サタンは、彼の全軍を動員して、戦闘に全力を傾けている。彼が大きな抵抗にあわないのは、なぜであろうか。キリストの兵卒たちが、このように眠りをむさぼり、冷淡なのは、なぜであろうか。それは彼らが、キリストとの真のつながりをほとんど持っていないからである。キリストの霊に欠けているからである。彼らの主にとって、罪はいまわしく嫌悪すべきものであったが、彼らにとってはそうではないのである。彼らは、それに対して、キリストのように決然と抵抗をしない。彼らは、罪のはなはだしい邪悪さと忌まわしさを悟っていない。 GCJap 585.1
そして、暗黒の君の性質についても権力についても、盲目である。彼らには、サタンとその働きに対する敵意はない。というのは、彼の権力と悪意、また、キリストとその教会に対する彼の広範囲に及ぶ戦闘について、彼らはきわめて無知だからである。多くの人々はここで欺かれる。彼らは、自分たちの敵が、悪天使たちの心を支配する大指揮官であって、よく練った計画と巧妙な活動をもってキリストに対抗して戦い、魂の救いを妨害しようとしていることを知らない。キリスト者と称する人々、いや牧師たちの間でさえ、サタンについて語るのは、講壇から何かのついでに触れるくらいのことで、非常にまれである。彼らは、サタンの絶えざる活動と成功の証拠を見落としている。彼らは、サタンの狡猾さについてたびたび警告を受けるが、それに気をとめない。彼らは、サタンの存在そのものを無視しているように見える。 GCJap 585.2
人々が彼の策略を知らずにいる間に、この油断のない敵は、彼らのあとを絶えずねらっている。彼は、家の中のすべてのところ、われわれの都市のすべての通り、教会の中、議会の中、裁判所の中などに入り込み、人を惑わし、欺き、だまし、至るところで、老若男女を問わずその心と体を破滅させ、家庭を破壊し、憎しみや競争、争闘や暴動や殺人の種をまき散らす。そして、キリスト教界一般は、こうしたことを、あたかも神が定められたもので、当然存在するものであるかのように思っているのである。 GCJap 586.1
サタンは、神の民と世俗とを隔てている壁を取りこわすことによって、神の民に打ち勝とうと絶えず努めている。古代イスラエル人は、禁じられていた異邦人との交際に足を踏み入れた時に、罪に誘惑された。同じようにして現代のイスラエルも道から外れていく。「この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである」(コリント第二・4章4節)。断固としてキリストに従う決心をしていない者は、サタンのしもべである。生まれ変わっていない者の心には、罪を愛する思いがあり、罪をいだいてその言いわけをする傾向がある。生まれ変わった心には、罪に対する憎しみと、それに対する断固とした抵抗がある。キリスト者が、神をおそれない不信仰な人々と交わることは、誘惑に身をさらすことである。 GCJap 586.2
サタンは姿を隠して、ひそかに彼らの目に、彼の欺瞞の覆いをかける。彼らは、このような連れがいて彼らに害を与えようとしているとは気づかず、品性、言葉、行動において、常に世俗に同化していき、ますます盲目になってしまうのである。 GCJap 586.3