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人類のあけぼの - Contents
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    第57章 契約の箱ペリシテ人に奪われる

    本章は、サムエル記上3~7章に基づくPP 303.2

    エリの家に、もう1つの警告が与えられなければならなかった。神は、それを大祭司やそのむすこたちには伝えることができなかった。彼らの罪が、厚い雲のように、神の聖霊の臨在をさえぎっていた。しかし、悪の中にあって、幼児サムエルは、天の神に忠実であった。そして、いと高き神の預言者として、エリの家に譴責の言葉を語ることがサムエルに委ねられた。PP 303.3

    「そのころ、主の言葉はまれで、黙示も常ではなかった。さてエリは、しだいに目がかすんで、見ることができなくなり、そのとき自分のへやで寝ていた。神のともしびはまだ消えず、サムエルが神の箱のある主の神殿に寝ていた時、主は『サムエルよ、サムエルよ』と呼ばれた」(サムエル記上3:1~4)。サムエルは、エリが呼んだものと思って、急いで祭司の寝台のところへ行って、「あなたがお呼びになりました。わたしは、ここにおります」と言った。しかし、「わたしは呼ばない。帰って寝なさい」とエリは答えた(同3:5)。サムエルは、3回呼ばれて、3回ともエリは同じような返答をした。そのとき、エリは、その不思議な呼び声が神の声であることを確信した。主は、ご自分が選ばれた白髪のしもべをさしおいて、幼児に語られた。このこと自体がエリとエリの家に対してはつらいことであったが、当然の譴責であった。PP 303.4

    エリには、ねたみ、うらやむ気持ちはなかった。彼は、もう1度呼ばれたならば、「しもべは聞きます。主よ、お話しください」と言うように、サムエルに指示を与 えた。声は、もう1度聞こえた。それで、サムエルは、「しもべは聞きます。お話しください」と言った(同3:9、10)。彼は、偉大な神が自分にお語りになるというので、非常におそれ、エリが言うように命じた言葉をその通り覚えられないのではないかと思った。PP 303.5

    「その時、主はサムエルに言われた、『見よ、わたしはイスラエルのうちに1つの事をする。それを聞く者はみな、耳が2つとも鳴るであろう。その日には、わたしが、かつてエリの家について話したことを、はじめから終りまでことごとく、エリに行うであろう。わたしはエリに、彼が知っている悪事のゆえに、その家を永久に罰することを告げる。その子らが神をけがしているのに、彼がそれをとめなかったからである。それゆえ、わたしはエリの家に誓う。エリの家の悪は、犠牲や供え物をもってしても、永久にあがなわれないであろう』」(同3:11~14)。PP 304.1

    神からこの使命を受ける前、「サムエルはまだ主を知らず、主の言葉がまだ彼に現されなかった」(同3:7)。それというのは、彼が、まだ、神の預言者に与えられる神の臨在のこのような直接のあらわれを知らなかったということである。主は、予期しない方法でご自分をあらわし、少年の驚きと質問とによって、エリがそのことを聞くようになることをご計画になった。PP 304.2

    サムエルは、恐ろしい言葉が彼に委ねられたことを考えて、恐怖と驚きに満たされた。彼は、朝、いつもの務めを果たしていたが、心は重かった。主はまだ恐ろしい非難の言葉を語るようにお命じになっていなかったので、彼は黙っていた。そして、できるだけエリと一緒にいないようにした。彼は、何か質問されて、自分が愛し敬っている人に降下する神の刑罰を言わなければならなくなるのではないかと恐れおののいた。エリは、その言葉が、彼と彼の家の大きな不幸を予告するものであるに違いないと思った。彼は、サムエルを呼んで、主がおあらわしになったことをそのまま話すように命じた。少年は従った。そして、年とったエリは、心を低くして、恐ろしい宣言に聞き従った。「それは主である。どうぞ主が、良いと思うことを行われるように」と彼は言った(同3:18)。PP 304.3

    しかし、エリは、真の悔い改めの実を示さなかった。彼は罪を告白したが、その罪を捨てなかった。主は、何年も刑罰をくだすことを延ばされた。その間に、過去の失敗を償う多くのことができたのであったが、年をとった祭司は、主の聖所を汚し、イスラエルの幾千という魂を滅びに陥れていた悪を正すために、効果的な手段を取らなかった。神の忍耐は、ホフニとピネハスの心を堅くし、さらに大胆に罪を犯させた。エリは、自分の家に与えられた警告と譴責の言葉を、全国に知らせた。彼は、こうした方法で、彼の過去の怠慢の悪影響をいくらかでも取り消そうと望んだ。しかし、祭司たちと同様に、人々も警告を無視した。イスラエルのなかで悪が公然と行われるのを知っていた周りの国々の民も、さらに大胆に偶像礼拝を行い、犯罪を続けた。彼らは、もし、イスラエルの人々が忠誠を尽くしていたならば感じたはずの罪の意識を、自分たちの罪に対して持たなかった。しかし、報復の日は接近していた。神の権威は退けられ、神の礼拝は無視され、軽蔑された。それで、神のみ名の名誉を維持するために、神が手を下さなければならなくなった。PP 304.4

    「イスラエルびとは出てペリシテびとと戦おうとして、エベネゼルのほとりに陣をしき、ペリシテびとはアベクに陣をしいた」(同4:1)。イスラエルの人々は、神の指示も仰がず、大祭司または預言者の同意も得ないでこの遠征に着手した。「ペリシテびとはイスラエルびとにむかって陣備えをしたが、戦うに及んで、イスラエルびとはペリシテびとの前に敗れ、ペリシテびとは戦場において、おおよそ4000人を殺した」(同4:2)。敗北して失望した軍勢が陣営に帰ってきたときに、イスラエルの長老たちは言った、「なにゆえ、主はきょう、ペリシテびとの前にわれわれを敗られたのか」。国家に神の刑罰が下るときは、熟していた。それにもかかわらず、彼らは、自分たちの罪がこの恐ろしい災いの原因であることを悟らなかった。そして、彼らは言った。「シロへ行って主の契約の箱をここへ携えてくることにしよう。そして主をわれわれのう ちに迎えて、敵の手から救っていただこう」(同4:3)。主は、箱を軍勢の中に持ち出す命令も許可もお与えにならなかった。しかし、イスラエルの人々は、箱が、エリのむすこたちによって陣営に運ばれてきたときに、勝利を確信して大声をあげた。PP 304.5

    ペリシテ人は、契約の箱が、イスラエルの神であると思った。彼らは、主が主の民のために行われた偉大なわざを、みなその力のせいにしていた。彼らは、契約の箱が近づいたときに上がった喜びの叫びを聞いて言った。「『ヘブルびとの陣営の、この大きな叫び声は何事か』。そして主の箱が陣営に着いたことを知った時、ペリシテびとは恐れて言った、『神々が陣営にきたのだ』。彼らはまた言った、『ああ、われわれはわざわいである。このようなことは今までなかった。ああ、われわれはわざわいである。だれがわれわれをこれらの強い神々の手から救い出すことができようか。これらの神々は、もろもろの災をもってエジプトびとを荒野で撃ったのだ。ペリシテびとよ、勇気を出して男らしくせよ。ヘブルびとがあなたがたに仕えたように、あなたがたが彼らに仕えることのないために、男らしく戦え』」(同4:6~9)。PP 305.1

    ペリシテ人は、猛烈に戦った。そのため、イスラエルは敗れ、多くの死者を出した。3万人が戦場で倒れ、神の箱は奪われ、エリの2人のむすこは箱を守って戦っている時に倒れた。こうして、神の民であると自認する人々の罪は、必ず罰せられるということが、将来のすべての時代のためのあかしとして、もう1度、歴史に書き残された。神のみこころの知識があればあるほど、それを無視する者の罪は大きいのである。PP 305.2

    イスラエルには、最も戦標すべき災害がくだった。神の箱は奪われ、敵の手中に陥った。主の臨在と能力の象徴が、彼らの中から取り去られて、栄光は、イスラエルから離れた。神の真理と能力の最も驚くべき啓示が、この聖なる箱に結びつけられていた。以前には、箱が現れるたびに、奇跡的勝利が行われたのであった。それは、金のケルビムの翼でおおわれ、至高者なる神の、目に見える象徴であるシェキーナーの、言葉で表現できない栄光が、至聖所のなかで箱の上に宿っていた。しかし、それは、今は勝利を与えなかった。この場合、それは防御とはならなかった。そして、イスラエル全体は悲しみに沈んだ。PP 305.3

    彼らは、自分たちの信仰が、ただ名だけの信仰であって、神を動かす力を失っていたことに気づかなかった。箱の中の神の律法も神の臨在の象徴であった。しかし、彼らは、律法を軽蔑してその要求をさげすみ、彼らの中の主の霊を悲しませた。人々が聖なる戒めに従った時には、主は彼らと共にあって、主の無限の力によって彼らのために働かれた。しかし、彼らが箱を見ても、それを神と結びつけず、神の律法に従って神の啓示されたみこころを尊ばないならば、それは、普通の箱と同様になんの役にも立たない。彼らは、偶像国の人々が、その神々を見るように箱をながめ、あたかもそれ自体に能力と救いの要素があると思った。彼らは、そのなかの律法を犯した。箱の礼拝そのものが、彼らを形式主義と偽善と偶像礼拝に陥れた。彼らの罪が、彼らを神から引き離した。だから神は、彼らが悔い改めて悪を捨てるまでは、彼らに勝利を与えることがおできにならなかった。PP 305.4

    契約の箱と聖所が、イスラエルの中にあるだけでは十分でなかった。祭司が犠牲を捧げ、人々が神の子供と呼ばれるだけでは十分でなかった。主は、よこしまな心をいだいた者の願いを聞かれない。「耳をそむけて律法を聞かない者は、その祈でさえも憎まれる」と記されている(箴言28:9)。PP 305.5

    軍勢が戦いに出て行ったとき、目の見えない老人エリは、シロにとどまっていた。彼は、不安な予感におののきながら、戦いの結果を待った。「その心に神の箱の事を気づかっていたからである」(サムエル上4:13)。彼は幕屋の門の外に場所を設けて、毎日道のかたわらにすわり、戦場からの使者の到着を待ちわびていた。PP 305.6

    ついに、1人のベニヤミン人が、「衣服を裂き、頭に土をかぶって」町に通じる坂を急いでやってきた(同4:12)。彼は、道のそばの老人には目もくれずに通りすぎて、熱狂した群集に敗北と損害の知らせを伝えた。PP 305.7

    泣き叫ぶ声が、幕屋のそばで待ちかまえていたエリの耳に達した。使者が、彼のところへ連れて来られた。彼は、エリに言った。「イスラエルびとは、ペリシテびとの前から逃げ、民のうちにはまた多くの戦死者があり、あなたのふたりの子、ホフニとピネハスも死に」ました、と。これは、恐ろしいことではあったが、エリはそれを予期していたので、耐えることができた。しかし、使者が、「神の箱は奪われました」とつけ加えたときに言葉には表現できない苦悩の色が彼の顔をよぎった(同4:17)。彼は、彼の罪のためにこのように神をはずかしめ、神の臨在がイスラエルから取り去られるに至ったことを考えたときに、もう耐えることができなかった。彼は、力が抜けて倒れ、「首を折って死んだ」(同4:18)。PP 306.1

    ピネハスの妻は、夫が不信心であったにもかかわらず、主をおそれる女であった。義父と夫の死、とりわけ、神の箱が奪われたという恐ろしい知らせが、彼女の死の原因であった。彼女は、イスラエルの最後の希望が消えたと感じた。彼女はこの不幸なときに生まれた子を、イカボデ「栄光は去った」と名づけた。彼女は、臨終の息の中から、悲しそうに、「栄光はイスラエルを去った。神の箱が奪われたからです」と言い続けた(同4:22)。PP 306.2

    しかし、主は、その民を全く捨て去られたのではなかった。また、異教徒が勝ち誇るのを長くお許しにならなかった。彼は、イスラエルを罰する器として、ペリシテ人を用いられたが、ペリシテ人を罰するために、契約の箱を用いられた。以前、それには、神の臨在が宿り、神に従う人々の能力と栄光になった。その目に見えない臨在は、なお宿っていて、神の聖なる律法を犯すものに、恐怖と滅びをもたらすのであった。主は、しばしば、神の民と称する人々の不忠実を罰するために、最もうらみ重なる敵をお用いになる。悪人は、しばらく勝ち誇ってイスラエルが罰せられるのを見るであろう。しかし、彼らもまた、神聖で罪を憎まれる神の宣告を受けなければならない時が来る。心に悪がいだかれているならば、どこであっても、急速で確実な神の刑罰がくだるのである。PP 306.3

    ペリシテ人は、勝ち誇って彼らの5大都市の1つであるアシドドに契約の箱を持って行き、彼らの神ダゴンの神殿の中においた。彼らは、これまで、箱にあった力が彼らのものになり、この力が、ダゴンの力と結合して、彼らを何ものにも負けないものにすると考えた。ところが翌日、彼らは、宮にはいって驚嘆すべき光景をながめた。ダゴンが主の箱の前に、うつむきに地に倒れていた。祭司たちは、うやうやしく偶像を起こして、元の所にもどした。しかし、その像は、翌朝も不思議に破損して、また、箱の前に倒れていた。この偶像の上部は人間の形をしていて、下部は魚になっていた。それで人間の形をしていた部分が全部切りとられ、魚のからだの部分だけが残っていた。祭司と人々は、恐怖に襲われた。彼らは、この不思議な事件を、彼らと彼らの偶像がヘブルの神の前で滅ぼされる凶兆であると考えた。そこで、彼らは箱を宮から移して、それだけを1つの建物に入れておいた。PP 306.4

    アシドドの住民は、苦しい致命的病気に悩まされた。人々は、イスラエルの神が、エジプトにくだされた災害を思い出して、この苦しみは箱が彼らのところにあるからだと思った。彼らは、箱をガテに移すことにきめた。すると災いが移されたところにも及んだので、その町の人々は、箱をエクロンに送った。ここの人々は、箱が来ると恐れて叫んだ。「彼らがイスラエルの神の箱をわれわれの所に移したのは、われわれと民を滅ぼすためである」(同5:10)。彼らは、ガテやアシドドの人々と同様に、彼らの神に助けを求めた。しかし、破壊者の働きはなお続き、人々は非常な苦しみにあい、「町の叫びは天に達した」(同5:12)。人々は、これ以上箱を人家の間に置くことを恐れて、今度はそれを屋外の畑に置いた。すると、地を荒らすねずみの災いが起こり、倉の中や畑にある地の産物を両方とも荒らした。こうなっては、病気とききんのために、国家は全滅するばかりになった。PP 306.5

    箱は、7か月の間、ペリシテ人の地にあった。その間、イスラエルの人々は、それを取り返そうと努めなかった。しかし、ペリシテ人は、今、それを手に入れた時と同じ熱意をもって、それを彼らの間から取り 去ろうとしていた。それは、彼らの力の根源となるどころか、大きな重荷となり、苦しいのろいとなった。しかし、彼らはどうしてよいかわからなかった。それをどこへ持って行っても、神の刑罰がそこに下ったからである。ペリシテ人は、国のつかさたち、祭司や占い師たちを呼んで、しきりにたずねた。「イスラエルの神の箱をどうしましょうか。どのようにして、それをもとの所へ送り返せばよいか告げてください」(同6:2)。彼らは、高価な、とがの供え物をそえて箱を返せばよいと勧められた。「そうすれば、あなたがたはいやされ、また彼の手がなぜあなたがたを離れないかを知ることができるであろう」と祭司たちは言った(同6:3)。PP 306.6

    災害を避けたり、除去したりするためには、金、銀、その他の金属で、破壊をもたらしたもの、または、特に影響を受けたもの、または身体の部分の像を作ることが古代の習慣であった。これが、柱の上、または、どこかよく目立つところに置かれた。こうして像は、それが代表している災害から保護する力があると思われていた。同様のことが、今日でも、ある異教徒の間で行われている。病気で苦しんでいる人が、いやしを求めて偶像の宮に行くと、彼は、病気の部分の像を持って行って、それを神への供え物として捧げる。PP 307.1

    ペリシテ人のつかさたちが、彼らを苦しめた災害の像を作るように指示したのは、一般に行われていた迷信に従ったものであった。「ペリシテびとの君たちの数にしたがって、金の腫物5つと金のねずみ5つである。あなたがたすべてと、君たちに臨んだ災は1つだからである」と彼らは言った(同6:4)。PP 307.2

    これらの賢者たちは、箱に不思議な力があることを認めた。彼らは、その力に対抗する知恵を持ち合わせなかった。それにもかかわらず、彼らは、偶像礼拝をやめて、主に仕えることを人々に勧告しなかった。彼らは、圧倒的刑罰によって、神の権威に従わなければならなくなったにもかかわらず、イスラエルの神を憎んだ。こうして、罪人は、神に逆らって戦うことが無益であることを、神の刑罰によって悟るようになる。心では、神の支配に反逆していても、やむを得ず神の力に従うであろう。このような服従は罪人を救うことができない。われわれは、心を神に捧げなければならない。人間の悔い改めが受け入れられる前に、まず、心が神の恵みによって和らげられなければならない。PP 307.3

    悪人に対する神の忍耐は、なんと大きいことであろう。偶像を礼拝するペリシテ人も、背信したイスラエルも同様に、神の摂理の賜物を受けていた。人の気づかぬ無数の恵みが、恩を忘れて反逆する人間の歩む道に、静かに降り注いでいた。どの祝福も、与え主であられる神のことを語っていたが、彼らは、神の愛に無関心であった。人間の子らに対する神の忍耐は非常に大きかった。しかし、彼らが心をかたくなにして、悔い改めを拒み続けていると、神は、彼らから保護の手を取り除かれた。彼らは、神の創造のみわざ、また、神の言葉の警告、勧告、譴責などの中に、神のみ声を聞くことを拒んだので、神はやむを得ず、刑罰を通して彼らに語らなければならなくなった。PP 307.4

    ペリシテ人の中には、箱を本国に返すことに反対して立ち上がる者もいくらかいた。そんなことをして、イスラエルの神の力を認めることは、ペリシテ人の誇りを傷つけるものであった。しかし、「祭司や占い師」は、パロとエジプト人の頑迷さのまねをして、さらに大きな災難を招かないようにしようと、人々に勧告した。こうして、すべての人が賛成した計画が提出されて、すぐに実行に移されることになった。箱は、金で作ったとがの供え物と共に、新しい車に乗せられて、汚れる危険が全くないようにした。この荷車に、まだくびきをつけたことのない乳牛が2頭つけられた。彼らの子牛は、室内に閉じ込められていて、乳牛はどこにでも行きたいところに自由に行かせることにした。もし箱が、レビ族の一番近い町、ベテシメシの方向へ行って、イスラエル人に返されるならば、ペリシテ人はこの大きな災害をくだしたのはイスラエルの神であるとするのであった。「しかし、そうしない時は、われわれを撃ったのは彼の手ではなく、その事の偶然であったことを知るであろう」と彼らは言った(同・6:9)。PP 307.5

    放された乳牛は、その子牛から離れて、ベテシメシへの道をまっすぐに、なきながら進んで行った。忍 耐強い牛は、人手に導かれないで進んで行った。神の臨在が箱に伴って行った。箱は、安全に定められた場所に到着した。PP 307.6

    それは麦刈りの季節で、ベテシメシの人々は谷で刈り入れていた。「目をあげて、その箱を見、それを迎えて喜んだ。車はべテシメシびとヨシュアの畑にはいって、そこにとどまった。その所に大きな石があった。人々は車の木を割り、その雌牛を燔祭として主にささげた」「ベテシメシの境まで」そのあとについてきたペリシテ人の君たちは、それが迎えられたのを見て、エクロンに帰っていった(同6:13、14、12)。こうして、災害はやんだ。そして、人々は、彼らの災害がイスラエルの神の刑罰であったことを悟った。PP 308.1

    ベテシメシの人々は、箱が自分たちの手中にあるという知らせをすぐに広めたので、周りに住んでいる人々は、それが帰ってきたのを歓迎するために群がってきた。箱は、石の上に置かれた。その石は、まず、祭壇の用を果たしたが、その前で、ほかの犠牲もそれと共に主に捧げられた。もし、礼拝者たちが罪を悔い改めたならば、神の祝福が彼らに与えられるのであった。しかし、彼らは、忠実に神の律法に従っていなかった。そして彼らは幸福の前兆として、箱が帰ってきたことを喜んだけれども、その神聖さをほんとうに理解していなかった。箱を受け入れるために適当な場所を用意するかわりに、それを収穫の野にそのままにしておいた。聖なる箱をながめ、驚くべき方法でそれが返還されたことなどを話し合っているうちに、どこにそのような特殊な能力がひそんでいるのかを、彼らは推測しはじめた。ついに、好奇心にかられて、彼らは、おおいを除き、あえてふたを開こうとした。PP 308.2

    イスラエル全国の人々は、箱を畏敬の念をもって見るように教えられていた。箱を移動させなければならない時に、レビ人は、それをながめてもいけなかった。年に1度、ただ大祭司だけが神の箱を見ることを許されていた。異教のペリシテ人でさえ、そのおおいを取ろうとはしなかった。目には見えなかったが、天使たちがその行くところに常に従っていた。ベテシメシの人々の不敬度な行動は、すみやかに罰せられた。多くの者が、突然殺されたのである。PP 308.3

    生き残った人々は、この刑罰によって、彼らの罪を悔い改めようとはせず、箱を迷信的恐怖で見たにすぎなかった。ベテシメシの人々は、箱を取り除きたいと願いながらも、あえて移動しようともせず、キリアテ・ヤリムの住民に使いを送って、箱を持って行ってくれるように頼んだ。ここの人々は、非常に喜んで、聖なる箱を歓迎した。彼らは、箱が神に従う忠実な者に対する神の恵みの誓いであることを知っていた。厳粛なうちにも喜びに満ちて、彼らは箱を彼らの町に携えてきて、レビ人アビナダブの家に置いた。アビナダブは、むすこのエレアザルにその管理を命じた。こうして、箱は長年そこにとどまっていた。PP 308.4

    主がご自身を、最初にハンナのむすこにお現しになって以来ずっと、サムエルが預言者の職務に召されたことが、全国民に認められるようになった。サムエルは、苦しいことではあったが、忠実に、エリの家に神の警告を伝えて、主の使者としての彼の忠実さを実証した。「主が彼と共におられて、その言葉を1つも地に落ちないようにされたので、ダンからベエルシバまで、イスラエルのすべての人は、サムエルが主の預言者と定められたことを知った」(同3:19、20)。PP 308.5

    イスラエルの人々は、国家として、まだ不信仰で偶像礼拝の状態を続け、その罰としてペリシテ人に屈服した状態が続いた。その間、サムエルは、全国の町々村々を巡回して、人々の心を彼らの先祖の神に向けようと努めた。そして、彼の努力は、よい結果をもたらした。20年間も敵の圧迫に苦しんだあとで、イスラエルの人々は「主を慕って嘆いた」のである(同7:2)。サムエルは彼らに勧告した。「もし、あなたがたが一心に主に立ち返るのであれば、ほかの神々とアシタロテを、あなたがたのうちから捨て去り、心を主に向け、主にのみ仕えなければならない」(同7:3)。イエスが地上におられた時にお教えになったのと同じ実際的敬虔と心の宗教が、サムエルの時代に教えられたことをここに見るのである。古代のイスラエルにとって、キリストの恵みがないならば、宗教の 外的形式は無価値なものであった。それは、現代のイスラエルにとっても同じである。PP 308.6

    古代イスラエルが経験したのと同じ真の心の宗教のリバイバルが、今日必要である。神に帰ろうとする者のとるべき第一歩は、悔い改めである。だれも人に代わって、悔い改めることはできない。われわれ個人個人が神の前にへりくだり、偶像を捨てなければならない。われわれのなし得るすべてを尽くしたときに、主は、彼の救いをあらわされる。PP 309.1

    部族の首長の協力によって、大群衆がミヅパに集まった。ここで彼らは、厳粛な断食を行った。人々は、心を低くして罪を告白した。そして彼らは、教えられた命令に従う決意の証拠として、サムエルに士師の権を授けた。PP 309.2

    ペリシテ人は、この会合を戦争のための相談をしていると思いこみ、その計画が熟する前にイスラエルの人々を散らそうとして、大軍を率いて攻めてきた。彼らの接近の知らせにイスラエルの人々は非常に恐れた。彼らはサムエルに言った。「われわれのため、われわれの神、主に叫ぶことを、やめないでください。そうすれば主がペリシテびとの手からわれわれを救い出されるでしょう」(同7:8)。PP 309.3

    サムエルが、小羊を犠牲に捧げようとしていたとき、ペリシテ人は、戦いをいどんで近づいてきた。そのとき、火と煙と雷鳴の中で、シナイに降りて来られた偉大な神、紅海を分け、イスラエルの人々のために、ヨルダン川の中に道を開かれた偉大なお方が、ふたたび、彼の力をあらわされた。攻撃軍の上に恐ろしい暴風が起こった。そして、強力な戦士たちの死体が地上に乱れ散った。PP 309.4

    イスラエルの人々は、希望と恐怖に震えて、黙って恐れながら立っていた。彼らは敵が殺されたのを見た時に、神が彼らの悔い改めをお受け入れになったことを知った。彼らは、戦いの用意はなかったけれども、殺されたペリシテ人の武器を握って敗走軍をベテカルまで追った。この著しい勝利は、イスラエルが20年前、ペリシテ人に敗れ、祭司たちが殺され、神の箱が奪われたその同じ場所でかち得たものであった。国家であろうと、個人であろうと、神に服従する道は、安全と幸福の道であるが、罪の道は、ただ不幸と敗北に至らせるだけである。ペリシテ人は完全にうちのめされて、前にイスラエルから奪った城を明け渡し、その後長年にわたって敵対行為に出ることはなかった。他の国々もこの模範にならい、イスラエルは、サムエルの単独統治時代が終わるまで平和を楽しんだ。PP 309.5

    サムエルは、この出来事を人々が忘れないために、ミヅパとエシャナの間に大きな石を記念碑として建てた。彼は、それを「主は今に至るまでわれわれを助けられた」と人々に言って、「エベネゼル」(助けの石)と名づけた(同7:12)。PP 309.6

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