人が何を信じても、それはさほど重要なことではないという態度は、サタンが最も成功を収めている欺瞞の一つである。人が真理を愛して、受け入れる時、真理はそれを受け入れた人の魂を清めることをサタンは知っている。そのために、彼は絶えず偽教理、作り話、別の福音などを真理の代わりにしようとしている。神のしもべたちは、最初から偽りの教師たちと戦ってきた。それは彼らが悪徳の人々であるというだけではなくて、魂を危険に陥れる偽りを説く人々であったからである。エリヤ、エレミヤ、パウロなどは、断固としてはばかるところなく、神のみ言葉から人々を引き離す者たちと戦ったのである。これら真理の擁護者たちは、厳正な信仰を軽視する自由主義に賛成しなかった。 GCJap 601.1
聖書についてあいまいな、変わった解釈をしたり、またキリスト教界において、宗教的信仰に関して多くの矛盾した説があったりすることは、人心を混乱させて真理を見分けられないようにするための大敵サタンのしわざである。キリスト教会内にある不和、分裂は、自分の気に入った理論を裏づけるために聖書を歪曲するという一般的な風習のせいであることが非常に多い。神のみこころを知ろうとして謙遜に注意深く聖書を研究しないで、何か変わった独創的なものを発見しようとする者が多い。 GCJap 601.2
誤った教理や非キリスト教的習慣を支持するために、聖書の前後関係を考えずに一節の半分だけを引き離して引用する人々がいるが、その残りの半分を見れば、全く反対の意味になることもある。彼らは、自分の肉の欲をほしいままにするために、へびのような狡猾さで、曲解された無関係ないくつかの聖句のかげに、自分の立場を守るのである。このようにして、神のみ言葉を故意に曲解する者が多い。他方、聖書の型や象徴について想像をたくましくする者もある。そのような人々は、聖書が聖書自らの解釈をしているその証言も無視して、思いのままに解釈を下し、自分たちの臆測を聖書の教えであるかのように説くのである。 GCJap 601.3