ちょうどこのころ、狂信があらわれ始めた。これまで使命を熱心に信じると言っていた人々が、誤りのない手引きとしての神の言葉を拒否して、自分は聖霊に導かれていると称し、彼ら自身の感情、印象、想像に身をゆだねた。 GCJap 453.2
ある者たちは、無分別で頑迷な熱心さをあらわして、自分たちの行動を認めない者をみな非難した。彼らの狂信的な考えと行動は、再臨信徒の大部分の者の共感を得られなかったが、しかし、こうした者たちのために、真理の運動そのものが非難を受けたりした。 GCJap 453.3
サタンは、こうした方法で神の働きに反対し、それを打ちこわそうとしていた。人々は、再臨運動によって非常な感銘を受け、遅延の期間中でさえ、幾千の罪人が悔い改め、忠実な人々が真理の宣布のために献身していた。悪の君は、彼の部下たちを失いつつあった。そこで彼は、神の働きに恥辱をもたらすために、信仰を表明している人々のある者たちを欺いて、極端に走らせようとした。そうしておいて、彼の部下たちは、すぐにその誤りや失敗や見苦しい行為をみな取り上げて、それをはなはだしく誇張して人々に示し、再臨信徒とその信仰を憎むべきものであると思わせようとした。こうして、再臨信仰を公言していても心がサタンの力に支配されている者が多ければ多いほど、彼らを信者全体の代表であるとして人々の注目を引くことによって、サタンはますます有利になるのである。 GCJap 454.1
サタンは、「われらの兄弟らを訴える者」である。そして、人々に主の民の誤りや欠点を見つけさせ、それを注目の的にする一方、彼らの善行は何も言わずに見過ごしてしまわせることが、サタンの精神である。サタンは、神が救霊のために活動されるときは、いつも活躍する。神の子供たちが主の前にあらわれる時、サタンも彼らの中にいる。すべてのリバイバル集会において、彼は、心が清められず、精神の不健全な者を参加させようとしている。この人々が、真理のいくぶんかを信じて、信者の仲間に入ると、サタンは、彼らを通して、軽率な人々を欺く説を持ち込んでくる。神の子供たちの仲間に入り、礼拝の家にいて、主の聖餐にあずかるからといって、その人が真のキリスト者であるとはかぎらない。サタンはしばしば、彼が用いることのできる者の姿をかりて、最も厳粛な集会に連なっている。 GCJap 454.2