ヤラベアムの死からエリヤがアハブの前に現れる時まで、イスラエルの人々は霊的衰退の一路をたどった。主を恐れず異なった形式の礼拝を奨励した王たちの支配下にあって、大多数の人々は急速に、生きた神に対する礼拝の義務を忘れて、偶像礼拝の習慣を種々取り入れた。 PK 433.5
ヤラベアムの子のナダブは、イスラエルの王位をわずか数か月占めたに過ぎなかった。彼の邪悪な一 生は、政権を手に入れようとして反乱を起こした彼の将軍の1人のバアシャによって、突然、終わってしまった。ナダブと彼の家に属するものは、みな殺されてしまった。「主がそのしもベシロびとアヒヤによって言われた言葉のとおりであって、これはヤラベアムがみずから犯し、またイスラエルに犯させた罪のため」であった(列王紀上15:29、30)。 PK 433.6
こうして、ヤラベアムの家は滅びた。彼によって始められた偶像礼拝は、罪深い者たちの上に天からの刑罰を招いたのである。それにもかかわらずそのあとに続いたバアシャ、エラ、ジムリ、オムリなどの王は、40年近くの間、同じような致命的悪行の道を歩んだ。 PK 434.1
イスラエルのこうした背信期間の大半にわたってアサがユダ王国を治めた。長年の間、「アサはその神、主の目に良しと見え、また正しと見えることを行った。彼は異なる祭壇と、もろもろの高き所を取り除き、石柱をこわし、アシラ像を切り倒し、ユダに命じてその先祖たちの神、主を求めさせ、おきてと戒めとを行わせ、ユダのすべての町々から、高き所と香の祭壇とを取り除いた。そして国は彼のもとに穏やかであった」(歴代志下14:2~5)。 PK 434.2
「エチオピヤびとゼラが、100万の軍隊と300の戦車を率いて」攻めて来た時に、アサの信仰ははげしく試みられた(同14:9)。アサは、こうした危機において、彼が建てた石垣とやぐらと門と貫の木のあるユダの「要害の町」や、訓練された彼の軍勢の「大勇士」たちにも頼らなかった(同14:6~8)。王は万軍の主によりたのんだ。主の名によって、驚くべき救いが、古代イスラエルのために行われたのである。 PK 434.3
アサは、彼の軍隊を戦闘体勢にしておいて、神の助けを仰いだのである。 PK 434.4
今や、敵軍は眼前に迫ってきた。これは、主に仕える者にとって試練の時であった。すべての罪を告白したであろうか。ユダの人々は神の救いの力に全的に信頼したであろうか。指導者はこのような事を考えていたのである。人間的考えからすれば、エジプトの大軍はその前にあるものをみな一掃するように思われたのである。しかし、アサは、平和の時に、娯楽と快楽にふけっていなかった。彼は、どんな緊急事態にも対処できるように準備していたのである。彼は戦闘の準備のできた軍隊をもっていた。彼は国民に神との平和を結ばせるように努力したのであった。そして、今、彼の軍隊は、敵軍よりも数は少なかったが、彼が信頼した神に対する信仰は少しも衰えなかった。 PK 434.5
王は、繁栄の時に主を求めていたのであるから、こうした逆境の時においても、主に寄り頼むことができた。彼の嘆願は、彼が、神の驚くべきカを知らない人でなかったことを示している。彼は嘆願した。「主よ、力のある者を助けることも、力のない者を助けることも、あなたにおいては異なることはありません。われわれの神、主よ、われわれをお助けください。われわれはあなたに寄り頼み、あなたの名によってこの大軍に当ります。主よ、あなたはわれわれの神です。どうぞ人をあなたに勝たせないでください」(歴代志下14:11)。 PK 434.6
アサの祈りは、すべてのキリスト者が祈るにふさわしい祈りである。われわれは、血肉に対してではなくて、もろもろの支配と、権威と天上にいる悪の霊に対して戦うのである(エペソ6:12参照)。われわれは、人生の戦いにおいて、正義に反抗する悪の勢力に立ち向かわなければならない。われわれの希望は人間ではなくて、生ける神にある、われわれは、神が、み名の栄光のために、神の全能の力を人間の器の努力に結びつけてくださることを、心から確信して期待することができる。われわれは、神の義の武具をまとって、すべての敵に勝利することができるのである。 PK 434.7
アサ王の信仰は著しく報われた。「そこで主はアサの前とユダの前でエチオピヤびとを撃ち敗られたので、エチオピヤびとは逃げ去った、アサと彼に従う民は彼らをゲラルまで追撃したので、エチオピヤびとは倒れて、生き残った者はひとりもなかった。主と主の軍勢の前に撃ち破られたからである」(歴代志下14:12、13)。 PK 434.8
ユダとベニヤミンの勝ち誇った軍勢が、エルサレム に帰っていたとき、「神の霊がオデデの子アザリヤに臨んだので、彼は出ていってアサを迎え、これに言った、『アサおよびユダとベニヤミンの人々よ、わたしに聞きなさい。あなたがたが主と共におる間は、主もあなたがたと共におられます。あなたがたが、もし彼を求めるならば、彼に会うでしょう。しかし、彼を捨てるならば、彼もあなたがたを捨てられるでしょう』」。「しかしあなたがたは勇気を出しなさい。手を弱くしてはならない。あなたがたのわざには報いがあるからです」(同15:1、2、7)。 PK 434.9
アサはこれらの言葉を聞いて、大いに勇気づけられて、まもなく、ユダにおける第二の改革を始めた。「憎むべき偶像をユダとベニヤミンの全地から除き、また彼がエフライムの山地で得た町々から除き、主の宮の廊の前にあった主の祭壇を再興した。 PK 435.1
彼はまたユダとベニヤミンの人々およびエフライム、マナセ、シメオンから来て、彼らの間に寄留していた者を集めた。その神、主がアサと共におられるのを見て、イスラエルからアサのもとに下った者が多くあったからである。彼らはアサの治世の15年の3月にエルサレムに集まり、携えてきたぶんどり物のうちから牛700頭、羊7000頭をその日主にささげた。そして彼らは契約を結び、心をつくし、精神をつくして先祖の神、主を求めること」を約した。「主は彼らに会い、四方で彼らに安息を賜わった」(同15:8~12、15)。 PK 435.2
アサの忠実な奉仕の長い記録は、時折、彼が神に全く信頼しなかったという誤りによって、損なわれた。ある時、イスラエルの王が、ユダ王国に侵入して、エルサレムからわずか5マイルのところにある要塞ラマを占領したときに、アサは、スリヤの王ベネハダデと同盟を結んで救いを求めた。こうして、危急の場合に、神のみに信領しなかったことを、預言者ハナニは、アサの前に現れて厳しく譴責し、次のように言った。 PK 435.3
「あなたがスリヤの王に寄り頼んであなたの神、主に寄り頼まなかったのでスリヤ王の軍勢はあなたの手からのがれてしまった。かのエチオピヤびとと、リビアびとは輝で、その戦車と騎兵は、はなはだ多かったではないか。しかしあなたが主に寄り頼んだので、主は彼らをあなたの手に渡された。主の目はあまねく全地を行きめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる。今度の事では、あなたは愚かな事をした。ゆえにこの後、あなたに戦争が臨むであろう」(歴代志下16:7~9)。 PK 435.4
自分の間違いを認めて、神の前に心を低くするかわりに、「アサはその先見者を怒って、獄屋に入れた。この事のために激しく彼を怒ったからである。アサはまたそのころ民のある者をしえたげた」(同16:10)。 PK 435.5
「アサはその治世の39年に足を病み、その病は激しくなったが、その病の時にも、主を求めないで医者を求めた」(同16:12)。王は、その治世の41年に死んだ。そして、彼の子ヨシャパテが王位についた。 PK 435.6
アサが死ぬ2年前に、アハブが、イスラエル王国を治め始めた。彼の治世は、初めから、奇怪な恐るべき背信が目立っていた。彼の父、オムリはサマリヤの建設者で、「主の目の前に悪を行い、彼よりも先にいたすべての者にまさって悪い事をした」(列王紀上16:25)。しかし、アハブの罪はそれよりも大きかった。「彼はネバテの子ヤラべアムの罪を行うことを、軽い事とし、…彼よりも先にいたイスラエルのすべての王にまさってイスラエルの神、主を怒らせることを行った」(同16:31、33)。ベテルとダンで行われている礼拝形式を奨励するだけで満足せず、主の礼拝を廃止して、バアル礼拝を取りいれ、臆することなく人々を最も堕落した偶像礼拝に引き入れた。 PK 435.7
「シドンびとの王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり」アハブは、「バアルに仕え、これを拝んだ。彼はサマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた」(同16:31、32)。 PK 435.8
アハブは、首都において、バアル礼拝を始めたばかりでなく、イゼベルの指示のもとに、多くの「高き所」に異教の祭壇を築いた。そして、それを取り巻く木立の陰で、祭司たちやこの魅惑的偶像礼拝に関係した人々が、悲しむべき悪影響を及ぼし、ついには、ほとんどイスラエル全国が、バアルに従うに至ったので ある。「アハブのように主の目の前に悪を行うことに身をゆだねた者はなかった。その妻イゼベルが彼をそそのかしたのである。彼は主がイスラエルの人々の前から追い払われたアモリびとがしたように偶像に従って、はなはだ憎むべき事を行った」(同21:25、26)。 PK 435.9
アハブは、道徳的能力が弱かった。彼が、勝気で積極的性格の持ち主であった異邦の女と結婚したことは、彼自身と国家とに悲惨な結果をもたらした。主義をもたず正しい行為に対する高い標準も持っていなかったので、彼の性格は、イゼベルの決然とした気質にやすやすと動かされていった。彼の利己的な性質は、神のイスラエルに対する憐れみや、選民の保護者であり指導者である彼自身の責任を理解することができなかった。 PK 436.1
イスラエルは、アハブの治世の破壊的影響の下にあって、生ける神から遠く離れ、神の前で悪を行った。彼らは、長年の間、神を敬い恐れる心を失ってきていた。そして、今となっては、広く行きわたった神を汚す精神に公然と反対して立ち上がり、彼らの生活を大胆に暴露するものは1人もいなくなったように見えた。背信の黒い影が全国をおおった。バアルとアシタロテの像は至るところにあった。人間の手のわざが礼拝された偶像礼拝の神殿と奉献された木立とは増し加えられた。空気は、偽りの神々に献げられる犠牲の煙で汚染された。日、月、星に犠牲を献げた異教の祭司たちの酒に酔った叫びが、丘や谷にこだましていた。 PK 436.2
イゼベルと彼女の邪悪な祭司たちの影響を受けて、人々は、神としてあがめられている偶像が、その神秘的な力によって、地、火、水などの宇宙の構成要素を支配していると教えられた。天のあらゆる境界、流れる小川、わき出る泉の流れ、静かにくだる露、地をうるおし、田畑に豊かな実りをもたらす雨などは、みな、あらゆる良い完全な賜物の与え主であられる神からのものではなくて、バアルとアシタロテの恵みによるものとされたのである。 PK 436.3
人々は、丘や谷、流れや泉などが、生ける神のみ手のうちにあること、また、神は、太陽、空の雲、その他すべての自然の力を支配しておられることを忘れた。 PK 436.4
主は、忠実な使命者によって、背信した王と国民とに何度も警告を発せられたが、こうした譴責の言葉はむだであった。霊感を受けた使命者が、イスラエルの唯一の神が主であることを唱えたがむだであった。また、使命者たちは主が彼らに委ねられた律法を高めたのであったがむだであった。人々は、偶像礼拝の豪華な虚飾と魅惑的儀式に心を奪われて、王や宮廷の例にならい、肉感的礼拝の興奮的で堕落的快楽にふけってしまった。彼らは愚かにも、神と神の礼拝を拒絶した。豊かな恵みのうちに、与えられた光は、暗くなった。精金の色はあせてしまった。 PK 436.5
ああ、イスラエルの栄光は、どのようにして失われたのだろうか。神の選民が、背信してこのように堕落したことはこれまでになかった。「バアルの預言者450人、ならびにアシラの預言者400人」がいたのである(列王紀上18:19)。国家を壊滅から救うためには、神の奇跡的力によるほかはなかった。イスラエルは自ら進んで、主から離れたのであるが、それでもなお、主は罪に陥れられた人々をあわれんで追い求められた。そして、今や、神の預言者中の最大の預言者の1人を彼らに送ろうとしておられた。多くの者は、この預言者によって、彼らの先祖の神に対する忠誠へと導き返されるのであった。 PK 436.6