第26章 「あなたがたの神を見よ」
- 序
- 第1章 ソロモン王の選択
- 第2章 エルサレム神殿の建設
- 第3章 繁栄の落とし穴
- 第4章 権力者が倒れるとき
- 第5章 ソロモン王の改心
- 第6章 王国の分裂
- 第7章 悲劇の王ヤラベアム
- 第8章 急速にひろがった背信
- 第9章 預言者エリヤの出現
- 第10章 罪を責める声
- 第11章 カルメル山の対決
- 第12章 砂漠へ逃れる預言者
- 第13章 失敗から立ちあがる
- 第14章 預言者エリヤの力
- 第15章 妥協するヨシャパテ王
- 第16章 アハブ家の没落
- 第17章 預言者エリシャの召し
- 第18章 悪水を良水にかえる
- 第19章 平和をつくり出す人
- 第20章 大国シリヤからの訪問者
- 第21章 預言者工リシャの貢献
- 第22章 アッスリヤの首都ニネベ
- 第23章 大国アッスリヤの支配
- 第24章 破滅を定めるもの
- 第25章 預言者イザヤの召し
- 第26章 「あなたがたの神を見よ」
- 第27章 大国に援助を求めたアハズ王
- 第28章 熱心な改革者ヒゼキヤ王
- 第29章 虚栄のつけ
- 第30章 大国アッスリヤからの解放
- 第31章 諸国民の希望
- 第32章 暗黒時代をもたらしたマナセ王と改革の星ヨシヤ王
- 第33章 律法の書の発見
- 第34章 立ちあがった預言者エレミヤ
- 第35章 破滅が近い
- 第36章 ユダ王国の最後の王
- 第37章 バビロン捕囚
- 第38章 暗黒を貫く光
- 第39章 バビロン王宮の4青年
- 第40章 ネブカデネザル王の夢
- 第41章 火の燃える炉からの救い
- 第42章 真の偉大さとは何か
- 第43章 目に見えない守護者
- 第44章主義に固く立つ
- 第45章 バビロン捕囚から帰る
- 第46章敵対者に直面して
- 第47章大祭司ヨシュアと天使
- 第48章 権力をこえる力
- 第49章 王妃エステルの決心
- 第50章 学者エズラに導かれた改革
- 第51章 精神の大覚醒
- 第52章 総督ネヘミヤの活躍
- 第53章 市街の建てなおし
- 第54章 搾取に対する譴責
- 第55章 隣国の陰謀
- 第56章 律法の公布
- 第57章 改革が始まる
- 第58章 救い主を待望する人々
- 第59章 理想のイスラエル
- 第60章 栄光にみちた国が来る
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第26章 「あなたがたの神を見よ」
イザヤの時代には、神について誤った解釈がなされ、人類の霊的理解は暗かった。サタンは、長い間、創造主が、罪と苦しみと死の創始者であると人々に思わせてきた。こうして、サタンに欺かれた人々は、神をかたくなで、苛酷なお方であると考えた。彼らは、神を、罪を非難して宣告を下すために目を見張り、援助せずともよい正当な理由がある限り、罪人を快く受け入れないもののように考えた。天は、愛の律法に支配されているのであるが、大欺瞞者はそれを人類の幸福を束縛するもの、重苦しいくびきであると誤表し、人類は律法から解放されることを喜ぶべきであると言った。戒めは守り得ないもので、罪に対する罰は、独断的に与えられたものであると彼は言った。PK 507.1
イスラエルの人々が、主の真のこ品性を見失ってしまったことは、全く弁解のしようがないことであった。神は、しばしば、ご自分を、「あわれみと恵みに富み、怒りをおそくし、いつくしみと、まこととに豊かな神」として人々にあらわされた(詩篇86:15)。「わたしはイスラエルの幼い時、これを愛した。わたしはわが子をエジプトから呼び出した」と彼はあかしされた(ホセア11:1)。PK 507.2
主は、慈愛深く、イスラエルをエジプトの奴隷から解放し、約束の国への旅を導かれた。「彼らのすべての悩みのとき、主も悩まれて、そのみ前の使をもって彼らを救い、その愛とあわれみとによって彼らをあがない、いにしえの日、つねに彼らをもたけ、彼らを携えられた」(イザヤ63:9)。PK 507.3
「わたし自身が一緒に行くであろう」というのが、荒野の旅行中に与えられた約束であった(出エジプト33:14)。この確証には、主のこ品性の驚くべき啓示が伴っていた。モーセは、それによって、イスラエルのすべての民に神の恵みを宣言し、彼らの目に見えない王の属性について十分な教えを与えることができた。PK 507.4
「主は彼の前を過ぎて宣べられた。『主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさ』ない者(同34:6、7)。約束の国の国境において、イスラエルの人々が神の命令に従って前進することを拒んだ時に、モーセが彼らの命ごいをして驚くべき嘆願をしたのは、彼が主のいつくしみと彼の無限の愛と憐れみとを知っていたからであった。彼らの反逆がその頂点に達した時に主は、「わたしは疫病をもって彼らを撃ち滅ぼし」モーセの子孫を「彼らよりも大いなる強い国民としよう」と言われた(民数記14:12)。しかし、モーセは、選民のために神の驚くべき摂理と約束とが果たされることを嘆願した。そして、最も強力な嘆願として、彼は、堕落した人類に対する神の愛に訴えたのである(同14:17~19参照)。PK 507.5
主は、恵み深くお答えになった。「わたしはあなたの言葉のとおりにゆるそう」。そして、それから、主は、預言の形でイスラエルの最後の勝利に関する神のみこころをモーセにお知らせになった。「わたしは生きている。また主の栄光が、全世界に満ちている」と言われた(民数記14:20、21)。神の栄光、すなわち、モーセがイスラエルのために嘆願した神のいつくしみと慈悲深い愛という彼の品性が、全人類にあらわされるのであった。そして、主のこの約束は、二重に確かなものとされた。それは、誓いによって確認されたのである。主が生き、支配しておられる限り、「もろもろの国の中にその栄光をあらわし、もろもろの民の中にそのくすしきみわざをあらわ」されるのである(詩篇96:3)。PK 507.6
輝くセラピムが、み座の前で、「その栄光は全地に 満つ」と歌うのをイザヤが聞いたのは、この預言の将来の成就に関するものであった。イザヤは、これらの言葉が確かなことを固く信じて、木や石の像にひざまずいている人々が、「主の栄光を見、われわれの神の麗しさを見る」と彼自身、後に、大胆に宣言したのである(イザヤ35:2)。PK 507.7
今日、この預言は、急速に成就している。この地上における神の教会の伝道の働きは、豊かな実を結び、間もなく、福音は、すべての国々に宣べ伝えられるであろう。すべての部族、国語、民族の中からの人々が、「その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを…ほめたたえる」。「それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった」(エペソ1:6、2:7)。「イスラエルの神、主はほむべきかな。ただ主のみ、くすしきみわざをなされる。その光栄ある名はとこしえにほむべきかな。全地はその栄光をもって満たされるように」(詩篇72:18、19)。PK 508.1
イザヤは、神殿の中で与えられた幻によって、イスラエルの神の品性をはっきりと知ることができた。「いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる」方が、大いなる威光の中で彼の前に現れたのである。しかし、イザヤは、彼の主のあわれみ深いご性質を理解することができた。「高く、聖なる所に住」むお方が、「心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕けたる者の心をいかす」(イザヤ57:15)。イザヤのくちびるに触れる任務を帯びた天使は、「あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた」という言葉を伝えた(同6:7)。PK 508.2
イザヤは、ダマスコの門におけるタルソのサウロのように、神を眺めて、自分自身の無価値なことを悟っただけではなかった。彼のへりくだった心に、完全で十分なゆるしの確証が与えられた。そして彼は、変化した人間として立ち上がった。彼は、彼の主を見たのである。彼は、神の品性の麗しさを眺めたのであった。彼は、無限の神の愛を眺めることによって起こった変化についてあかしをすることができた。その時以来、彼は、道を誤ったイスラエルが罪の重荷と罰とから解放されるのを見たいという熱望を抱くようになった。「あなたがたは、どうして重ね重ねそむいて、なおも打たれようとするのか」とイザヤはたずねた。「さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。」「あなたがたは身を洗って、清くなり、わたしの目の前からあなたがたの悪い行いを除き、悪を行うことをやめ、善を行うことをなら」え(同1:5、18、16、17)。PK 508.3
彼らが、仕えると言いながら、その品性を誤解していた神が、彼らの前に、霊的病の大いなる治癒者として示されたのである。頭はことごとく病み、心は全く弱り果てていても何であろうか。足の裏から頭まで、完全なところがなく、傷と打ち傷と生傷ばかりでも、それが何であろうか(イザヤ1:6参照)。自分の心のままにかたくなな道を歩いてきたものは、主に立ち返ることによっていやされることができる。主は言われる。「『わたしは彼の道を見た。わたしは彼をいやしまた彼を導き、慰めをもって彼に報いる。……遠い者にも近い者にも平安あれ、平安あれ、わたしは彼をいやそう』と主は言われる」(イザヤ57:18、19)。PK 508.4
イザヤは、神をすべての物の創造主として高めた。ユダの町々に対する彼の使命は、「あなたがたの神を見よ」であった(同40:9)。「天を創造してこれをのべ、地とそれに生ずるものをひらかれる……主なる神はこう言われる」。「わたしは主である。わたしはよろずの物を造り」、「わたしは光をつくり、また暗きを創造し」た。「わたしは地を造って、その上に人を創造した。わたしは手をもって天をのべ、その万軍を指揮した」(同42:5、44:24、45:7、12)。「聖者は言われる、『それで、あなたがたは、わたしをだれにくらべ、わたしは、だれにひとしいというのか』。目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ。主は数をしらべて万軍をひきいだし、おのおのをその名で呼ばれる。その勢いの大いなるに より、またその力の強きがゆえに、1つも欠けることはない」(同40:25、26)。PK 508.5
たとえ、神に立ち返っても、受け入れられないのではないかと恐れた人々に対して、イザヤは言った。PK 509.1
「ヤコブよ、何ゆえあなたは、『わが道は主に隠れている』と言うか。イスラエルよ、何ゆえあなたは、『わが訴えはわが神に顧みられない』と言うか。あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」(同40:27~31)。PK 509.2
無限の愛の神は、自力ではサタンのわなから逃れることができないと考えている人々を助けたいと切望しておられる。そして、神のために生きる力を与えようと恵み深くも仰せになっている。「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる」。「あなたの神、主なるわたしはあなたの右の手をとってあなたに言う、『恐れてはならない、わたしはあなたを助ける』。主は言われる、『虫にひとしいヤコブよ、イスラエルの人々よ、恐れてはならない。わたしはあなたを助ける。あなたをあがなう者はイスフエルの聖者である』」(同41:10、13、14)。PK 509.3
ユダの住民はみな無価値な人々であったが、神は、彼らをお見捨てにならなかった。彼らによって、神のみ名が異邦の人々の間で高められなければならなかった。神の属性が何であるかを全く知らないでいる多くの人々が、なお、神の品性の栄光を見なければならなかった。神が、神のしもべたちである預言者たちを送って、「あなたがたはおのおの今その悪の道と悪い行いを捨てなさい」と言わせられたのは、神の恵み深いみこころを明らかにするためであった(エレミヤ25:5)。神はイザヤを通して言われた。「わが名のために、わたしは怒りをおそくする。わが誉のために、わたしはこれをおさえて、あなたを断ち滅ぼすことをしない」。「わたしは自分のために、自分のためにこれを行う。どうしてわが名を汚させることができよう。わたしはわが栄光をほかの者に与えることをしない」(イザヤ48:9、11)。PK 509.4
悔い改めの招きは、誤ることのできない明確さをもって発せられたので、すべてのものは、立ち返るように招かれたのである。預言者は言った、「あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ。悪しき者はその道を捨て、正しからぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる」(イザヤ55:6、7)。PK 509.5
読者よ、あなたは、自分勝手な道を選んだであろうか。あなたは、神から遠くさ迷い出たであろうか。あなたは、罪の実を食べようとして、それがあなたのくちびるで灰に変わるのを経験したであろうか。もうあなたの人生の計画は挫折し、希望はうせ去り、1人寂しくすわって、惨めな思いにふけっているであろうか。長くあなたに語りかけていたにもかかわらずあなたが聞こうとしなかったあの声が、紛れもなくはっきりと聞こえてくる。「立って去れ、これはあなたがたの休み場所ではない。これは汚れのゆえに滅びる。その滅びは悲惨な滅びだ」(ミカ2:10)。あなたの天の父の家に帰れ。神は「わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから」。「耳を傾け、わたしにきて聞け、そうすれば、あなたがたは生きることができる。わたしは、あなたがたと、とこしえの契約を立てて、ダビデに約束した変わらない確かな恵みを与える」と言ってあなたを招いておられる(イザヤ44:22、55:3)PK 509.6
あなた自身を善良にし、神に近づくことができるほどに善い人間になるまで、キリストから離れているように言う敵の言葉に耳を傾けてはならない。その時まで待つならば、いつまでたっても、来ることはないで あろう。サタンが、あなたの汚れた衣を指摘するならば、「わたしに来る者を決して拒みはしない」という救い主の約束を繰り返して言え(ヨハネ6:37)。イエス・キリストの血は、すべての罪を清めるということを敵に告げよ。「ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう」というダビデの祈りを、あなたの祈りとされよ(詩篇51:7)。PK 509.7
生ける神を眺め、神の恵み深いお言葉を受け入れるようにユダに訴えたイザヤの勧告は、むだにはならなかった。熱心に耳を傾けて、偶像礼拝をやめて、主の礼拝に立ち返った人々があったのである。彼らは、彼らの創造主が、愛と憐れみといつくしみに満ちたお方であることを悟った。そして、わずかの者が国内にとどまるという、ユダの歴史の来たるべき暗黒の日々において、預言者イザヤの言葉は実を結びつづけて、決定的改革を起こしたのである。PK 510.1
イザヤは言った。「その日、人々はその造り主を仰ぎのぞみ、イスラエルの聖者に目をとめ、おのれの手のわざである祭壇を仰ぎのぞまず、おのれの指が造ったアシラ像と香の祭壇とに目をとめない」(イザヤ17:7、8)。PK 510.2
多くの人々は、ことごとく麗しく、万人にぬきんでておられるお方をながめるのであった。「あなたの目は麗しく飾った王を見」るという恵み深い約束が彼らに与えられた(同33:17)。彼らの罪はゆるされ、彼らは、ただ神のみを誇りとするようになるのであった。偶像礼拝からあがなわれるその喜ばしい日において、彼らは叫ぶのである。「主は威厳をもってかしこにいまし、われわれのために広い川と流れのある所となり、…主はわれわれのさばき主、主はわれわれのつかさ、主はわれわれの王であって、われわれを救われる」(同33:21、22)。PK 510.3
悪い道を離れる者に伝えたイザヤの使命は、慰めと励ましに満ちたものであった。主の預言者によて語られた主の言葉を聞いてみよう。PK 510.4
「ヤコブよ、イスラエルよ、これらの事を心にとめよ。PK 510.5
わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、PK 510.10
あなたは、さきにわたしにむかって怒られたが、PK 510.17
その怒りはやんで、わたしを慰められたからです、PK 510.18
主はそのみわざを、みごとになし遂げられたから。PK 510.24