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宗教改革の種 GC 1625

法王教の指導者たちは、彼らの品性を神の律法という偉大な標準に合わせようとはせず、自分たちに都合のよい別の標準を設けた。そして、ローマがそう命じるという理由のもとにすべての者をそれに従わせようと決めた。最も恐ろしい悲劇が演じられた。堕落して神をけがしても恐れない司祭や法王たちは、サタンが彼らに命じたことを行っていた。彼らには、憐れみなど少しも見られなかった。キリストを十字架にかけ、使徒たちを殺したのと同じ精神、また、残忍なネロが彼の時代の忠実な者たちを迫害したのと同じ精神が、神に愛された人々を地上から除き去ろうとして働いていた。 GC 1625.4

神を恐れる民、ワルド派の人々は、数世紀にわたって受けた迫害にも忍耐強く耐えて、贖い主をあがめた。彼らにはしばしば十字軍が向けられて、残忍な虐殺を受けたにもかかわらず、彼らは貴重な真理をあちこちに伝えるために、伝道者を派遣しつづけた。彼らは狩り出され殺された。しかし、その血は、まかれた種に水を注ぎ、必ず実を結ばせた。 GC 1625.5

こうしてワルド派の人々は、ルターが生まれる幾世紀も前に、神のためにあかしを立てた。彼らは多くの国々に散らばって、宗教改革の種をまいた。宗教改革は、ウィクリフの時代に始まり、ルターの時代に広く深く成長した。そしてそれは、「神の言とイエスのあかしとのゆえに」喜んですべての苦難を忍ぶ人々によって、世の終わりまで続けられるのである(黙示録1:9)。 GC 1625.6

………………………………………………… GC 1625.7

[注] GC 1625.8

1 J. H. Merle D'Aubigné, “History of the Reformation of the Sixteenth Century,” b.17, ch.2. GC 1625.9

2 Wylie, b.1, ch.7. GC 1625.10

3 Ibid., b.16, ch.1. GC 1625.11

4 Ibid. GC 1625.12