思い出させるものがただ一つある。われわれの救い主は、永遠に十字架の傷跡をとどめられるのである。主の傷ついたみ頭に、その脇腹に、その手と足に、罪の残酷なしわざの唯一の跡がある。預言者ハバククは栄光のキリストを見て、「その光は彼の手〔脇腹―英語訳〕からほとばしる。かしこにその力を隠す」と言っている(ハバクク書3章4節)。人類を神に和らがせる真紅の血潮がほとばしり出た、主の突き通された脇腹―─そこに救い主の栄光があり、そこに主の力が隠されている。主は贖いの犠牲によって、「救いを施す力ある」お方となられたので、神の憐れみをあなどった者たちに対しては、強い態度でさばきを執行されたのである。救い主の屈辱のしるしこそは、救い主の最高の栄誉である。カルバリーの傷跡は永遠にわたって、主への賛美を示し、主の力を宣言する。 GCJap 780.3
「羊の群れのやぐら、シオンの娘の山よ、以前の主権はあなたに帰ってくる」(ミカ書4章8節)。炎の剣によってアダムとエバがエデンからしめ出されて以来、聖徒たちが待ちこがれていたところの、「神につける者が全くあがなわれ」る時が来た(エペソ1章14節)。もともと人にその王国として与えられたのに、サタンの手に売り渡され、長い間強力な敵に占領されてきた地が、大いなる贖いの計画によって再び戻されたのである。罪によって失われたいっさいのものは回復された。「天を創造された主、すなわち神であって/また地をも造り成し、これを堅くし、いたずらにこれを創造されず、これを人のすみかに造られた主はこう言われる」(イザヤ書45章18節)。地上が贖われた者たちの永遠のすみかとなる時、地を創造された時の神の最初の目的が達成される。「正しい者は国を継ぎ、とこしえにその中に住むことができる」(詩篇37篇29節)。 GCJap 781.1