今やルターは、真理の闘士としての彼の仕事に、大胆に乗り出した。彼は説教壇から、熱心で厳粛な警告の声をあげた。彼は人々に、罪の忌まわしい性質を告げ、人間は自分自身の行為によっては、そのとがを減じることも罰を避けることもできないと教えた。神に対する悔い改めと、キリストに対する信仰以外に、罪人を救うことができるものはない。キリストの恵みを買うことはできない。それは、無償で与えられる賜物である。彼は人々に、免罪符を買ったりしないで、十字架につけられた贖い主を信仰をもって見つめることを勧めた。 GCJap 149.2
彼は、自分が難行や苦行によって救いを得ようとしたが得られなかった苦い経験を語り、自分を見ないでキリストを信じることによって平和と喜びを得たことを、聴衆にはっきり述べたのである。 GCJap 149.3
テッツェルが売買と不敬虔な主張を続けたので、ルターはこのはなはだしい悪弊に対して、もっと効果的な抗議をする決心をした。まもなく、その機会がやってきた。ウィッテンベルクの城教会には多くの遺物があって、祝祭日には一般に公開され、その時に教会に出席して告白をする者はみな、罪が完全に赦されるのであった。そのようなわけで、そういう祝祭日には、人々がたくさん集まってきた。祝祭日のうちで最も重要なものの一つで、万聖節というのが近づいていた。その前日、ルターは、すでに教会へと進んでいく群衆に加わって、免罪符の教義に反対する九五か条の提題を書いた紙を扉に貼った。彼は、この提題に反対するすべての人に対して、翌日大学において喜んで答弁することを宣言した。 GCJap 149.4
彼の提題は広く一般の注目を引いた。人々はそれを何度も読み、各方面に伝えた。大学や町全体に、大きな興奮が起こった。これらの論題は、罪を赦し、その罰を免除する力が、法王にも他のどんな人にも与えられていないことを示していた。そうしたたくらみ全体が、もともとまやかしごと―─人々の迷信に乗じて金を巻き上げるための策略―─であって、その偽りの主張に信頼するすべての者を滅ぼそうとするサタンの計略であった。論題はまた、キリストの福音は教会の最も価値のある宝であること、そしてそこにあらわされた神の恵みは、悔い改めと信仰とによって求めるすべての者に、惜しみなく与えられるものであることを明示していた。 GCJap 150.1
ルターの論題は討論を呼びかけた。しかしだれもその挑戦に応じなかった。彼が提出した問題は、数日のうちにドイツ全国に広まり、数週間のうちには全キリスト教国に伝えられた。教会内で一般に行われていた罪悪を見て、それを嘆いていたが、その進行をどうやって止めるかを知らなかった多くのローマ教徒たちは、論題を読んで非常に喜び、そこに神の声を認めた。 GCJap 150.2
彼らは、法王庁から発する堕落の潮流を阻止するために、神が恵み深いみ手をのべられたと感じた。諸侯や長官たちも、自己の決定に対しては他のだれの訴えをも入れないような尊大な権力が阻止されることを、ひそかに喜んだ。 GCJap 150.3