「底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す」。革命と恐怖政治の時代にフランスを支配した無神論的権力は、これまで世界になかったほどの戦いを、神と聖書に対していどんだ。神の礼拝が、国会によって廃止された。聖書は集められて、あらゆる軽蔑を浴びせられながら、公衆の前で焼かれた。神の律法は踏みにじられた。聖書的な諸制度は廃止された。毎週の休日は廃止され、その代わりに、一〇日目が歓楽と冒瀆の日に定められた。バプテスマと聖餐式は禁止された。そして墓地には、死は永遠の眠りであると宣言する掲示が、目立つように立てられた。 GCJap 315.1
神をおそれることは、知恵のはじめであるどころか、愚のはじめであると言われた。自由と国家とに対するもの以外のすべての宗教的礼拝は禁止された。「パリの憲法宣誓司教は、国民の代表たちの前で、最も恥知らずで言語道断の茶番劇の主役を演じさせられた。……彼は行列を従えて出てきて、彼が長年教えてきた宗教は、すべての点において聖職者たちの政略であって、歴史にも神聖な真理にも基づいていないものであると、国民議会で宣言させられた。彼は、厳粛で明白な口調で、これまで自分が礼拝のために献身してきた神の存在を否定し、これからは、自由、平等、徳、道義に忠誠を誓うと言った。それから彼は、自分の司教の衣服を脱いで卓上に置き、国民議会の議長から友愛の抱擁を受けた。数名の背教した司祭が、この高位聖職者の例にならった」 GCJap 315.2
「地に住む人々は、彼らのことで喜び楽しみ、互に贈り物をしあう。このふたりの預言者は、地に住む者たちを悩ましたからである」(黙示録11章10節)。不信のフランスは、神の二人の証人の譴責の声を沈黙させた。真理の言葉は殺されて、大通りに横たえられた。そして、神の律法の制限や要求を憎んだ人々は、歓声をあげた。人々は、公然と天の王に挑戦した。昔の罪人たちのように、「神はどうして知り得ようか、いと高き者に知識があろうか」と叫んだ(詩篇73篇11節)。 GCJap 316.1
新しい秩序のもとでの司祭の一人は、信じられないような大胆な冒瀆さで言った。「神よ、もし存在するならば、あなたの傷つけられた名の復讐をせよ。わたしは挑戦する。あなたは黙っている。怒ることはできまい。今後、だれがあなたの存在を信じるであろうか」。これはパロの言った、「主とはいったい何者か。わたしがその声に聞き従わ……なければならないのか」「わたしは主を知らない」という言葉と、なんとよく似ていることであろう。 GCJap 316.2