キリストの教会を暴力で滅ぼそうとしたサタンの努力は無駄であった。イエスの弟子たちがその生命をささげた大争闘は、これらの忠実な旗手たちがその持ち場で倒れた時にもやむことはなかった。敗北によって彼らは勝利した。神の働き人たちは殺されたが、神の働きは着実に前進した。福音は進展し続け、それを信じる者の数は増加した。それは、近づきがたいような地域にも入りこみ、ローマの軍隊にまで及んだ。迫害を推し進めようとする異教徒の支配者たちをいさめて、あるキリスト者はこう言った。あなたがたは、「われわれを殺し、苦しめ、罪に定めることができよう。……あなたがたの不正行為は、われわれの無実の証拠である。……また、あなたがたの残酷さも……あなたがたの益とはならない」。迫害は、他の人々をキリスト教に導くさらに強力な招きとなったに過ぎなかった。「われわれはあなたがたに刈り倒されるたびに、数が増加する。キリスト者の血は、種である」(テルトゥリアヌス『護教論』50節)。 GCJap 48.1
幾千の者が投獄され、殺されたが、すぐに他の者があらわれてその場所を埋めた。そして、信仰のために殉教した者は、キリストのものとして確保され、彼に勝利者として認められた。彼らは立派に戦いぬいたのであり、キリストが来られる時に、栄光の冠を受けるのであった。彼らが耐え忍んだ苦しみは、キリスト者たちを互いに近づけ、また彼らの贖い主へと近づけた。彼らの生きた模範と死ぬ時の証言は、真理に対する絶えざるあかしであった。そして、最も予期していないところで、サタンの部下がその務めを去って、キリストの旗の下に加わった。 GCJap 48.2
そこでサタンは、彼の旗をキリスト教会内に立てることによって、神の政府をもっと効果的に攻撃しよう と計画した。もし、キリストの弟子たちを欺き、神のみこころを損わせることができるならば、彼らの力と忍耐と堅固さは失われて、たやすく彼の餌食になるのであった。 GCJap 48.3
大いなる敵、悪魔は、暴力でできなかったことを、今や策略によって得ようと努めた。迫害はやんだ。そして、その代わりに、この世の繁栄と世俗の栄誉という危険な誘惑物が置かれた。偶像教徒は、他の重要な真理を拒否しながらも、キリスト教の信仰の一部を受け入れるように導かれた。彼らは、イエスを神の子として受け入れ、彼の死と復活を信じると言いながら、罪の自覚もなく、悔い改めや心の変化の必要を感じなかった。彼らは、自分たちも譲歩したのだから、キリスト者も譲歩して、すべての者がキリストを信じる原則において一致するようにしようと提案した。 GCJap 49.1