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科学と啓示 GC 1851

多くの者にとって、科学の研究はわざわいとなっている。神は、科学と技術方面の種々な発見によって世界に輝かしい光が注がれるのをお許しになった。しかし、どんなに偉大な頭脳の持ち主であっても、その研究が神のみ言葉によって導かれないならば、科学と啓示の関係を探究するのに困難を感じるのである。 GC 1851.3

物質的および霊的な面における人間の知識は、部分的で、不完全なものである。だから多くの者は、その科学的見解を、聖書に述べられていることと一致させることができないのである。単なる学説や推測を科学的事実として受け入れる者が多い。そして彼らは、神のみ言葉が、いわゆる「偽りの『知識』」によってためされなければならないと考える(Ⅰテモテ6:20)。創造主とそのみ業は、彼らの理解を越えたものである。ところが彼らはそれを自然の法則によって説明できないために、聖書の歴史は信頼できないと考える。旧新約聖書の記録が信頼に値するものであることを疑う者は、さらに1歩進んで、神の存在に関して疑惑を抱き、無限の力を自然界のせいにしてしまう。彼らは錨を捨ててしまった以上、無信仰という暗礁にのり上げてしまうよりほかはないのである。 GC 1851.4

このようにして、信仰から離れ、悪魔に欺かれる者が多い人間は、その創造主よりも賢くなろうと努めてきた。人間の哲学は、永遠に啓示されることのない神秘を探り出して説明しようと試みてきた。もし人々が、神がご自身とその御目的に関して人間にあらわされたことだけを探り、理解するならば、彼らは主の栄光と威光と権力とを知るとともに、自分自身の小さなことを認め、自分たちと自分たちの子らのために啓示されたことに満足するであろう。 GC 1851.5

神が啓示しておられないことや、われわれが理解するよう計画してはおられないことを、人が探り、推測をたくましくするようにすることは、サタンの欺瞞中の傑作である。ルシファーが天上の地位を失ったのも、こうしたことからであった。彼は、神の御目的の秘密がすべて自分に示されなかったことに不満を抱き、自分に与えられていた高い地位の職務に関して示されたことなどは全く顧みなかった。彼は、部下の天使たちにも同じ不満の念を抱かせて、堕落させてしまった。今度は、人の心にも同じ精神を吹き込んで、神の直接のご命令を無視させようとするのである。 GC 1851.6