非常に重大であるために、中空を飛ぶ聖天使たちによって宣べ伝えられたと表現されているほど重要な警告を、神が人々にお送りになる時、神は理性を持つ者がすべてこのメッセージに耳を傾けるように求めておられる。獣とその像を拝むことに対して宣告されている恐るべきさばき(黙示録14章9~11節参照)について知る時、だれでもみな、獣の印とは何か、それを受けないようにするにはどうすればよいかということを学ぶために、熱心に預言を研究するようになるはずである。しかし大部分の人々は、真理を聞くことから耳をそらし、作り話へと向かってしまう。使徒パウロは終末の時代を予見して、「人々が健全な教に耐えられなくな」ると言明した(テモテ第二・4章3節)。その時がちょうど到来している。多くの人々は聖書の真理を好まない。なぜなら真理は、罪深い、世を愛する心の欲望を、妨げるからである。そしてサタンは、彼らの好む偽りを提供するのである。 GCJap 690.1
しかし神はこの地上に、聖書、そしてただ聖書だけをすべての教理の基準、すべての改革の基礎として保持する一つの民を、お持ちになるであろう。学識者の意見、科学の推論、教会会議の定めた信条や決議(これらは、教会の数が多くてその主張も違うように、おびただしい数にのぼって内容も千差万別である)、大衆の声、―─これらのうちの一つであれ全部であれ、それをもって信仰上の事柄に関する賛否の根拠とみなしてはならない。どんな教理や戒めでも、それを受け入れる前に、「主はこう言われる」という明白な事実をその裏づけとして要求すべきである。 GCJap 690.2
サタンはいつも、神の代わりに人間に注意を向けさせようと努力している。彼は、人々が自分で聖書を探って自分の義務を学ばないで、監督や牧師や神学者を案内者とするように導く。そうする時に、サタンはこれらの指導者たちの心を支配することによって、大衆を意のままに感化することができるのである。 GCJap 690.3
キリストがいのちのみ言葉を語りにこられた時、一般の人々は喜んでそれを聞いた。そして多くの者が、祭司や役人たちでさえ、主の言われることを信じた。しかし、祭司長と民の有力者たちは、キリストの教えを非難し否認することを決心していた。彼らは、キリストに対する言いがかりを見つけようとする努力がことごとく失敗し、キリストの言葉に伴う神の力と知恵の感化を感じないではいられなかったにもかかわらず、なお自分自身の偏見の中に閉じこもった。彼らは、キリストの弟子にならないではいられなくなることを恐れて、キリストがメシヤであることの最も明白な証拠を退けた。これらイエスの反対者たちは、人々が子供の時から尊敬するように教えられ、彼らの権威には絶対に従うように習慣づけられていた、その者たちであった。人々は、「なぜわれわれの役人たちや学者たちはイエスを信じないのだろうか。もしこの人がキリストであるなら、こうした敬虔な人たちがこの人を受け入れないことがあろうか」と問うた。ユダヤ民族に彼らの贖い主を拒否させたのは、このような教師たちの影響であった。 GCJap 691.1
これらの祭司や役人たちを動かした精神は、今日もなお、深い敬虔を表明する多くの人々に見られる。彼らは、今の時代のための特別な真理について、聖書のあかしを調べることを拒んでいる。彼らは自分たちが多数であることや、富や、人気を指摘し、真理の擁護者に対しては、世からかけ離れた信仰を持つ少数、貧困、不人気な者として、軽蔑の目で見るのである。 GCJap 691.2