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人類のあけぼの - Contents
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    第21章 ヨセフと兄弟たち

    本章は、創世記41:54~56、42~50章に基づくPP 111.1

    豊年の開始と同時に、やがて近づいてくるききんのための準備も始まった。ヨセフの指揮のもとに、エジプト全国の主要な町々には、巨大な倉庫がつくられ、期待された収穫物の余剰を保存する十分の手はずが整った。この同じ方針は、豊作の7年間続けられ、ついに貯蔵してある穀物の量を計ることができないまでになった。PP 111.2

    やがて、ヨセフが予告したように7年間のききんがやってきた。「ヨセフの言ったように7年のききんが始まった。そのききんはすべての国にあったが、エジプト全国には食物があった。やがてエジプト全国が飢えた時、民はパロに食物を叫び求めた。そこでパロはすべてのエジプトびとに言った、『ヨセフのもとに行き、彼の言うようにせよ』。ききんが地の全面にあったので、ヨセフはすべての穀倉を開いて、エジプトびとに売った」(創世記41:54~56)。PP 111.3

    ききんはカナンの地にもおよび、ヤコブが住んでいた地方でも激しくなってきた。エジプトの王が十分なたくわえをしていると聞いて、ヤコブの10人のむすこたちは、穀物を買うためにエジプトにむかった。彼らは到着すると、王の役人のところに行く指示を受けた。そして、買いに来た他の人々とともにエジプト全国のつかさの前にすすんだ。「ヨセフの兄弟たちはきて、地にひれ伏し、彼を拝した」「ヨセフは、兄弟たちであるのを知っていたが、彼らはヨセフとは知らなかった」(同42:6、8)。彼のヘブルの名は、王に与えられた名前に変えられていたし、このエジプトのつかさと、彼らがイシマエルびとに売った若者とはまったく似かよう点はなかった。ヨセフは、兄弟たちが腰をかがめておじぎしているのを見て、かつて彼が見た夢を思い出し、昔の光景がはっきりとよみがえってきた。彼は鋭いまなざしで一同を見わたしたが、ベニヤミンがいないことに気がついた。ベニヤミンも、これらの残忍な兄弟たちの非道な策略のために犠牲になったのではなかろうか。彼は、事実を知ろうと思った。彼は「あなたがたは回し者で、この国のすきをうかがうためにきたのです」ときびしく詰問した(同42:9)。PP 111.4

    彼らはヨセフに答えた、「いいえ、わが主よ、しもべらはただ食糧を買うためにきたのです。われわれは皆、1人の人の子で、真実な者です。しもべらは回し者ではありません」(同42:10、11)。ヨセフは、自分が彼らと一緒にいたころのような高慢な心を、彼らがまだもっているかどうかを知りたかった。また、家のことについて、少しでも手がかりになることを聞き出したいと思った。しかし、兄弟たちの言うことがどんなにあてにならないものかも彼はよく知っていた。そこで同じことをくりかえして尋ねたが、兄弟たちは、「しもべらは12人兄弟で、カナンの地にいるひとりの人の子です。末の弟は今、父と一緒にいますが、他のひとりはいなくなりました」と答えた(同42:13)。PP 111.5

    司は、兄弟たちが物語ることの真実性を疑っているかのようなふりをして、彼らをあいかわらず回し者のように扱った。そして、彼らをためしたいと思うから、彼らがエジプトに残り、1人だけ行って末の弟を連れてくるようにと彼は命じた。もしも兄弟たちが彼の要求に同意しなければ、回し者として取り扱われるのであった、しかし、ヤコブのむすこたちがそんなことをしていれば、家族は食物の不足に苦しまなければならないからそのような取りきめには同意することができなかった。それに、いったいだれが兄弟たちを牢獄に残したまま、ただ1人で旅に出かけるだろうか。そんな事情のもとで父に会うことがどうしてできようか。彼らは殺されるか、あるいは奴隷にされるかもしれないありさまであった。たとえ、ベニヤミンを連れてきたとしても、彼らと同じ運命にあうかもしれない。兄弟たちは、たった1人残ったむすこを失わせて、父をさらに悲しませるよりも、一緒にそのままいて、共に苦しむことにきめた。彼らは、こうしてみな一緒に3 日間、監禁所に入れられた。PP 111.6

    ヨセフが兄弟たちから離れていた年月の間に、ヤコブの子らは品性が変わっていった。彼らは、かつては嫉妬心が強く、乱暴で、人をだまし、残酷で執念深かった。しかし、こうして逆境の中で試練にあったときに、彼らは無我の精神をあらわし、互いに真実で父に孝養をつくし、彼ら自身すでに中年に達していたが、父の権威に従うようになった。PP 112.1

    エジプトの牢獄の中ですごした3日間は、兄弟たちが、過去の罪の数々を反省する苦い悲しみの日々であった。ベニヤミンを連れてこなければ、回し者であるとの疑いは確定するし、ベニヤミンを連れて行くことに父が同意してくれる希望はほとんどなかった。PP 112.2

    3日目になって、ヨセフは兄弟たちを召し出した。彼は、もはやこれ以上兄弟たちを拘留しようとは考えなかった。すでに長く、父とその家族たちは食べ物の不足に苦しんでいる。ヨセフは言った。「こうすればあなたがたは助かるでしょう。わたしは神を恐れます。もしあなたがたが真実な者なら、兄弟のひとりをあなたがたのいる監禁所に残し、あなたがたは穀物を携えて行って、家族の飢えを救いなさい。そして末の弟をわたしのもとに連れてきなさい。そうすればあなたがたの言葉のほんとうであることがわかって、死を免れるでしょう」(同42:18~20)。PP 112.3

    兄弟たちは、父がベニヤミンを彼らと一緒にエジプトへ行かせないだろうと言いつつもこの計画を受け入れることに同意した。ヨセフは、兄弟たちに通訳者を通して話していたので、兄弟たちは自分たちの言葉がつかさにはわからないと思い、自分たちの思うままをヨセフの前で語り合っていた。彼らは互いに、自分たちのヨセフに対するあつかいがまちがっていたことを反省し、「確かにわれわれは弟の事で罪がある。彼がしきりに願った時、その心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでこの苦しみに会うのだ」と言った(同42:21)。ドタンでヨセフを救おうと計ったルベンは、「わたしはあなたがたに、この子供に罪を犯すなと言ったではないか。それにもかかわらずあなたがたは聞き入れなかった。それで彼の血の報いを受けるのです」とつけ加えた(同42:22)。ヨセフはもはや感情をおさえることができず、外に出て泣いた。それからまたもどってきて、ヨセフは兄弟たちの前でシメオンをしばり、牢獄に入れた。かつて彼らがヨセフを残酷にあつかったとき、シメオンが兄弟たちをそそのかした主謀者であった。彼が選ばれたのは、そのためであった。PP 112.4

    兄弟たちに、立ち去る許可を与える前に、ヨセフは彼らに穀物を与え、その代金は、各自の袋の口のところにひそかに返すように指示した。また彼は故郷への旅路の間の家畜の飼料も与えた。帰る途中で、彼らの1人が袋をあけ、金袋を見つけて驚いた。このことを他の者に知らせると彼らはあわてふためき、「神がわれわれにされたこのことは何事だろう」と話し合った(同42:28)。彼らは、これを主からの賜物とすべきだろうか、あるいは、主が彼らの罪を罰するためにこのようなことをし、さらに深い苦しみにあわせようとしておられるのだろうか。兄弟たちは、神が彼らの罪を見られて罰せられるのだと考えた。PP 112.5

    ヤコブは、むすこたちの帰りを今か今かと待っていたが、彼らが到着するや、天幕中の者がみな集まり、彼らが、エジプトで起こったいろいろなことを父に話すのを熱心に聞いた。すべての者の心は、驚きと不安に満たされた。その上、袋をあけてみるとめいめいの袋の中に金包みがはいっているのを見て、エジプトの司の行動にはなにか悪いたくらみがあるように思えて、彼らの恐怖心はますますつのった、悩み、苦しんだ老父は叫んだ。「あなたがたはわたしに子を失わせた。ヨセフはいなくなり、シメオンもいなくなった。今度はベニヤミンをも取り去る。これらはみなわたしの身にふりかかって来るのだ」。ルベンは答えた。「もしわたしが彼をあなたのもとに連れて帰らなかったら、わたしのふたりの子を殺してください。ただ彼をわたしの手にまかせてください。わたしはきっと、あなたのもとに彼を連れて帰ります」。この軽率な言葉は、ヤコブの心を慰めることができなかった。彼の答えは、「わたしの子はあなたがたと共に下って行ってはならない。彼の兄は死に、ただひとり彼が残って いるのだから。もしあなたがたの行く道で彼が災に会えば、あなたがたは、しらがのわたしを悲しんで陰府に下らせるであろう」(同42:36~38)。PP 112.6

    しかし、ききんは続いた。時がたつにつれてエジプトから持ってきた穀物もほとんどなくなった。ヤコブのむすこたちは、ベニヤミンを連れずにエジプトに行くことはむだなことを知っていた。彼らは父の決心を変える望みが全くないことがわかっていたので、だまってなりゆきを見守っていた。飢饉はいよいよ激しさを増していった。宿営にいるすべての人々の沈んだ表情を見て、年老いたヤコブは、彼らの必要をさとった。ついに彼は、「また行って、われわれのために少しの食糧を買ってきなさい」と言った(同43:2)。PP 113.1

    ユダは答えた。「あの人はわれわれをきびしく戒めて、弟が一緒でなければ、わたしの顔を見てはならないと言いました。もしあなたが弟をわれわれと一緒にやってくださるなら、われわれは下って行って、あなたのために食糧を買ってきましょう。しかし、もし彼をやられないなら、われわれは下って行きません。あの人がわれわれに、弟が一緒でなければわたしの顔を見てはならないと言ったのですから」。父の決心が揺らぎ始めたのを見てユダはさらに、「あの子をわたしと一緒にやってくだされば、われわれは立って行きましょう。そしてわれわれもあなたも、われわれの子供らも生きながらえ、死を免れましょう」(同43:3~5、8)と言い、自分がベニヤミンの身を保証し、もしもベニヤミンを父のもとに返さなかったならば、自分が永久にその責任を負うと言った。PP 113.2

    ヤコブは、もはや同意せざるを得なくなり、むすこたちに、旅に出る準備をすることを命じた。ヤコブは、飢饉で荒廃した国で産出する「少しの乳香、少しの蜜、香料、もつやく、ふすだしう、あめんどう」を司のため、そして、倍額の金を持っていくことを命じた。「弟も連れ、立って、またその人の所へ行きなさい。どうか全能の神がその人の前であなたがたをあわれみ、もうひとりの兄弟とベニヤミンとを、返させてくださるように。もしわたしが子を失わなければならないのなら、失ってもよい」(同43:11、13、14)。PP 113.3

    彼らはもう一度エジプトに行き、ヨセフの前に出た。ヨセフが、自分の母の子、ベニヤミンを見ると深く感動した。それでもヨセフは感情をあらわさず彼らを自分の家に連れてゆき、食事を共にする準備を命じた。つかさの邸宅に連れてゆかれた兄弟たちは、袋の中にあった金包みのことで呼ばれたのではないかと大きな不安にかられた。彼らは、自分たちを奴隷にするために金がわざと袋の中に入れられたのだと思った。PP 113.4

    困り果てた兄弟たちは、ヨセフの家司に、自分たちがエジプトに来た事情や、自分たちがなんの罪もないことを証明するために、袋の中にあった金包みを持ってきたこと。それから食糧を買うための金も持ってきたことなどを話し、「われわれの銀を袋に入れた者が、だれであるかは分りません」とつけ加えた。すると家司は答えた。「安心しなさい。恐れてはいけません。その宝はあなたがたの神、あなたがたの父の神が、あなたがたの袋に入れてあなたがたに賜わったので魂あなたがたの銀はわたしが受け取りました」(同43:22。23)。彼らの心配はなくなった。そして、シメオンが牢獄から出されて、兄弟たちに加わったとき、彼らはたしかに神は憐れみ深いおかただと感じた。PP 113.5

    司がふたたび彼らの前に現れると、彼らは贈り物をさし出し、身を低くし、「地に伏して、彼を拝した」。このとき、ヨセフはもう一度前に見た夢を思い出したヨセフは、彼の客へのあいさつがすむとすぐ、「あなたがたの父、あなたがたがさきに話していたその老人は無事ですか。なお生きながらえておられますか」とたずねた。「あなたのしもべ、われわれの父は無事で、なお生きながらえています」と兄弟たちは答えてもう一度礼をした(同43:26、27、28)。それから、ヨセフはベニヤミンに目をとめて、「これはあなたがたが前にわたしに話した末の弟ですか」と言った。「わが子よ、どうか神があなたを恵まれるように」となつかしさのあまり言っただけで、それ以上何も言えなかった。彼は「へやにはいって泣いた」(同43:29、30)。PP 113.6

    ヨセフは、ふたたび冷静をとりもどしてみんなのところへかえり、一同食事にとりかかった。エジプト人は、階級制度によって、異民族と食事をともにすることを禁じられていた。ヤコブのむすこたちは、自分たちだけの席に着いた、司は、身分が高いために1人で食事をし、エジプト人たちは、また別の食卓に着いた。すべての者が席に着いたとき、兄弟たちは、年令にしたがって正しい順序にすわらせられたのを見て非常に驚いた。「ヨセフの前から、めいめいの分が運ばれたが、ベニヤミンの分は他のいずれの者の分よりも5倍多かった」(同43:34)。こうして、ベニヤミンにだけ特に好意を示すならば、自分のときと同じように、兄弟たちが末の弟にも羨望や嫉妬をあらわすかもしれぬとヨセフは考えた。兄弟たちは、あいかわらずヨセフには言葉が通じないと思って、互いに自由に話し合っていた。これは、ヨセフが兄弟たちの本当の感情を知るよい機会であった。彼は、さらに兄弟たちをためそうと思い、彼らが出発する前にヨセフ自身の銀の杯を末の弟の袋の中にかくすように命じた。PP 114.1

    彼らは喜んで出発した。シメオンもベニヤミンも彼らと共にいる。動物の背中には穀物が積まれていた。兄弟たちは、やっと自分たちを囲んでいるように見えた危機から安全に脱出したと思った。しかし、彼らが町はずれに着くか着かないうちに、家司が追いついて、「あなたがたはなぜ悪をもって善に報いるのですか、なぜわたしの銀の杯を盗んだのですか。これはわたしの仁人が飲む時に使い、またいつも占いに用いるものではありませんか。あなたがたのした事は悪いことです」ときびしく問いただした(同44:4、5)。その杯は、その中に盛られたどんな毒も見わける力があると思われていた。当時、このような杯は毒殺を防ぐために珍重されていたのである。PP 114.2

    この家司の非難に、旅人一洞は答えた。「わが宅は、どうしてそのようなことを言われるのですか。しもべらは決してそのようなことはいたしません。袋の口で見つけた銀でさえ、カナンの地からあなたの所に持ち帰ったほどです。どうして、われわれは御主人の家から銀や金を盗みましょう。しもべらのうちのだれの所でそれが見つかっても、その者は死に、またわれわれはわが主の奴隷となりましょう」(同44:7~9)。「家司は言った、『それではあなたがたの言葉のようにしよう。杯の見つかった者はわたしの奴隷とならなければならない。ほかの者は無罪です』」(同44:10)。PP 114.3

    ただちに取り調べがはじまった。「そこで彼らは、めいめい急いで袋を地におろし、1人1人その袋を開いた」(同44:11)。そして家司はルベンから始めて年令順に年下の者まで捜したところ、ベニヤミンの袋の中から銀の杯が発見された。PP 114.4

    兄弟たちは、あまりの悲しさに衣服を裂き、重い足どりでまた町へもどった。約束の通りに、ベニヤミンは奴隷の生涯を送らなければならない。彼らは、家司のあとについて邸宅に行ったところ、そこに司がまだいるのを見つけて、彼の前にひれ伏した。ヨセフは彼らに言った。「あなたがたのこのしわざは何事ですか。わたしのような人は、必ず占い当てることを知らないのですか」(同44:15)。ヨセフは、兄弟たちから罪を自覚することばを聞きたいと思っていた。彼は、占いの力が自分にあると言ったわけではないが、彼らの生涯の秘密さえも見通すことができるのだと彼らに信じさせたかったのである。PP 114.5

    ユダは答えた。「われわれはわが主に何を言い、何を述べ得ましょう。どうしてわれわれは身の潔白をあらわし得ましょう。神がしもべらの罪をあはかれました、われわれと、杯を持っていた者とは共にわが主の奴隷となりましょう」(同44:16)。PP 114.6

    ヨセフは答えた。「わたしは決してそのようなことはしない。杯を持っている者だけがわたしの奴隷とならなければならない。ほかの者は安全に父のもとヘ上って行きなさい」(同44:17)。PP 114.7

    深い悲しみにくれて、ユダは司に近づき哀願した。「ああ、わが主よ、どうぞわが主の耳にひとこと言わせてください。しもべをおこらないでください。あなたはパロのようなかたです」(同44:18)。ユダは、ヨセフを失ったときどんなに父が悲しんだか、そして、ヤコブが最も愛した妻ラケルの残した、ただひとりの 子ベニヤミンをエジプトに連れてくることもどんなにためらったかを、感動的な言葉で雄弁に述べた。彼は言った。「わたしがあなたのしもべである父のもとに帰って行くとき、もしこの子供が一緒にいなかったら、どうなるでしょう。父の魂は子供の魂に結ばれているのです。この子供がわれわれと一緒にいないのを見たら、父は死ぬでしょう。そうすればしもべらは、あなたのしもべであるしらがの父を悲しんで陰府に下らせることになるでしょう。しもべは父にこの子供の身を請け合って『もしわたしがこの子をあなたのもとに連れ帰らなかったら、わたしは父に対して永久に罪を負いましょう』と言ったのです。どうか、しもべをこの子供の代りに、わが主の奴隷としてとどまらせ、この子供を兄弟たちと一緒に上り行かせてください、この子供を連れずに、どうしてわたしは父のもとに上り行くことができましょう。父が災に会うのを見るに忍びません」(同44:30~34)。PP 114.8

    ヨセフは満足した。彼は兄弟たちの中に真の悔い改めの実を見ることができた。このユダの高潔な言葉を聞いて、兄弟たち以外の者に外に行くように命じ、声をあげて泣き叫んだ。「わたしはヨセフです。父はまだ生きながらえていますか」(同45:3)。PP 115.1

    兄弟たちは恐れ驚いて身動きひとつせず、立ったまま黙っていた。嫉妬にかられて殺そうと企て、ついに、奴隷に売ってしまった弟ヨセフが、エジプトの司になっているとは。ヨセフを苦しめたすべての悪行が、彼らの目に浮かんだ。彼らは、ヨセフが見た夢をさげすみ、けんめいになってその実現を妨げようとしたことを思い出した。ところが、今、彼ら自身が実際にその通りのことを行っているのである。今や彼らはまったくヨセフの手中におかれていた。疑いもなく、ヨセフは自分が受けたひどい取り扱いの仕返しをするだろうと思うのであった。PP 115.2

    ヨセフは、兄弟たちの取り乱したさまを見て、やさしく「わたしに近寄ってください」と言った。彼らが近寄ったので彼は続けた。「わたしはあなたがたの弟ヨセフです。あなたがたがエジプトに売った者です。しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです」(同45:4、5)。ヨセフは、兄弟たちが自分に対する残酷な行為のために、もう十分に苦しんでいることを感じて、彼らの恐怖心を取りのぞき、自責の痛みをやわらげようと気高くも努めた。PP 115.3

    彼は続けて言った。「この2年の間、国中にききんがあったが、なお5年の間は耕すことも刈り入れることもないでしょう。神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救をもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。それゆえわたしをここにつかわしたのはあなたがたではなく、神です。神はわたしをパロの父とし、その全家の主とし、またエジプト全国のつかさとされました。あなたがたは父のもとに急ぎ上って言いなさい、『あなたの子ヨセフが、こう言いました。神がわたしをエジプト全国の主とされたから、ためらわずにわたしの所へ下ってきなさい。あなたはゴセンの地に住み、あなたも、あなたの子らも、孫たちも、羊も牛も、その他のものもみな、わたしの近くにおらせます。ききんはなお5年つづきますから、あなたも、家族も、その他のものも、みな困らないように、わたしはそこで養いましょう』。あなたがたと弟ベニヤミンが目に見るとおり、あなたがたに口ずから語っているのはこのわたしです』。そしてヨセフは弟ベニヤミンのくびを抱いて泣き、ベニヤミンも彼のくびを抱いて泣いた。またヨセフはすべての兄弟たちに口づけし、彼らを抱いて泣いた。そして後、兄弟たちは彼と語った」(同45:6~12、14、15)。兄弟たちは、心を低くして罪を告白し、赦しを請い求めた。彼らも長い間、不安と悔恨の念に苦しんできたが、今、ヨセフが生きていたことを知ってよろこんだ。PP 115.4

    この事件はすぐに王の耳に入った。王は、ヨセフに深く感謝していたので、「わたしはあなたがたに、エジプトの地の良い物を与えます」(同45:18)と言ってヨセフが家族を迎えることに承認を与えた。兄弟たちは車や食糧を十分に与えられ、全家族と従者たちがエジプトに移住するのに必要なすべてのも のを得て出発した。ヨセフは、ベニヤミンに他の兄たちよりも高価なものを贈った。故郷に帰る途中で争いが起こるのを心配して、出発するにあたり、「途中で争ってはなりません」と告げてみんなに贈りものをした。PP 115.5

    ヤコブのむすこたちは、「ヨセフはなお生きていてエジプト全国のつかさです」という喜びの知らせをもって父のところに帰った。ヤコブは最初、驚きのあまり、それをほんとうだと信じることができなかった。しかし、車や、荷物を積んだ家畜の長い列を見、もうひとたびベニヤミンを見たヤコブは、それを信じた。「満足だ。わが子ヨセフがまだ生きている。わたしは死ぬ前に行って彼を見よう」と喜びにみたされて叫んだ(同45:26、28)。PP 116.1

    10人の兄弟たちは、もう1つ身を低くしてなすべきことがあった。彼らは、長年父の生涯を苦しめ、また、彼ら自身の生活を悲惨なものにした欺瞞と残酷な行為とを父に告白した。ヤコブは、彼らがそれほど卑劣な罪を犯していたとは思わなかった。しかし、神がすべてのことをよいように支配してくださったので、むすこたちのあやまちを赦し、祝福した。PP 116.2

    父とむすこたちと、その家族、羊や家畜の群れ、また、多くの従者たちは、やがてエジプトへと旅立った。彼らは喜びに満たされて旅を続けた。彼らがベエルシバに着いたとき、ヤコブは感謝の犠牲をささげ、主が共におられるという確証が与えられることを祈り求めた。夜の幻のうちに主のみ声が聞こえた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下るのを恐れてはならない。わたしはあそこであなたを大いなる国民にする。わたしはあなたと一緒にエジプトに下り、また必ずあなたを導き上るであろう」(同46:3、4)。PP 116.3

    「恐れてはならない。わたしはあそこであなたを大いなる国民にする」との保証には意味があった。アブラハムに対してその子孫が星の数ほどになるとの約束が与えられたが、それでも選民の数はわずかずつしかふえていかなかった。それにカナンの地も預言されたような大いなる国民の発展には十分な土地ではなかった。そこには強力な異教民族が住みついており、「4代目」になるまでは占領できないことになっていた。もしもイスラエルの子孫がここで数の多い民族になるとすれば、彼らはカナンの人々を追放するか、あるいは彼らの中に離散するかしなければならなかった。カナン人を追い出すことは、神のご計画に従えば、彼らには不可能であった。また、カナンの人々に混じって生活すれば、偶像礼拝に誘いこまれる危険があった。しかしながら、エジプトは神の御目的の成就に必要な条件がそなわっていたのである。灌漑もよく、肥沃なエジプトの一地区が彼らに開放され、そこは人口が急速に増加するのに好都合であった。「羊飼はすべて、エジプトびとの忌む者」であるといわれて、職業的反感にもエジプトで当面するのであったが、かえってそのために、異なった別の民族としての区別を保つことができて、エジプトびとの偶像礼拝に加わらずにすんだ。PP 116.4

    一行はエジプトに着いて、まっすぐにゴセンの地に向かった。ヨセフは、エジプトの司の乗る車に乗り、多くのいかめしい従者たちを従えて到着した。彼は、自分を取りまく華麗な光景も彼の威厳ある地位のことも忘れてしまった。彼は、ただ1つのことで心がいっぱいになり、ただ1つの熱望に心をおどらせていた。彼は、旅人たちが近づいてくるのを見ると、長年の間心に秘めていた父を慕う気持ちを、もはやおさえることができなかった。彼は馬車からとびおり、父のもとにかけよって歓迎した。そして「父に会い、そのくびを抱き、くびをかかえて久しく泣いた。時に、イスラエルはヨセフに言った、『あなたがなお生きていて、わたしはあなたの顔を見たので今は死んでもよい』」(同46:29、30)。PP 116.5

    ヨセフは、兄弟たち5人をパロに会わせるために連れてゆき、将来、家を建てる土地の許可をもらおうと思った。パロは総理大臣ヨセフに感謝の念をいだいていたから、彼らをエジプトの名誉ある公職につかせることもできたであろう。しかし、ヨセフは兄弟たちが主の真の礼拝を忠実に行い、異教の王宮で誘惑にさらされることがないようにしようと思った。そこで、 王から質問された場合、正直に自分たちの職業を明かすように兄弟たちに助言した。ヤコブのむすこたちはその助言に従い、自分たちはこの地に寄留するために来ただけで、永住するつもりはないことを注意深く説明し、必要なときにはこの地を離れることができる余地を残しておいた。王は、彼らに住むところを与え、「地の最も良い所」であるゴセンの土地をおくった。PP 116.6

    彼らが到着して間もなく、ヨセフは、父ヤコブもまた、王のもとに連れて行った。ヤコブは、王の宮殿の中では一介の旅人にすぎなかったが、荘厳な大自然の中で、地上の王にまさる天の王と交わっていた。そこで、ヤコブは、自分がすぐれた立場にあることを意識しつつ手を上げてパロを祝福した。PP 117.1

    ヤコブは、ヨセフに再会したときに、今まで長い間の心労と悲哀とが、このように幸福な結末に至ったのだから、もう死んでもよいと言った。しかし、彼は、その後17年間も生きながらえて、平和なゴセンの地で余生を送った。これらの年月は、かつての年月とは全くうって変わった幸福なものであった。ヤコブは、むすこたちの真の悔い改めの証拠を見たし、家族が大いなる国民になってゆくのに必要なあらゆる条件がそなわっているのを見た。そして、彼は、やがてカナンにおいて、彼らがりっぱな国を築いて行くたしかな約束を理解した。ヤコブ自身、エジプトの総理大臣のなしうる、あらゆる愛と好意のしるしにかこまれていたのである。こうして、彼は長いあいだ失っていたむすこのもとで、幸福な日々を過ごし、静かに、そして平和に世を去った。PP 117.2

    ヤコブは、死期の近づいたのを感じて、ヨセフのもとに使いを送った。ヤコブは、カナンを与えるとの神のみ約束を堅く信じていた。「どうかわたしをエジプトには葬らないでください。わたしが先祖たちと共に眠るときには、わたしをエジプトから運び出して先祖たちの墓に葬ってください」と言った(同47:29、30)。ヨセフはそうすることを約束したが、ヤコブはそれだけでは満足せずマクペラのほら穴の先祖たちの所に自分を葬るという厳粛な誓いを求めた。PP 117.3

    もう1つ、かたづけておかなければならない大切なことがあった。ヨセフのむすこたちも、イスラエルのむすこたちのなかに正式に受け入れる必要があった。ヨセフは父に最後の面会に来たとき、マナセとエフライムを連れていった。この青年たちは、母の側からいえば、エジプトの大祭司の血縁であった。また、彼らがエジプトびとになることを選べば、父ヨセフの地位から言っても、高い身分と富への道が開かれていた。しかしながらふたりのむすこが自分の民族につらなることがヨセフの希望であった。ヨセフは、自分のむすこたちに代わってエジプトの王宮が与えるすべての名誉を捨てて、神のみ言葉をゆだねられたいやしい羊飼いの部族を選び、神の契約の約束に対する信仰をあらわした。PP 117.4

    ヤコブはヨセフに向かって、「エジプトにいるあなたの所にわたしが来る前に、エジプトの国で生れたあなたのふたりの子はいまわたしの子とします。すなわちエフライムとマナセとはルベンとシメオンと同じようにわたしの子とします」と言った(同48:5)。彼らは、ヤコブ自身のむすことされ、それぞれの部族のかしらになることになった。こうして、ルベンが失った長子の権の1つがヨセフに与えられた。これは、イスラエルにおける2倍の分であった。PP 117.5

    ヤコブの目は、老令のためにかすんでいたので、青年たちがそばに来ても気がつかなかった。しかし、今、彼らの姿を認めて、「これはだれですか」とたずねた。彼らがだれであるかを知らされて彼はこう言った。「彼らをわたしの所に連れてきて、わたしに祝福させてください」(同48:9)。彼らが近づくと、ヤコブは彼らを抱いて口づけし、厳粛に彼らの頭の上に手をおいて祝福した。そして彼はこう祈った。「わが先祖アブラハムとイサクの仕えた神、生れてからきょうまでわたしを養われた神、すべての災からわたしをあがなわれたみ使よ、この子供たちを祝福してください」(同48:15、16)。その言葉には、自己依存の精神もなければ、人間的な能力や技巧に頼る精神も見られなかった。神が彼を守り支えてくださったのである。また、過去の苦い日々についてのつぶやきも聞かれなかった。試練や悲しみも、もはや「身にふ りかかって来る」不幸ではなかった。彼の全生涯の旅路を通じて、ヤコブとともにおられた神の恵みといつくしみだけが記憶によみがえってきた。PP 117.6

    祝福は終わった。ヤコブはむすこに確証を与えた。そして、長い苦役と悲しみの年月を経なければならない次の世代の人々に、このような信仰のあかしを立てた。「わたしはやがて死にます。しかし、神はあなたがたと共におられて、あなたがたを先祖の国に導き返されるであろう」(同48:21)。PP 118.1

    ついに、ヤコブのむすこたちは、彼の臨終の床に集まった。ヤコブはむすこたちを呼びよせて、「ヤコブの子らよ、集まって聞け。父イスラエルのことばを聞け」「後の日に、あなたがたの上に起ることを、告げましょう」と言った(同49:2、1)。PP 118.2

    ヤコブは今までもいくたびか彼らの将来を案じ、各部族がたどる歴史を想像してみたのであった。むすこたちが、最後の祝福を受けようと待っているとき、主の霊感がヤコブに臨み、預言的な幻のうちに彼の子孫の将来が示された。次々とむすこの名があげられ、各自の性質が描写されて、部族の未来の歴史が簡潔に預言された。PP 118.3

    「ルベンよ、あなたはわが長子、PP 118.4

    わが勢い、わが力のはじめ、PP 118.5

    威光のすぐれた者、権力のすぐれた者」PP 118.6

    (創世記49:3)PP 118.7

    こうして、父は長子ルベンがどんな立場に立つはずであったかを描写した。しかし、ルベンはエダルにおける悲しむべき罪のために長子の祝福を受けることができなかった。ヤコブは続けて言った。PP 118.8

    「しかし、沸き立つ水のようだから、PP 118.9

    もはや、すぐれた者ではあり得ない」PP 118.10

    (創世記49:4)PP 118.11

    祭司職はレビに与えられ、王国とメシヤの約束はユダに与えられた。また、ヨセフには、2倍の嗣業が与えられた。ルベンの部族は、イスラエルの中で卓越することなく、ユダやヨセフ、ダンほどの数もなく、最初にバビロンに捕囚となった。PP 118.12

    ルベンの次はシメオンとレビであった。彼らは共謀してシケムびとらを残酷にあつかった。ヨセフを売ったときに、一番罪深かったのも彼らであった。彼らについては次のように言われた。PP 118.13

    「わたしは彼らをヤコブのうちに分け、PP 118.14

    イスラエルのうちに散らそう」PP 118.15

    (創世記49:7)PP 118.16

    イスラエル民族のカナン入国直前に、民を数えたとき、シメオンは一番小さい部族であった。モーセも最後の祝福の中で、シメオンのことについては何も言ってはいない。カナンに定住したとき、この部族はユダの土地の小部分を受け、その家族たちは、後に、おのおの異なった強力な部落を作ったが、聖地の境界の外に定住することになった。PP 118.17

    レビは、カナンの各所に散在する48か所の剛以外はなんの嗣業も受けなかった。しかし、この部族は、他の部族が背信におちたときに、神への忠誠を示したことによって、聖所の清い務めをするように任命されて、のろいは祝福に変わった。PP 118.18

    長子の権の最高の祝福はユダに移された。ユダという名前の意味は「賛美」であるが、この部族の歴史が次のような預言の言葉によって明らかにされた。PP 118.19

    「ユダよ、兄弟たちはあなたをほめる。PP 118.20

    あなたの手は敵のくびを押え、PP 118.21

    父の子らはあなたの前に身をかがめるであろう。PP 118.22

    ユダは、ししの子。PP 118.23

    わが子よ、あなたは獲物をもって上って来る。PP 118.24

    彼は雄じしのようにうずくまり、PP 118.25

    雌じしのように身を伏せる。PP 118.26

    だれがこれを起すことができよう。PP 118.27

    つえはユダを離れず、PP 118.28

    立法者のつえはその足の間を離れることなく、PP 118.29

    シロの来る時までに及ぶであろう。PP 119.1

    もろもろの民は彼に従う」PP 119.2

    (創世記49:8~10)PP 119.3

    森林の王者、ししはこの部族にふさわしい象徴であった。この部族からダビデがあらわれ、ダビデの子、シロすなわち真の「ユダの部族のしし」があらわれた。ついに、この地上のすべての権力は彼を拝し、全国民は彼をあがめるようになる。PP 119.4

    ヤコブはたいていのむすこたちに未来の繁栄を預言した。そして最後にヨセフの番になった。ヤコブは「その兄弟たちの君たる者の頭」に祝福を祈り求めたとき、その心は喜びにあふれた。PP 119.5

    「ヨセフは実を結ぶ若木、PP 119.6

    泉のほとりの実を結ぶ若木。PP 119.7

    その枝は、かきねを越えるであろう。PP 119.8

    射る者は彼を激しく攻め、PP 119.9

    彼を射、彼をいたく悩ました。PP 119.10

    しかし彼の弓はなお強く、PP 119.11

    彼の腕は素早い。PP 119.12

    これはヤコブの全能者の手により、PP 119.13

    イスラエルの岩なる牧者の名により、PP 119.14

    あなたを助ける父の神により、PP 119.15

    また上なる天の祝福、PP 119.16

    下に横たわる淵の祝福、PP 119.17

    乳ぶさと胎の祝福をもって、PP 119.18

    あなたを恵まれる全能者による。PP 119.19

    あなたの父の祝福は永遠の山の祝福にまさり、PP 119.20

    永久の丘の賜物にまさる。PP 119.21

    これらの祝福はヨセフのかしらに帰し、PP 119.22

    その兄弟たちの君たる者の頭の頂に帰する」PP 119.23

    (創世記49:22~26)PP 119.24

    ヤコブは熱烈に深く愛する人であった。彼のむすごたちに対する愛は強く、やさしく、彼らに対する遺言も決して偏愛や恨みに満ちた言葉ではなかった。彼はむすごたちを、みな赦し、最後まで愛し通した。彼の父親としての愛情は、希望と励ましに満ちた言葉の中にあらわれている。しかし、神の力が彼に臨み、霊感の導きのもとにあったときには、たとえそれがどんなに苦しいことであっても真実を語らなければならなかった。PP 119.25

    今や、最後の祝福の言葉も終わった。ヤコブは、もう1度、自分の埋葬の場所をくりかえして指定した。「わたしはわが民に加えられようとしている。マクペラの畑にあるほら穴に……わたしの先祖たちと共にわたしを葬ってください」「そこにアブラハムと妻サラとが葬られ、イサクと妻リベカもそこに葬られたが、わたしはまたそこにレアを葬った」(同49:29~31、英語訳聖書)。こうして、彼の生涯の最後の行為は、神の約束に対する信仰を表明することであった。PP 119.26

    ヤコブの晩年は、悩みと苦しみの1日の後の平和で、静かな夕暮れのようであった。暗雲が彼の道を閉ざしたが、彼の人生の日没は晴れ上がり、天の光輝が彼の最後の時間を明るく照らした。聖書は次のように言っている。「夕暮になっても、光があるからである」「全き人に目をそそぎ、直き人を見よ。おだやかな人には子孫がある」(ゼカリヤ14:7、詩篇37:37)。PP 119.27

    ヤコブは、罪を犯して非常に苦しんだ。彼は大きな罪を犯して父の天幕を離れて以来、悩み、苦しみ、悲しみの長い年月を過ごした。彼は家のない逃亡者となり、母から離れ、しかもふたたびその母に会うことができなかった。彼は、7年間も愛するラケルのために働いたが、卑劣な方法でだまされた。20年もの間、貧欲で、利己的な親族のために苦労した。やがて、自分の富も増し、むすこたちの成長を見ることができたが、争いが絶えず分裂した家庭の中には少しの喜びも見いだすことができなかった。娘の受けたはずかしめ、それに対する兄弟たちの復讐、ラケルの死、ルベンの人の道に反した罪悪、ユダの罪、そして兄弟たちのヨセフに対する残酷な欺瞞と恨みによる苦悩など、なんと長く、暗い罪悪の数々が彼の目の前に広がったことであろう。ヤコブは、いくどとなく、彼の最初の失敗の実を刈り取ったのであった。彼 は幾たびも自分自身の犯した罪を、そのむすこたちがくりかえすのを見た。しかし、このようなこらしめは苦しかったが、その目的を果たしたのである。訓練は悲しいものと思われたが、「平安な義の実を結」んだのである(ヘブル12:11)。PP 119.28

    聖書は、特に神の恵みを受けた善人たちの失敗を、そのまま記録している。実のところ、彼らの美徳よりも、むしろ欠点のほうを詳しく書いてあるくらいである。多くの人々は、このことを不思議に思い、無神論者は、このために聖書を軽蔑する。しかし、聖書が真実であるという最大の証拠は、事実を修飾せず、聖書の主要な人物の罪さえもおおい隠していないことである。人間の心は偏見をいだきやすいもので、人類歴史が絶対的に公平であるということはあり得ない。もしも聖書が、霊感を受けない人間の書いたものであれば、疑いもなく、これらのりっぱな人物の品性も、さらに美化して書いたことであろう。しかし、われわれは、ここに、彼らの経験が正しく記録されたものを持っている。PP 120.1

    神から恵みを受け、大いなる責任を委ねられた人物も、今日のわれわれが、苦しみ、よろめき、しばしばあやまちを犯すのと同様に、時には誘惑に負け、罪を犯した。彼らの欠点と愚行とがはっきり書いてあるのは、われわれに対する励ましと警告のためである。もしも彼らが全然あやまちのない者として記録されていたならば、われわれのように罪深い者は自分の失敗やあやまちに絶望してしまうかもしれない。しかし、われわれと同じように失望しつつも戦いぬき、われわれと同様の誘惑に負けたが、それでも神の恵みによって勇気づけられ、勝利したことを知るとき、われわれもまた、義を追い求めるように励まされるのである。彼らが、時には打ちひしがれながらも、ふたたび立ちなおって神の祝福にあずかったように、われわれもイエスの力によって勝利者となることができるのである。一方彼らの生涯の記録は警告でもある。神は、いかなることがあっても、罰すべきものを赦さないことを教えている。神は、ご自分の最も愛する者の中にも罪をごらんになり、光や責任がわずかしか与えられていない者よりも、彼らを厳格に取りあつかわれるのである。PP 120.2

    ヤコブを埋葬したのち、兄弟たちの心はふたたび恐怖に満たされた。ヨセフは兄弟たちを親切にあっかったにもかかわらず、彼らは良心の苛責から不信と疑惑をいだいた。ヨセフは父親のことを考えて復讐を遅らせたのであろう。ヨセフは、こんどこそ長い間延ばしていた罪の罰を、自分たちに与えるだろうと彼らは考えた。兄弟たちはあえて直接ヨセフのもとに行こうとはせず、「あなたの父は死ぬ前に命じて言われました、『おまえたちはヨセフに言いなさい、「あなたの兄弟たちはあなたに悪をおこなったが、どうかそのとがと罪をゆるしてやってください」』。今どうかあなたの父の神に仕えるしもべらのとがをゆるしてください」とことづけた(創世記50:16、17)。このことづけを聞いてヨセフは泣いた。兄弟たちは、勇気を出して彼のもとに来て、「このとおり、わたしたちはあなたのしもべです」と言って彼の前にひれ伏した。ヨセフの兄弟たちに対する愛は深く、無我の精神から出たものであったが、兄弟たちがまだ自分に復讐の精神があると思っていることに心を痛めた。彼は言った。「恐れることはいりません。わたしが神に代ることができましょうか。あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。それゆえ恐れることはいりません。わたしはあなたがたとあなたがたの子供たちを養いましょう」(同50:18、19~21)。PP 120.3

    ヨセフの生涯はキリストの生涯を代表している。兄弟たちがヨセフを奴隷に売ったのはねたみからであった。彼らは、ヨセフが自分たちより偉大な者になるのを止めようと思った。彼がエジプトに連れていかれたとき、自分たちはこれ以上、彼の夢に悩まされることはない、これで実現の可能性は完全になくなったと得意がった。しかし、彼らの行動はすべて神の支配のもとにおかれて、彼らが妨げようとした出来事そのものを成就することになった。同じようにユダヤびとの祭司や長老たちは、人々の評判が次第にキ リストのほうに傾くことを恐れてキリストをねたんだ。彼らは、キリストが王になることを妨げようとして彼を殺したが、かえって彼ら自身がキリストを王位につける結果をもたらしたのである。PP 120.4

    ヨセフは、エジプトの奴隷になることによって、父の家族の救済者となった。しかし、このことは兄弟たちの罪を軽くするものではなかった。同じようにキリストは敵のために十字架につけられ、人類の贖い主、堕落した人類の救い主、全世界の支配者となられた。しかし、神がご自分の栄光と人類の幸福のために、摂理のみ手によって諸事件を支配されなかった場合と同様に、キリストを殺した人々の罪は、重かったのである。PP 121.1

    ヨセフが兄弟たちによって異邦人に売られたのと同じく、キリストもまた、ご自身の弟子のひとりによって、最も憎むべき敵に売り渡された。ヨセフは、節操を守ったために、偽証によって牢獄に投げ込まれた。キリストも同じように、彼の自己否定の生涯が周囲の人々の罪に対する譴責となり、正しかったためにあざけられ、捨てられたのである。なんのとがも犯さないのに、偽証人の言葉によって罪に定められた。ヨセフが、不正と圧迫を受けても忍耐し、柔和であって、また無情な兄弟たちに対しても赦しと高貴で寛大な精神をあらわしたことは、悪人たちの嘲笑と悪意の中にあってもつぶやくことなく忍耐し、彼を殺害した者ばかりでなく、彼のもとに来て罪を告白し、赦しを求めるすべての者を赦す救い主を象徴している。PP 121.2

    ヨセフは父の死後54年生きながらえた。彼は、「エフライムの三代の子孫を見た。マナセの子マキルの子らも生れてヨセフのひざの上に置かれ」るまで生きた(同50:23)。彼は、自分の民が繁栄し、その数がふえてゆくのを目撃した。神がイスラエルを約束の地に回復されるという信仰は、彼の一生を通じてゆるぐことがなかった。PP 121.3

    ヨセフは自分の死期が近づいたのを知ると、親族を集めた。パロの地にあって大きな栄誉を受けたヨセフではあったが、彼にとってはエジプトは異国でしかなかった。彼の最後の行為は、彼がイスラエルと運命を共にしたことを示している。彼の最後の言葉は、「神は必ずあなたがたを顧みて、この国から連れ出し、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地に導き上られるでしょう」であった(同50:24)。それから彼はイスラエルの子らに、必ず自分の骨をカナンの地に持っていくよう、厳粛な誓いを求めた。「こうしてヨセフは110歳で死んだ。彼らはこれに薬を塗り、棺に納めて、エジプトに置いた」(同50:26)。その後、苦役の幾世紀かが続いたが、その棺はヨセフの臨終の言葉を思い出させるのであった。そして、イスラエルびとに、彼らがエジプトの寄留者にすぎないことをあかしし、約束の地を待望しつづけるように命じた。なぜなら、解放の時は必ず来るからであった。PP 121.4

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