彼がふたたび議会に入ってきた時には、彼の顔に恐怖や動揺の色はなかった。沈着で穏やかで、しかも勇敢で気高い態度で、彼は神の証人として、地上の偉大な人々の前に立った。式部官は、ここで、彼に教義を取り消すかどうかの決定を迫った。ルターは、激しさや感情をまじえぬ落ちついた謙遜な調子で答えた。彼の態度は遠慮がちで、礼儀正しかった。しかし彼は、議会を驚かすほどの確信と喜びにあふれていた。 GCJap 183.3
「いとも高き皇帝陛下、いとも高名なる諸侯、いとも優渥なる諸賢」とルターは言った。「本日、わたくしは、昨日わたくしに与えられましたご命令に従って、ここにまいりました。そして、わたくしは、神の憐れみによって、陛下および殿下方が、正しく真実である GCJap 183.4
とわたくしの信じております運動に関する弁明を、慈悲深く聞いてくださるように懇願いたします。もしわたくしが、知らずに宮廷の慣例や作法にそむくことがあれば、どうかお許しください。わたくしは、宮廷で育った者ではなく、修道院の隠遁生活をしていた者なのですから」 GCJap 184.1
こうして、いよいよ本論に入り、彼は、自分の著書は全部が同じ性質のものではないと述べた。ある著書の中では、信仰と善行を扱っていて、彼の敵たちでさえ、それが無害であるばかりでなくて有益であると言明している。したがって、これらを取り消すことは、すべての党派の人々が告白している真理を否認することである。第二の部類は、法王制の腐敗と悪弊とを暴露した著書である。こうした著書を取り消すことは、ローマの圧政を助長し、多くのはなはだしい邪悪行為への道を、さらに開くことになる。彼の著書の第三の部類は、現存する害悪を弁護した諸個人を攻撃したものであった。これについて彼は、度を越えて激しく行ったことを率直に告白した。彼は、誤りがなかったとは言わなかった。しかし彼は、これらの著書に関しても取り消すことはできなかった。というのは、そうするならば、真理の敵を大胆にし、ますます残忍に神の民を粉砕するおそれがあったからである。 GCJap 184.2
彼は言葉を続けた。「とはいえ、わたくしは単なる一個の人間にすぎず、神ではありません。ですからわたくしは、キリストのように、『もしわたしが何か悪いことを言ったのなら、その悪い理由を言いなさい』と弁明するものであります。……神の憐れみによってわたくしは、いと高き皇帝陛下と諸侯、そして、すべての諸賢が、預言者と使徒たちの書によって、わたくしが誤っていることを証明してくださるよう懇願いたします。わたくしがこれを納得いたしましたなら、ただちに、すべての誤りを取り消し、わたくしがまず第一に、わたくしの書物をとって火に投げ込みましょう。 GCJap 184.3
ただいまわたくしが申し上げましたことから、わたくしは自分が当面しております危険について十分に考察吟味したということが、おわかりいただけると思います。しかしわたくしは、少しも落胆してはおりません。福音が昔のように、今、紛争と議論の原因になったことを、わたくしは喜びます。これが、神のみ言葉の特質であり、運命なのです。『平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである』とイエス・キリストは言われました。 GCJap 185.1
神は、驚くべき、また恐るべきことを仰せになっています。紛争を鎮めようとして、神のみ言葉に逆らい、自分自身の上に避けることのできない危険と災害の恐るべき大洪水を招き、永遠の破滅に陥ることのないよう、注意いたさねばなりません。……わたくしは、神のみ言葉から多くの実例を挙げることができます。たとえば、パロや、バビロンの王たち、イスラエルの王たちは、一見最も賢明と思われた方法である会議によって、王国を強化しようとしたのですが、実は、こうした彼らの努力が、他の何よりも彼らの破滅を早めるのに貢献したのでした。『神は山を移されるが、彼らはそれを知らない』とあるとおりです」 GCJap 185.2