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迫害の歴史 GC 1875

サタンは、神のご品性、罪の性質、また大争闘において問題となっている真の論争点について、誤解させようとたえず努力している。サタンの詭弁によって神の律法に対する義務は弱められ、人々は罪を犯すことをなんとも思わなくなる。同時にサタンは、人々が愛をもって神を見るより、恐れと憎しみをもって見るようにと、神に関して誤った考えを抱かせようとする。サタンは自分自身の固有の品性である残酷さを創造主におしつける。それは宗教組織に織り込まれ、礼拝の様式の中に表現されている。このようにして人々の心の目はとざされ、サタンは、神と戦うために彼らを自分の手先として獲得する。神の属性についての誤った考え方によって、異教の国民は、神の恩恵を得るためには人間の犠牲が必要であると信じるようになった。そしてさまざまな形の偶像礼拝のもとに、恐るべき残酷な行為が行われてきた。 GC 1875.3

ローマ・カトリック教会は、異教とキリスト教との形式を結合したものであり、異教と同じに神のご品性をまちがって伝え、異教におとらないほど残酷でいまわしい慣習を用いてきた。ローマ法王の至上権時代には、教会の教理に対する同意を強制するために拷問の道具があった。教会の主張に譲歩しない者のためには火刑柱があった。審判においてはっきりさせられるまでは決してわからないほどの規模の虐殺があった。教会の高僧たちは、彼らの主人であるサタンの下で、その犠牲者に死を与えることなく最大の苦痛を与える方法を発明しようと苦心した。多くの場合、恐ろしい拷問は、人間の耐久力の限界までくり返された。そして犠牲者は力がつき果てて、死を快い解放として喜んで迎えるのであった。 GC 1875.4

これがローマ教会の反対者たちの運命であった。また教会の信者に対しては、考えられるかぎりのあらゆる悲痛な形において、むち打ちや飢餓や身体の苦行などによる訓練をした。ざんげ者は、天の神の恩恵を得るために自然の法則を犯すことによって、神の律法を犯していた。彼らは、神が人間の地上の生涯を祝福し喜ばせるために作られたきずなを、断ち切るように教えられた。自然な愛情を抑圧し、同胞に対するあらゆる同情の思いと心情を、神に敵するものとしておさえつけようとむなしい努力をして一生を送った無数の犠牲者が、墓地に横たわっている。 GC 1875.5

神のことを聞いたことのない人々の間でではなく、キリスト教世界の中心とその全域において、幾百年 の長きにわたってあらわされたサタンの徹底的残酷さを知ろうと思えば、ローマ・カトリック教会の歴史を見さえすればよいのである。この巨大な欺瞞の組織を通して、悪の君サタンは、神の栄えを汚し、人間を悲惨に陥れる彼の計画を成し遂げる。そして、サタンが姿を変えて、教会の指導者たちによって自分の目的を達成するのを見るときに、われわれは、彼がなぜ聖書を非常にきらうかという理由を、よく理解できるのである。もし聖書を読むならば、神の慈悲と愛とがよく理解される。神はこのような重荷を何1つ人間に負わせられないことがわかる。神がお求めになるものは、砕けた悔いた心、へりくだって服従する精神だけである。 GC 1875.6