけ親切にするのは、愛ではなくて、利己主義である。それは、どう見ても、人々を幸福にし、神に栄光を帰すものにはならない。こうして、主から与えられたタラントを活用しない人は、彼らが軽べつしている人以上に、罪深いのである。あなたがたは、主の意志を知りながら、それを果たさなかったという宣告が、この人々には、下されることであろう。 COL 1325.1