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法王への最後の警告 GC 1631

ウィクリフの仕事は、ほとんど終了した。彼が長い間掲げてきた真理の旗は、まもなく彼の手から落ちようとしていた。しかしもう1度、彼は福音のためにあかしを立てるのであった。真理は、誤謬の王国の、まさにその本拠において宣言されねばならなかった。ウィクリフは審理のために、ローマにある法王庁の法廷に召喚された。そこはこれまでにしばしば、聖徒たちの血を流したところであった。彼は身の危険を知らないわけではなかったが、その召喚に応じようとした。ところが中風になって、旅行することができなくなった。しかし、ローマにおいて自ら語ることはできなくても、手紙によって語ることはできた。彼はそうすることに決めた。改革者は自分の牧師館から法王に手紙を書いた。それは、敬意に満ちた語調とキリスト教の精神にあふれていたが、同時に法王庁の豪奢と誇りとを鋭く責めたものであった。 GC 1631.6

彼は次のように言った。「わたしは自分の信じる信仰を、すべての人、特にローマの司教に申し上げることを真に喜びとするものである。わたしはこの信仰を、健全で真実であると思っているが、彼は、快くわたし のこの信仰を確認するか、あるいは、まちがっているならばそれを正して下さるであろう。 GC 1631.7

まず第一に、わたしは、キリストの福音は神の律法の全体であると考える。……ローマの司教は、この地上におけるキリストの代理者であると言っているのであるから、だれにも勝ってこの福音の律法に従わなければならないとわたしは確信する。なぜならば、キリストの弟子たちの偉大さは、世俗的威厳や栄誉ではなくて、キリストの生涯と態度に、できるだけそのまま従うことにあるからである。……キリストはこの世におられた時、きわめて貧しい生活を送り、すべての世俗的支配や栄誉を退けられた。…… GC 1632.1

忠実な信徒たるものは、法王自身であろうが、あるいはどんな聖人であろうが、彼が主イエス・キリストに従っているという点のほかは、従うべきでない。というのは、ペテロもゼベダイの子らも、キリストの足跡に従わないで世俗的栄誉を望んだため、罪を犯した。それゆえに、そのような過ちには、われわれは従わなくてもよいのである。…… GC 1632.2

法王は、すべての領土と支配権を世俗の権力に一任し、そのすべての聖職者たちに対して、そのように勧め実行させるべきである。なぜなら、キリストはそのようになさったのであり、使徒たちも特にそのようにしたからである。そこで、これらの点のいずれかにまちがいがあるなら、わたしは謙虚にそれを正したいと思う。もし必要とあれば、死をもいとわない。わたしが、自分の意志と希望によって行動することが許されるならば、わたしはぜひともローマの司教の前に伺候することであろう。しかし主は、わたしに病をお与えになり、人よりは神に従うべきことをお教えになった。」 GC 1632.3

最後に彼は言った。「われわれは、神が法王ウルバン6世の心を動かし、彼とその聖職者たちが、生活と態度において主イエス・キリストに従い、また人々にもよくこれを教えて、彼らも忠実に主に従うようになることを、祈ってやまない。」8 GC 1632.4

こうしてウィクリフは、法王と枢機卿たちに、キリストの柔和と謙そんを示し、ただ彼らにだけでなくて全キリスト教国に、彼らと、彼らが代表していると主張する主との、著しい相違をあらわした。 GC 1632.5