ルターは、宗教改革の友人に次のように書いた。「われわれは研究や、知力によって聖書を理解することはできない。まず第一になすべきは、祈って始めることである。主が大きな憐れみによって、主のみ言葉に対する真の理解を与えてくださるよう祈り求めねばならない。 GCJap 152.3
『彼らはみな神に教えられるであろう』と神ご自身が言われたように、神のみ言葉の解釈者は、この言葉の GCJap 152.4
著者以外にはないのである。自分自身の努力、自分自身の理解に頼らず、全く神に頼り、神の霊の感化に頼るべきである。これは、体験した者の言葉として、信じてほしい」。ここに、神は自分たちに、現代に対する厳粛な真理を他の人々に伝えるように求めておられると感じる者への重大な教訓がある。この真理は、サタンの憎しみと、彼がたくらんだ作り話を愛する人々の憎しみをかき立てる。悪の勢力との闘いにおいては、知力や人間の知恵以上の何物かが必要なのである。 GCJap 153.1
敵が、習慣や伝説、あるいは法王の主張や権威に訴えた時に、ルターは、聖書、しかも聖書のみをもって彼らに対抗した。聖書には、彼らが答えることのできない論証があった。そこで、形式主義と迷信の奴隷たちは、ユダヤ人がキリストの血を求めたように、彼の血を叫び求めた。ローマの熱心党は叫んだ。「彼は異端だ。このような恐ろしい異端者を一時間でも生かしておくことは教会に対する大逆罪である。直ちに彼の処刑台を作ろう」。しかし、ルターは彼らの怒りの犠牲にならなかった。神は、彼がなすべき仕事を持っておられた。そして、彼を守るために天使が送られた。しかし、ルターから尊い光を受けた多くの者が、サタンの怒りの目標となって、真理のために恐れることなく責め苦にあい、殺された。 GCJap 153.2
ルターの教えは、ドイツ全国の識者の注意を引いた。彼の説教と著書から光が輝き出て、幾千という人々を目覚めさせ啓発した。生きた信仰が、教会を長い間縛っていた生気のない形式主義に取って代わりつつあった。人々は、日ごとに、ローマ教の迷信を信じなくなった。偏見の防壁がくずれつつあった。ルターがすべての教義とすべての主張を吟味した神の言葉は、人々の心をえぐるもろ刃の剣のようであった。至るところで霊的向上の欲求が起こった。長年起こったこともないような、義に対する飢えと渇きが至るところに起こった。長い間、人間の儀式と地上の仲保者に向けられていた人々の目が、今や悔い改めと信仰をもってキリストと彼の十字架とに向けられた。 GCJap 153.3
このような関心が広く行きわたったことは、なおいっそう法王側の当局者たちを恐れさせた。ルターは、異端の訴えに答えるためにローマに出頭せよという命令を受けた。彼の友人たちは、この命令に震えおののいた。彼らは、すでにイエスの殉教者たちの血を飲んだあの腐敗した都において、どんな危険が彼を待っているかをよく知っていた。彼らは、ルターがローマへ行くことに反対し、彼がドイツにおいて調べを受けるように願い出た。 GCJap 154.1