神は、ご自分の事業を進めていくために、なお働き人たちの準備をしておられた。パリのある学校に、思慮深く物静かな青年がいた。彼は、頭脳明晰で、知的情熱を持ち、宗教的に献身していたが、彼の生活もまた同様に高潔なものであった。彼の才能と勤勉さとは、まもなく大学の誇りとなり、ジャン・カルバン(ジョン・カルビン)こそ、確かに教会の最も有力で栄誉ある擁護者になるであろうと予想されていた。 GCJap 254.1
しかし、神の光は、カルバンを閉じ込めていたスコラ哲学と迷信の壁をさえ貫いた。彼は、新しい教義を聞いて身震いし、異端者が火刑に処せられるのは当然であるということになんの疑いも持たなかった。しかし、彼は、全く意識しないうちに異端と顔を合わせ、プロテスタントの教えと戦うためにローマ教の神学の力を試さざるをえなくなった。 GCJap 254.2
改革派に加わったカルバンのいとこが、パリにいたのである。この二人は、たびたび会って、キリスト教国を混乱させている問題について話し合った。「この世の中に、二つしか信仰はない。一つは、人間が考え出したいろいろな宗教であって、そこでは人間は、儀式や善行によって救われる。もう一つは、聖書に啓示された宗教であって、それは、価なくして与えられる神の恵みによってのみ救われると教えるのだ」とプロテスタントのオリベタンは言った。 GCJap 254.3
「ぼくは君の新しい教義など信じない。ぼくがこれまでずっと誤謬の中で生きてきたと、君は言うのか!」とカルバンは叫んだ。とは言うものの、自分の意志では消し去ることのできない思想が、カルバンの心に起こった。彼は、自分の部屋に閉じこもって、いとこの言葉を思いめぐらした。彼は、罪の自覚に襲われた。彼は、きよく正しい審判者の前に、仲保者なしに立つ GCJap 254.4
自分を感じた。諸聖人の仲保、善行、教会の儀式などはみな、罪を贖うには無力だった。彼の前には、永遠の絶望の暗黒があるだけであった。教会の博士たちが、彼の悩みを和らげようとしたができなかった。告白も苦行も行ってみたがだめであった。それらは、魂を神と和解させることができなかった。 GCJap 255.1
カルバンは、こうしたむなしい苦悩をなおも続けているうちに、ある日、たまたま町の広場に出かけて、異端者の火刑を目撃した。彼は、殉教者の顔に平和が宿っているのを見て、驚きに満たされた。恐ろしい死の拷問の中にあって、そして、それにもまさる恐ろしい教会の宣告を受けながら、彼は信仰と勇気をあらわしていた。それに引きかえ、若い学生のカルバンは、厳格に教会に従った生活を送りながらも失望と暗黒のうちにある自分をかえりみて、心を痛めた。異端者が信じているのは聖書であることを彼は知った。彼は、聖書を研究しよう、そしてできれば彼らの喜びの秘訣を見極めようと決心した。 GCJap 255.2