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人類のあけぼの - Contents
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    第25章 エジプト脱出

    本章は、出エジプト記12:34~51、13~15蟻に基づくPP 141.4

    イスラエル人は、腰を引きからげ、足にくつをはき、手につえを取って黙々と畏敬の念をいだいて立ち、王からの出発の命令を今か今かと待っていた。彼らは、夜が明ける前に出発した。神の力のあらわれが、奴隷たちの心に信仰の火をともした。圧迫者を恐怖に陥れた災いが下っていた間に、イスラエル人は、次第にゴセンに集まってきた。彼らの脱出は突然ではあったが、それにもかかわらず、群衆を移動させるのに必要な組織と統制の用意はすでになされていたので、彼らは定められた指揮者のもとに隊を組んだ。PP 141.5

    出発したのは、「女と子供を除いて徒歩の男子は約60万人であった。また多くの入り混じった群衆および羊、牛など非常に多くの家畜も彼らと共に上った」(出エジプト12:37、38)。この群衆の中 には、イスラエルの神を信じる信仰によって行動した人々ばかりではなく、むしろそれ以上の多くの人々が、ただ災いをのがれることを望んで加わっていた。また、単なる興奮と好奇心にかられて、この移動する群衆のあとについて来た人々もいた。こういう種類の人々は、イスラエルにとっていつも妨害となり、わなとなった。PP 141.6

    イスラエルの人々は、また「羊、牛など非常に多くの家畜」を引きつれて出た。これらは、イスラエル人のものであり、彼らはエジプト人がしたように、自分たちの所有物を王に売るようなことをしなかった。ヤコブとむすこたちは、羊や牛をエジプトにつれて来たが、それらはエジプトで非常にふえていた。イスラエル人はエジプトを去る前に、モーセの指示に従って、未払いの賃金に対する賠償を要求した。エジプト人は、彼らが出ていくことを切望していたので、彼らの要求を拒まなかった。奴隷たちは、圧迫者から得た宝を多く携えて出て行った。PP 142.1

    数百年前にアブラハムが幻によって啓示された歴史の期間が、この日に終わりを告げた。「あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを400年の間、悩ますでしょう。しかし、わたしは彼らが仕えたその国民をさばきます。その後かれらは多くの財産を携えて出て来るでしょう」(創世記15:13、14)。その400年が満ちた。「ちょうどその日に、主はイスラエルの人々を、その軍団に従ってエジプトの国から導き出された」(出エジプト12:51、40、41、13:19参照)。イスラエル人がエジプトを離れたとき、ヨセフの骨という貴重な遺物を携えていた。ヨセフの骨は、長い間神の約束の成就を待つとともに、暗い奴隷生活の年月の間、イスラエルの解放を思い起こさせるものであった。PP 142.2

    主は、カナンに向かうのに、ペリシテ人の国を通って行く最短の道を行かせずに、紅海の岸にそって南に彼らを導かれた。「民が戦いを見れば悔いてエジプトに帰るであろうと、神は思われたからである」(同13:17、18、20~22参照)。もし、彼らがペリシテの国を通ろうとしていたならば、彼らの旅は妨害されたであろう。ペリシテ人は、イスラエル人を主人のところから逃走している奴隷と見なし、ためらうことなくイスラエル人に戦いをいどんだことであろう。イスラエル人は、貧弱な準備しかなかったので、この強力で好戦的な民族と戦いをまじえることはてきなかった。彼らは、神に関してほとんど知識を持っておらず、信仰も弱かったので恐怖に襲われ、心がくじけてしまったことであろう。彼らは、武器もなく、戦いにも慣れておらず、長い束縛によって心がくじかれていた。その上、女、子供、羊、牛などを引き連れていた。主は彼らを紅海に行く道にお導きになって、ご自分が裁きの神であると同時に、憐れみの神であることをあらわされた。PP 142.3

    「こうして彼らは更にスコテから進んで、荒野の端にあるエタムに宿営した。主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった」(同13:20~22)。「主は雲をひろげておおいとし、夜は火をもって照された」と詩篇記者は言っている(詩篇105:39、Ⅰコリント10:1、2参照)。目に見えない指導者の旗じるしが、いつも彼らのそばにあった。昼は、雲が彼らの旅路を導き、また、イスラエルの軍勢の頭上に天蓋のようにひろがっていた。それは、焼けるような熱から保護する役目を果たし、その涼気と湿度は、かわききって干からびた砂漠の中で、生気を回復させるものとしてまことにありがたいものであった。夜になるとそれは火の柱になって、彼らの天幕を照らし、たえず主のこ臨在をあかししていた。PP 142.4

    イザヤの最も美しく、慰めに満ちた預言の言葉のなかで、この雲と火の柱は、悪の勢力との最後の大争闘において、神が、神の民を守られることの象徴として用いられている。「その時、主はシオンの山のすべての場所と、そのもろもろの集会との上に、昼は雲をつくり、夜は煙と燃える火の輝きとをつくられる。これはすべての栄光の上にある天蓋であり、あずまやであって、昼は暑さをふせぐ陰となり、また暴風と雨 を避けて隠れる所となる」(イザヤ4:5、6)。PP 142.5

    彼らは、荒涼とした砂漠を通って旅を続けた。彼らは早くも、この道をたどって行けばどこに行きつくのだろうかと思いはじめていた。彼らは苦しい旅路に疲れはじめ、ある者は心の中でエジプト人が追跡してくるのではないかと恐れはじめていた。しかし、雲が前進するので、彼らも従った。それから主は、モーセに狭い岩の谷のほうに歩を転じ、海のそばに天幕をはるように命令された。パロは、彼らを追跡してはくるけれども、神が彼らをお救いになって、神に栄光が帰されることがモーセに示された。PP 143.1

    エジプトでは、イスラエル人が荒野にとどまって礼拝をするかわりに、紅海に向かって前進しているという知らせが広まった。パロの大臣たちは王に向かって、奴隷たちは逃亡してしまって、2度と戻ってこないだろうと言った。人々は、神の力によって長子が殺されたと考えたのは愚かであったと後悔した。エジプトの指導者たちは恐怖から立ちなおって、災いは自然現象の結果であると説明した。「われわれはなぜこのようにイスラエルを去らせて、われわれに仕えさせないようにしたのであろう」と悲痛な叫び声をあげた(出エジプト14:5)。PP 143.2

    パロは、「えり抜きの戦車600と、エジプトのすべての戦車」および騎兵、指揮者、歩兵からなる彼の軍勢を集めた(同14:7)。王自身も彼の王国の勇士たちを従えて、攻撃軍の先頭に立った。彼らは、神々の恵みによって戦いに勝利をおさめる確証として祭司も共に連れてきた。王は、堂々たる彼の勢力を誇示して、イスラエル人の勇気をくじこうと思った。エジプト人は、イスラエルの神に屈服させられたために、他国民の嘲笑の的になったのではないかと恐れていた。そこで、もし彼らが今出て行って、その偉力を示し、逃亡者を連れもどしたならば、奴隷たちの労働力を取り返すと同時に、彼らの栄光を再び回復することができるのであった。PP 143.3

    ヘブル人は、海のそばに天幕を張った。海の水は彼らの前に立ちはだかって、通り抜けることのできない障害のように思われた。一方、南側にはけわしい山があって、彼らの進行を妨げていた。突然、彼らは遠くかなたに強力な軍勢の接近を示す武器のきらめきと戦車の動きを見た。エジプトの軍勢が近づくにつれて、彼らが全力で追跡してくるのがわかった。PP 143.4

    イスラエルの人々は恐怖に襲われた。主に叫ぶ者もあったが、大部分の者はモーセのところにかけよってつぶやいた。「エジプトに墓がないので、荒野で死なせるために、わたしたちを携え出したのですか。なぜわたしたちをエジプトから導き出して、こんなにするのですか。わたしたちがエジプトであなたに告げて、『わたしたちを捨てておいて、エジプトびとに仕えさせてください』と言ったのは、このことではありませんか。荒野で死ぬよりもエジプトびとに仕える方が、わたしたちにはよかったのです」(同14:11、12)。PP 143.5

    民のために示された神の力を、何度も目撃しているにもかかわらずなぜ彼らは、このような弱い信仰しか持てないのかと、モーセは非常に悩んだ。モーセが神の明らかな命令に従ってきたことがわかっているのに、彼らはなぜ自分たちのおかれた、危険で困難な事態の責任をすべてモーセに負わせようとするのであろうか。事実、神が彼らをお救いになるために介入なさらなければ、解放される可能性はなかったのである。しかし、モーセは神の命令に従ったために、このような事態におかれたのであったから、その結果を恐れていなかった。モーセは静かに、確信をもって人々に答えた。「あなたがたは恐れてはならない。かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい。きょう、あなたがたはエジプトびとを見るが、もはや永久に、2度と彼らを見ないであろう。主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」(同14:13、14)。PP 143.6

    イスラエルの軍勢を、主のみ前にじっと待たせておくことは容易なことではなかった。彼らは訓練と自己抑制に欠けていたので、狂暴になり、道理をわきまえなかった。彼らは直ちに圧迫者の手に落ちるものと思って、大声で激しく泣き叫んだ。彼らは、驚くべき雲の柱を、神が前進せよとお命じになる合図と見て従ってきたが、今彼らは、それが何かの恐ろしい災い の前兆ではなかったろうかと疑った。なぜなら、雲は、彼らを山の反対側の通り抜けることのできない道に導いたからであった。こうして神の天使は、彼らの混乱した心には、災いの先ぶれと思われたのである。PP 143.7

    さて、エジプトの軍勢が今にも彼らを餌食にしようとして近づいてきたとき、雲の柱は天に向かっておごそかに昇っていった。そして、イスラエル人の頭上を越え、イスラエル人とエジプトの軍勢との間に下った。追われる者と追う者の間に暗黒の障壁が立ちはだかった。エジプト人は、もはや、ヘブル人の陣営を見分けることができなくなり、やむを得ず立ち止まった。しかし、夜のやみが深まるにつれて、この雲の壁はヘブル人には大きな光となり、真昼の輝きをもって全陣営を照らした。PP 144.1

    こうして、イスラエル人の心に希望がよみがえった。モーセは、主に向かって声を上げた。「主はモーセに言われた、『あなたは、なぜわたしにむかって叫ぶのか。イスラエルの人々に語って彼らを進み行かせなさい。あなたはつえを上げ、手を海の上にさし伸べてそれを分け、イスラエルの人々に海の中のかわいた地を行かせなさい』」(同14:15、16)。PP 144.2

    詩篇記者はイスラエル人が海を渡ったことを述べて、こう歌っている。「あなたの大路は海の中にあり、あなたの道は大水の中にあり、あなたの足跡はたずねえなかった。あなたは、その民をモーセとアロンの手によって羊の群れのように導かれた」(詩篇77:19、20)。モーセが、つえをのべると水は分かれ、イスラエル人は海の中のかわいた地を行ったが、その間、水は壁のように両側に立っていた。神の火の柱から出る光は、あわだった大波の上を照らし、海の水の中に巨大なみそのように開かれて、はるか向こう岸までかすんで見える道を照らしていた。PP 144.3

    「エジプトびとは追ってきて、パロのすべての馬と戦車と騎兵とは、彼らのあとについて海の中にはいった。暁の更に、主は火と雲の柱のうちからエジプトびとの軍勢を見おろして、エジプトびとの軍勢を乱し」、エジプト人が驚いて見ている前で、この不思議な雲は火の柱に変わった(出エジプト14:23、24)。雷鳴がとどろき、いなずまがひらめいた。「雲は水を注ぎいだし、空は雷をとどろかし、あなたの矢は四方こきらめいた。あなたの雷のとどろきは、つむじ風の中にあり、あなたのいなずまは世を照し、地は震い動いた」(詩篇77:17、18)。PP 144.4

    エジブト人はあわてふためいた。荒れ狂う自然界の中に、彼らは怒りを発せられた神の声を聞き、きびすを返して再びもとの岸辺に逃げかえろうとした。しかし、モーセがつえをさしのべると、おしとどめられていた水がほえたけるような音をたててもとにもどり、黒い海の深みにエジプトの軍勢をのみこんでしまった。PP 144.5

    夜が明けると、イスラエルの群衆は、彼らの強力な敵の残骸、すなわち武具をまとった死体が岸辺に散乱しているのを見た。一夜のうちに彼らは最も恐ろしい危機から完全に救われたのであった。彼らは、戦いに不慣れな奴隷の無力な大群衆で、女子、子供、家畜などをかかえ、前方は海に面し、後方からは強力なエジプトの軍勢の追跡を受けた。しかし、彼らは水を分けて開かれた進路を見、彼らの敵が勝利を目前にしていながら、波にのまれてしまったのを見た。主だけが彼らを救われたのである。彼らは感謝と信仰にみたされて、主に心を向けた。彼らは、心の喜びを歌と賛美であらわした。神の霊がモーセに臨んだので、彼は人々を指揮して勝利を感謝する賛美の歌をうたわせた。この賛美は最も古く、われわれが知っている賛美の歌の中では、最も荘厳なものの1つである。PP 144.6

    「主にむかってわたしは歌おう、PP 144.7

    彼は輝かしくも勝ちを得られた、PP 144.8

    彼は馬と乗り手を海に投げ込まれた。PP 144.9

    主はわたしの力また歌、わたしの救となられた、PP 144.10

    彼こそわたしの神、わたしは彼をたたえる、PP 144.11

    彼はわたしの父の神、わたしは彼をあがめる。PP 144.12

    主はいくさびと、その名は主。PP 144.13

    彼はパロの戦車とその軍勢とを海に投げ込まれた、PP 144.14

    そのすぐれた指揮者たちは紅海に沈んだ。PP 144.15

    大水は彼らをおおい、彼らは石のように淵に下った。PP 145.1

    主よ、あなたの右の手は力をもって栄光にかがやく、PP 145.2

    主よ、あなたの右の手は敵を打ち砕く。……PP 145.3

    主よ、神々のうち、だれがあなたに比べられようか、PP 145.4

    だれがあなたのように、聖にして栄えあるもの、PP 145.5

    ほむべくして恐るべきもの、PP 145.6

    くすしきわざを行うものであろうか。……PP 145.7

    あなたは、あがなわれた民を恵みをもって導き、PP 145.8

    み力をもって、あなたの聖なるすまいに伴われた。PP 145.9

    もろもろの民は聞いて震え、……PP 145.10

    恐れと、おののきとは彼らに臨み、PP 145.11

    み腕の大いなるゆえに、彼らは石のように黙した、PP 145.12

    主よ、あなたの民の通りすぎるまで、PP 145.13

    あなたが買いとられた民の通りすぎるまで。PP 145.14

    あなたは彼らを導いて、PP 145.15

    あなたの嗣業の山に植えられる。PP 145.16

    主よ、これこそあなたのすまいとして、PP 145.17

    みずから造られた所」PP 145.18

    (出エジプト15:1~17)PP 145.19

    この崇高な賛美の歌は、深いふちの音のようにイスラエルの大軍勢からわき起こった。イスラエルの代表的な女性であったモーセの姉ミリアムが、この賛美の歌をうたいながら先頭に進むと、人々もタンバリンを取り、踊りながら従った。荒野と海の遠くかなたまで、喜びに満ちた歌のおりかえしが響きわたり、山々は、「主にむかって歌え、彼は輝かしくも勝ちを得られた」という彼らのたたえの言葉をこだました(同15:21)。PP 145.20

    この歌と、この歌が記念する大いなる解放は、ヘブル人の心にいつまでも消えない印象を与えた。この歌は、代々にわたり、イスラエルの預言者や歌人たちによってくり返し歌われ、主は、彼によりたのむ者の力であり、救いであることをあかしされた。この歌は、ユダヤ民族だけのものではない。それは義の敵がすべて滅び、神のイスラエルが最後に勝利をおさめる未来をさし示している。パトモスの預言者は、白い衣をまとった多くの人々が敵に「うち勝」ち「神の立琴を手にして」「火のまじったガラスの海」のそばに立っているのを見た。「彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とを歌っ」た(黙示録15:2、3)。PP 145.21

    「主よ、栄光をわれらにではなく、われらにではなく、あなたのいつくしみと、まこととのゆえに、ただ、み名にのみ帰してください」(詩篇115:1)。イスラエルの救いの歌にみなぎっていたのはこのような精神であった。この精神が神を愛し、恐れるすべての人々の心の中になければならない。神は、われわれの魂を罪の束縛から解放することによって、紅海でヘブル人にお与えになったものよりはるかに大いなる解放をもたらしてくださるのである。われわれも、ヘブルの軍勢のように、真心から主を賛美し、「人の子らになされたくすしきみわざ」に対して、声をあげなければならない。神の大いなる憐れみを深く思い、神から与えられるさまざまなほかの小さな賜物をもたいせつにする者は、喜びの帯をつけ、その心のうちに主に対する音楽をかなでるのである。PP 145.22

    われわれが神のみ手から受ける日ごとの祝福と、なにものにもましてわれわれに幸福と、天国とを得られるようにしてくださったイエスの死は、われわれの絶えまない感謝の主題でなければならない。神は、われわれをご自身に結びつけ、神のたいせつな宝物としてくださり、なんと大きな憐れみと、たぐいない愛をわれわれ失われた罪人に示されたことであろう。われわれが神の子とよばれるために、なんという大きな犠牲が贖い主によって払われたことであろう。われわれは大いなる贖罪の計画の中で、われわれに与えられる祝福に満ちた望みを思って神をたたえなければならない。われわれは、天の遺産と神の豊かな約束が与えられていることを考えて、神をたたえなければならない。イエスがわれわれのために生きてとりなしをしてくださることをたたえなければならない。PP 145.23

    「感謝のいけにえをささげる者はわたしをあがめる」と創造主は言われた(同50:23)。天の全住民は1つになって神を賛美している。われわれが彼らの輝く列につらなるときにそれを歌えるように、今、天使の歌を学ぼう。詩篇記者と共に言おう。「わた しは生けるかぎりは主をほめたたえ、ながらえる間は、わが神をほめうたおう」(同146:2)。「神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください」(同67:5)。PP 145.24

    神は、み摂理のうちにヘブル人を海に面した山の中に導かれたが、それは、神が彼らを救う力を示し、彼らを圧迫する者の誇りをあからさまにくじくためであった。神は別の方法を用いて彼らを救うこともできたが、彼らの信仰を試み、神に対する彼らの信頼を強めるために、この方法をお選びになった。人々は疲労し、恐怖に満たされていた。しかし、モーセが前進せよと命じたときもし彼らがためらっていたならば、神は彼らのために道を開くことをなさらなかったであろう。「信仰によって、人々は紅海をかわいた土地をとおるように渡った」(ヘブル11:29)。彼らは、水の中を進んで行くことによって、モーセを通してお語りになった神の言葉を信じていることを示した。彼らが力のかぎりを尽くしたときに、イスラエルの力ある神が海を分けて、彼らの歩む道をお作りになった。PP 146.1

    ここに教えられている驚くべき教訓は、いつの時代にもあてはまるのである。クリスチャンの生涯は、しばしば危険にさらされ、義務を果たすことか困難に思われる。われわれは、前方には滅び、後方には束縛や死が迫っているように考える。それにもかかわらず神のみ声は明らかに「前進せよ」と語っている。われわれの目が、暗黒を貫いて見ることができなくても、また、冷たい波を足もとに感じても、われわれはこの命令に従わなくてはならない。われわれの前進を妨げる障害物は、ためらったり疑ったりしていては取り去られることはない。すべての不安のかげが消えうせ、失敗や敗北の危険が全くなくなるまで服従をのばす者は、絶対に服従することはない。「障害物が取り除かれて、われわれの道が明らかに見えるようになるまで待とう」と不信はささやく。しかし、信仰はすべてを望み、すべてを信じておおしく前進することを勧める。PP 146.2

    エジプト人にとって、暗黒の壁であった雲は、ヘブル人には全陣営を照らし、彼らの行く手に光を投げかける大いなる照明の光であった。そのように摂理のうちになされることは、信じない者には暗黒と絶望をもたらすが、信じ、よりたのむ魂には輝く光明であり、平和である。神がお導きになる道は、荒野や海を通っているかも知れないが、安全な道なのである。PP 146.3

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