キリストの初臨の時、神の言葉を託されていた聖都の祭司や学者たちは、時のしるしを見分けて約束されたお方の来臨を宣布することができたはずであった。ミカの預言は、彼の誕生の地を指示していた。ダニエルは、彼の来臨の時をはっきり示した(ミカ書5章2節、ダニエル書9章25節参照)。神はこうした預言を、ユダヤの指導者たちに託された。彼らがメシヤの来臨が近づいたことを知らず、人々に宣布しなかったことに対して、弁解はあり得ない。彼らの無知は、罪深い怠慢の結果であった。 GCJap 359.1
ユダヤ人は、殉教した神の預言者たちの記念碑を建てていたが、その一方では地上の偉大な人物たちに敬意を払うことによってサタンのしもべたちに誉れを帰していた。彼らは、世俗の地位と権力の争奪に心を奪われて、天の王が彼らに与えようとされた栄誉を見失ってしまった。 GCJap 359.2
人類の贖罪の完成のために神のみ子が来られるという、史上最大の出来事の場所、時、状況などを、イスラエルの長老たちは心からの畏敬の念をもって研究していなければならないはずであった。すべての人々は、世の贖罪主を真っ先に歓迎する者の中に入ろうと、目を覚まして待っているべきであった。ところが、見よ、ベツレヘムでは、ナザレの山地から来た二人の疲れた旅人は、一夜の泊まる場所を求めて、狭く長い通りを町の東のはずれまで歩いているが得られない。彼らを迎えて開く戸はどこにもない。彼らはついに、家畜を入れるみすぼらしい小屋に休み場を見つける。そしてそこで、世の救い主がお生まれになる。 GCJap 359.3
み子が、世界が造られる前から、父とともに持っておられた栄光を見ていた天使たちは、彼が地上にあらわれるのをすべての人々が、大きな喜びをもって迎えるであろうと、非常な関心を持って期待していた。天使たちは喜びの知らせを、それを受ける準備のできている者たちに、そして喜んでそれを地の住民たちに知らせる者たちに伝達するようにという任命を受けた。キリストは、身を低くして人性をとられた。彼がご自分の魂をとがの供え物となす時、苦悩の無限の重荷を負われるのであった。しかし天使たちは、至高者のみ子が、ご自分を低くされたとはいえ、そのご品性にふさわしい威光と栄光とをもって人々の前におあらわれになるように望んだ。地上の偉大な人々が、イスラエルの首都に集まって、彼のおいでを迎えるであろうか。天使の大軍が、待ち受けている群衆に、彼を紹介するであろうか。 GCJap 360.1
天使が、イエスを迎える準備のある者はだれかを見るために、地を訪れる。しかし、待ち受けている様子はどこにも見られない。メシヤ到来の時が近づいたという賛美と勝利の声は聞こえない。天使は、しばらく、選ばれた都の上に、そして、長い間神の臨在があらわされていた神殿の上にとどまる。しかし、ここにも同じ無関心さがある。祭司たちは、虚飾と高慢に満ちて、汚れた犠牲を神殿でささげている。 GCJap 360.2
パリサイ人たちは、大声で人々を教えているか、それとも、町角で高慢な祈りをささげているかである。王宮も、哲学者の会合も、ラビの学校も、みな全天を歓喜と賛美で満たしている驚くべき事実、すなわち、人類の贖い主が今まさに地上にあらわれようとしておられるということを、知らずにいるのである。 GCJap 360.3