ヘブル人の捕囚の1人であったネヘミヤは、ペルシャの宮廷で栄誉ある有力な地位を占めていた。彼は王の給仕役として、自由に王の前に出ることを許されていた。彼はその地位、また才能と忠誠のゆえに、王の友また助言者となっていたのである。しかし、王の恵みにあずかったネヘミヤは、華やかさの中にありながらも、彼の神と彼の民とを忘れなかった。彼はエルサレムに深い関心を寄せた。彼の望みも喜びも、エルサレムの繁栄と結びついていた。神はネヘミヤを用いて、祖先の地にいる神の民に祝福をもたらそうとご計画された。彼はペルシャの宮廷で、召された働きに対する準備を与えられたのである。a@愛国者ネヘミヤは、選ばれた都エルサレムに試練の時が来たことを、ユダからの使者から聞いた。帰還した民は、苦難と屈辱に遭っていた。神殿と都の一部は再建されたが、復興事業は妨害され、神殿の務めは邪魔された。そして人々は、都の城壁がまだ大半は荒廃したままなので、常に警戒していなければならなかった。 PK 619.24
ネヘミヤはあまりの悲しさのために、食べることも飲むこともできなくなった。彼は「泣き、数日のあいだ嘆き悲しみ、断食し」た。彼は悲しみの中にあって天の神の助けを仰いだ。「わたしは……天の神の前に祈っ」たと彼は言った(ネヘミヤ1:4)。彼は 自分の罪と、民の罪とをありのままに告白した。彼は神がイスラエルの事業を支え、彼らの勇気と力を回復し、ユダの荒れ果てたところを建設する援助を賜わるように嘆願した。 PK 619.25
ネヘミヤは祈っているうちに、信仰と勇気が強められた。彼の口には聖なる抗議が満たされた、彼は今、神の民が神に帰ったにもかかわらず、弱いままで圧迫されているならばどんな不名誉が神に投げかけられるかを指摘して、神が約束を成就なさることを求めた。「しかし、あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの戒めを守って、これを行うならば、たといあなたがたのうちの散らされた者が、天の果てにいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住まわせるために選んだ所に連れて来る」(申命記4:29~31参照)。 PK 620.1
この約束は、イスラエルがカナンに入る前に、モーセによって彼らに与えられたものであって、その後幾世紀間にわたってなんの変更もなかった。今神の民は、悔い改めと信仰をもって神に立ち返ったのであるから、神の約束は間違いなく果たされるのであった。 PK 620.2
ネヘミヤは彼の民のために、しばしば心を注ぎ出したのであった。しかし今、彼が祈った時に、彼の心には聖なる決意が起こった。もし王の許可が与えられ、器具と材料を手に入れるのに必要な援助が与えられるならば、ネヘミヤ自身がエルサレムの城壁の再建事業に着手し、イスラエルの国家的勢力を回復しようと決心した。そして彼は、王の前で彼に恵みが与えられて、この計画が実施されるように主に願い求めた。「どうぞ、きょう、しもべを恵み、この人の目の前であわれみを得させてください」と彼は嘆願した(ネヘミヤ1:11)。 PK 620.3
ネヘミヤは4ヶ月間、王に願いを申し出る絶好の機会を待った。その間、彼の心は重く悲痛であったが、王の前では努めて快活にふるまっていた。豪華けんらんたる宮廷では、すべての者が快活に幸福そうにしていなければならなかった。王に仕える者の顔には、心配の色が影を落としてはならなかった。しかし、ネヘミヤが王の前から退いていた時には、人の目にこそ見えなかったが、多くの祈りと告自と涙が神と天使たちに聞かれ、目撃されていた。 PK 620.4
愛国者ネヘミヤの心の悲しみと重荷は、ついに隠しておくことができなくなった。眠れぬ夜と、苦労の多い日々の疲労が彼の顔にあらわれた。王は自分の身の安全を用心深く守っていたので、顔色を読み変装を見破ることに慣れていた。そして王は、彼の給仕役が心ひそかに悩んでいることを察した。「あなたは病気でもないのにどうして悲しげな顔をしているのか。何か心に悲しみをもっているにちがいない」と王はたずねた(ネヘミヤ2:2)。 PK 620.5
ネヘミヤはこの質問に、大いに恐れを感じた。王は、ネヘミヤが表面は王に仕えていながら、その心ははるか遠方で苦難の中にある彼の民のことを考えていたことを聞いて、怒るのではなかろうか。 PK 620.6
ネヘミヤは命を絶たれるのではなかろうか。エルサレムの勢力を回復しようとする彼の宿願は、覆されそうになったのであろうか。彼は、「そこでわたしは大いに恐れ」たと書いている。彼は震える唇と涙にうるんだ目をもって、悲しみの原因を王に申し上げた。「わたしの先祖の墳墓の地であるあの町は荒廃し、その門が火で焼かれたままであるのに、どうしてわたしは悲しげな顔をしないでいられましょうか」(同2:2下句、3)。 PK 620.7
エルサレムの状態を語ったことは、偏見をいだかせずに王の同情を呼び起こした。「それでは、あなたは何を願うのか」という次の質問は、ネヘミヤが長い間待っていた機会であった。しかし神の人ネヘミヤは、アルタクセルクセス王よりも大いなる神の指示を仰ぐまでは、あえて返事をしなかったのである。彼は王からの援助を必要とする、聖なる任務を成し遂げなければならなかった。そして彼は、王の承諾を得てその援助を受けることは、彼がこの事をいかに王に申し上げるかに、大いにかかわりがあることを自覚した。「わたしは天の神に祈っ」たと彼は言った(ネヘミヤ2:4)。ネヘミヤはその短い祈りによって王の王のみ前に出て、川の水を変えるように人の心を 変えることのできる力を、自分の味方にしたのである。 PK 620.8
緊急の時にネヘミヤが祈ったように祈ることは、他の形式の祈りをすることが不可能な場合に、キリスト者が用いることができる方法である。人込みの中で労苦しながら仕事をしている人々は、神の導きを祈り求めることができる。海陸の旅をする人々も、大きな危険にさらされる時に、このようにして天の神の保護に身をゆだねることができる。突然困難や危機が訪れた場合には、彼を信じる忠実な者の呼ぶ声に答えて、いつでも来て助けるとみずから約束なさったかたの助けを呼び求めればよいのである。人はどんな環境、どんな状態のもとにあっても、悲しみと労苦に圧倒され、あるいは誘惑に激しく襲われる時に、契約を守られる神の尽きない愛と力に、確証と支持と援助を見いだすことができるのである。 PK 621.1
ネヘミヤは王の王へのあの短い祈りの中で、宮廷での務めから一時解放されることを、アルタクセルクセスに申し出る勇気が与えられた。そして彼は、エルサレムの荒廃したところを築き上げ、エルサレムをふたたび強力な防備をもった都にする権限が与えられるように求めた。この願いは、ユダヤ民族の運命を左右する重大なものであった。「わたしの神がよくわたしを助けられたので、王はわたしの願いを許された」とネヘミヤは言っている(同2:8)。 PK 621.2
ネヘミヤは彼の求めた援助が確保されたので、慎重に用心深く、その企てを成功させるために必要な準備を進めた。彼はそれを達成させるために役立つと思われる手段は、何1つ怠らなかった。彼は自国民にさえ目的を明かさなかった。彼は、自分が成功することを喜ぶ者が大勢いることを知ってはいたが、だれかが軽率な行動によって敵のねたみを引き起こし、企てを挫折させることがあってはならないと考えたのである。 PK 621.3
ネヘミヤの懇願は、非常な好感をもって王に迎えられ、そのうえさらに援助を申し出るように促された。彼は旅行の安全を期するとともに、彼の任務に威厳と権威を持たせるために、軍隊の護衛を要請してそれを確保した。彼はユダヤへ行く途中通過しなければならない地域である、ユフラテ川の向こうの州の知事にあてた王の手紙を手に入れた。また彼は、レバノン山の王の森林管理者に、必要な材木を提供することを命じた王の手紙も手に入れた。ネヘミヤは彼の任務の範囲を越えたという苦情が起こらないように、注意深く自分の権威と特権とを明確にした。 PK 621.4
この賢明な洞察力と、決然とした行動の模範は、すべてのキリスト者が学ぶべき教訓である。神の民は信仰をもってただ祈るだけでなく、勤勉と先見の明をもって働かなければならない。彼らは多くの困難に遭遇する。そして彼らは、慎重であることと、骨を折って努力することが、信仰となんの関係もないと考えるために、彼らのための摂理の働きをしばしば妨げるのである。ネヘミヤは涙を流し、主の前に祈っただけで義務を果たしたとは考えなかった。彼は嘆願するとともに清い努力を重ね、自分が携わっている企てが成功するために、熱心に祈りつつ励んだのである。エルサレムの城壁を建設したときと同様に、今日においても聖なる事業を推進するためには、周到な考慮とよく練られた計画が必要である。 PK 621.5
ネヘミヤは確実でないことには頼らなかった。彼は不足している資金は、与え得る人々の助けを仰いだ。そして主は今もなお、真理の働きのために、主の財産を所有している人々の心を、快く動かして下さるのである。主のために働く者は、主が人々を動かしてお与えになる援助を活用しなければならない。これらの贈り物は、暗黒に閉ざされた多くの国に真理の光を伝える道を開くことであろう。贈り主はキリストを信ぜず、また彼の言葉を知らないかもしれないが、それだからといって、彼らの贈り物を拒んではならないのである。 PK 621.6