そして今や、聖書に明らかに教えられていると彼が信じたことを、他の人々に伝えなければならないという義務が、新たな力をもって彼に迫った。彼は次のように言った。「わたしが自分の仕事をしようとすると、『行って、世界にその危険を告げよ』という声が、常にわたしの耳に響いた。わたしは、いつも次の聖句を思い出した。『わたしが悪人に向かって、悪人よ、あなたは必ず死ぬと言う時、あなたが悪人を戒めて、その道から離れさせるように語らなかったら、悪人は自分の罪によって死ぬ。しかしわたしはその血を、あなたの手に求める。しかしあなたが悪人に、その道を離れるように戒めても、その悪人がその道を離れないなら、彼は自分の罪によって死ぬ。しかしあなたの命は救われる』(エゼキエル書33章8、9節)。悪しき人々に対して十分に警告を発するならば、多くの者は悔い改めるだろう、そして、もし警告しないならば、彼らの血がわたしの手に求められるだろう、とわたしは感じた」 GCJap 380.1
彼は、だれか牧師がその趣旨を認めて、宣教のために献身するように祈りながら、機会を見ては、彼の見解を個人的に語り始めた。しかし、自分で警告を発する義務があるという確信を、払いのけることはできなかった。「行って、それを世界に語れ。わたしは、彼らの血をあなたの手に求める」という言葉が、彼の心に繰り返し響いた。九年間彼は待った。彼の心の重荷はなおも彼に迫り、ついに一八三一年、彼は初めて公に自分の信仰を説明した。 GCJap 380.2
エリシャが、畑で牛を前に行かせて耕していたときに、外套をかけられて、預言者の職に召されたように、ウィリアム・ミラーは、鋤を捨てて、神の国の奥義を人々に説き明かすように召された。彼は、震えおののきながら、彼の働きを始め、聴衆に預言の期間を一歩一歩説明し、キリストの再臨にまで及んだ。彼は、自分の語った言葉が広く人々の興味を引き起こしたのを見て、努力するごとに、力と勇気が与えられた。 GCJap 381.1
ミラーは、兄弟たちの勧誘を神の声と認めて、ついに公衆の前で彼の見解を発表することに同意した。彼はその時五〇歳で、公衆の前で話すことに慣れておらず、自分がそうした働きに不適任であることを感じて悩んだ。しかし、彼の働きは、最初から驚くべき祝福を受けて、人々を救いに導いた。彼の最初の講演の結果、信仰の覚醒が起こり、二人を除いて、一三家族の全員が悔い改めたのである。彼はすぐに、他の場所でも話すように頼まれた。そしてそのほとんどのところで、彼の働きの結果、神のみわざが再びあらわれた。罪人は悔い改め、キリスト者は献身を新たにし、理神論者や無神論者は、聖書の真理とキリスト教の信仰を認めるように導かれた。彼の働きに接した人々は、次のように証言した。「彼は、他の人々では影響を及ぼすことができないような人々の心をも動かした」。彼の説教は、一般の人々の心を、宗教の大いなる事柄に目覚めさせ、当時の俗化と堕落を阻止するものであった。 GCJap 381.2