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「御怒りの大いなる日」 GC 1912

あざけり笑う声はやんだ。偽りのくちびるは沈黙させられた。「騒々しい声と血まみれの衣」で相戦う戦いの騒ぎ、武器の鳴り響く音は静まる(イザヤ9:5・英語訳)。今聞こえてくるのは、祈りと嘆きと悲しみの声だけである。少し前まであざけり笑っていた者たちが、「御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」と叫ぶ。悪人たちは、自分たちが軽べつし拒否してきたおかたの顔を見るよりは、山々の岩石の下に葬られることを願う。 GC 1912.4

死者の耳にも通るそのみ声を、彼らは知っている。その優しい訴えのみ声は、どんなにたびたび、彼らに悔い改めを呼びかけたことだろう。そのみ声は、友人や兄弟、そして贖い主の、心を打つ訴えのうちに、幾度聞かれたことだろう。その恵みを拒否した者にとって、「あなたがたは心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。……あなたはどうして死んでよかろうか」と長い間訴えてきたみ声ほど非難に満ち、心を責めるものはない(エゼキエル33:11)。ああ、むしろ、それが見知らぬ人の声であればよいだろうに。「わたしは呼んだが、あなたがたは聞くことを拒み、手を伸べたが、顧みる者はなく、かえって、あなたがたはわたしのすべての勧めを捨て、わたしの戒めを受けなかった」とイエスは言われる(箴言1:24、25)。その声は、彼らが消し去ってしまいたいと思う記憶——警告をあざけり、招きを拒み、特権を軽んじた記憶——を呼び起こす。 GC 1912.5

そこには、キリストが十字架の辱しめを受けられた時に、彼をあざけった者たちもいる。大祭司から神に誓って答えを要求された時に、苦難のうちにあられた主が、「あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」と厳粛に宣言された言葉を思い起こして、彼らは身震いする(マタイ26:64)。彼らは、今、栄光のうちにあられる人の子をながめているが、これから、人の子が力ある者の右に座られるのを見るのである。 GC 1912.6