第32章 暗黒時代をもたらしたマナセ王と改革の星ヨシヤ王
- 序
- 第1章 ソロモン王の選択
- 第2章 エルサレム神殿の建設
- 第3章 繁栄の落とし穴
- 第4章 権力者が倒れるとき
- 第5章 ソロモン王の改心
- 第6章 王国の分裂
- 第7章 悲劇の王ヤラベアム
- 第8章 急速にひろがった背信
- 第9章 預言者エリヤの出現
- 第10章 罪を責める声
- 第11章 カルメル山の対決
- 第12章 砂漠へ逃れる預言者
- 第13章 失敗から立ちあがる
- 第14章 預言者エリヤの力
- 第15章 妥協するヨシャパテ王
- 第16章 アハブ家の没落
- 第17章 預言者エリシャの召し
- 第18章 悪水を良水にかえる
- 第19章 平和をつくり出す人
- 第20章 大国シリヤからの訪問者
- 第21章 預言者工リシャの貢献
- 第22章 アッスリヤの首都ニネベ
- 第23章 大国アッスリヤの支配
- 第24章 破滅を定めるもの
- 第25章 預言者イザヤの召し
- 第26章 「あなたがたの神を見よ」
- 第27章 大国に援助を求めたアハズ王
- 第28章 熱心な改革者ヒゼキヤ王
- 第29章 虚栄のつけ
- 第30章 大国アッスリヤからの解放
- 第31章 諸国民の希望
- 第32章 暗黒時代をもたらしたマナセ王と改革の星ヨシヤ王
- 第33章 律法の書の発見
- 第34章 立ちあがった預言者エレミヤ
- 第35章 破滅が近い
- 第36章 ユダ王国の最後の王
- 第37章 バビロン捕囚
- 第38章 暗黒を貫く光
- 第39章 バビロン王宮の4青年
- 第40章 ネブカデネザル王の夢
- 第41章 火の燃える炉からの救い
- 第42章 真の偉大さとは何か
- 第43章 目に見えない守護者
- 第44章主義に固く立つ
- 第45章 バビロン捕囚から帰る
- 第46章敵対者に直面して
- 第47章大祭司ヨシュアと天使
- 第48章 権力をこえる力
- 第49章 王妃エステルの決心
- 第50章 学者エズラに導かれた改革
- 第51章 精神の大覚醒
- 第52章 総督ネヘミヤの活躍
- 第53章 市街の建てなおし
- 第54章 搾取に対する譴責
- 第55章 隣国の陰謀
- 第56章 律法の公布
- 第57章 改革が始まる
- 第58章 救い主を待望する人々
- 第59章 理想のイスラエル
- 第60章 栄光にみちた国が来る
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第32章 暗黒時代をもたらしたマナセ王と改革の星ヨシヤ王
ヒゼキヤの時代に繁栄したユダ王国は、長年にわたるマナセの悪政の間に、またもや衰微した。その時に異教主義が復活し、多くの人々が偶像礼拝に陥った。「マナセはこのようにユダとエルサレムの住民を迷わせ、……国々の民にもまさって悪を行わせた」(歴代志下33:9)。先代の輝かしい光の次に、迷信と誤りの暗黒が続いた。はなはだしい罪悪が発生してはびこった。暴政、圧迫、あらゆる善に対する憎しみが起こった。正義はまげられ、暴力は勝ち誇った。PK 532.1
しかし、そうした邪悪な時代にあっても、神と正義のための証人がいなかったわけではなかった。ヒゼキヤの治世にユダが無事に通過してきた苦い経験は、多くの人々の心に強固な精神を啓発させたので、それが今、広く行きわたった罪悪に対する防壁となったのである。真理と義に対する彼らのあかしは、マナセと権力を握った彼の取り巻きたちの怒りを買った。彼らは反対の声をすべて沈黙させることによって、悪行をなおも続行しようと努めた。「マナセは……罪なき者の血を多く流して、エルサレムのこの果から、かの果にまで満たした」(列王紀下21:16)。PK 532.2
最初に倒れた者の1人は、半世紀以上にわたって、主の任務を受けた使者としてユダの前に立ったイザヤであった。「なおほかの者たちは、あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、投獄されるほどのめに会った。あるいは、石で打たれ、さいなまれ、のこぎりで引かれ、つるぎで切り殺され、羊の皮や、やぎの皮を着て歩きまわり、無一物になり、悩まされ、苦しめられ、(この世は彼らの住む所ではなかった)、荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けた」(ヘブル11 :36~38)。PK 532.3
マナセの治世下において迫害された人々のある者は、譴責と審判に関する特別の使命を伝えるように命じられた、預言者たちは、ユダの王は「彼の先にあった……すべての事よりも悪い事を行」ったと言った。PK 532.4
マナセの王国は、彼のこの悪行のゆえに、危機にひんしていた。やがて国の住民はバビロンに捕らえられて行き、そこで「彼らはもろもろの敵のえじきとなり、略奪にあう」のであった(列王紀下21:11、14)、しかし主は、異邦の国で主を自分たちの支配者なる神として認める人々を、全く捨て去られることはない。彼らは大きな患難に遭うことであろうが、神はお定めになった時と方法において、彼らを救い出されるのである。神に全く信頼する者には、必ず避難の場が与えられる。PK 532.5
預言者たちは忠実に警告と勧告を続けた。彼らは恐れることなく、マナセと国民とに語った。しかしその言葉はあざ笑われた。背信したユダは耳を傾けようとしなかった。悔い改めないでいるならば国民に何が起こるかという証拠として、主は彼らの王がアッスリヤの兵隊たちの一団によって捕らえられることをお許しになった。「彼らはマナセを……青銅のかせにつないで、バビロンに引いて行った」。バビロンは彼らの仮の首都であった。この苦難によって王は我に返った。「彼は……その神、主に願い求め、その先祖の神の前に大いに身を低くして、神に祈ったので、神はその祈を受けいれ、その願いを聞き、彼をエルサレムに連れ帰って、再び国に臨ませられた。二れによってマナセは主こそ、まことに神にいますことを知った」(歴代志下33:11~13)。しかし、この悔い改めは著しいものであったにもかかわらず長年にわたる偶像礼拝の腐敗的影響から国家を救うには時すでに遅すぎたのである。多くの者はつまずき倒れ、2度と立ち上がらなかったのである。PK 532.6
マナセの致命的背信の結果、取り返しのつかな いほどにその生涯の経験が形成された者の中にマナセの息子がいた。彼は22歳の時に王位についた。アモン王について次のように書かれている。「すなわち彼はすべてその父の歩んだ道に歩み、父の仕えた偶像に仕えて、これを拝み、先祖たちの神、主を捨て」た(列王紀下21:21、22)。彼は「その父マナセが身を低くしたように主の前に身を低くしなかった。かえってこのアモンは、いよいよそのとがを増した」。悪王は長く国を治めることを許されなかった。彼は即位してからわずか2年後、その大胆な邪悪さの最中に、宮殿で彼自身の家来によって殺害された。そして「国の民はその子ヨシヤを王となして、そのあとを継がせた」(歴代志下33:23、25)。PK 532.7
ヨシヤは31年の間、国を治めることになったが、彼の即位によって信仰の純潔を保ってきた人々は、国家の没落が阻止できるという希望を持ち始めた。なぜならば、新しい王はわずか8歳であるにもかかわらず神を恐れ、最初から「主の目にかなう事を行い、先祖ダビデの道に歩んで右にも左にも曲らなかった」(列王紀下22:2)。ヨシヤは悪王の子として生まれ、父の足跡に従うような誘惑に取り囲まれ、正しい道を歩むように彼を励ます助言者もいなかったにもかかわらずイスラエルの神に忠誠をつくしたのである。彼は過去の時代の過ちから警告を受けて、彼の父や先祖たちが陥ったような罪の低い水準や堕落に陥らずに、正しいことを行うことを選んだ。彼は「右にも左にも曲らなかった」。彼は信任の地位を占める者として、イスラエルの王たちの指導のために与えられた教えに従う決心をした。そして神は、彼が服従したので、彼を尊い器として用いることがおできになったのである。PK 533.1
ヨシヤが治め始めた時、そしてその久しい以前から、ユダの国の心から神を信じる人々は、古代のイスラエルに対する神の約束は果たして成就されるのだろうかと疑っていた。人間的見地からするならば、選民に対する神のみこころはほとんど達成が不可能のように思われた。過去幾世紀間にわたる背信は、年の経過と共にいよいよその力を増していった。10部族は異教徒の間に離散してしまった。あとに残ったのは、ユダとベニヤミンだけであった。しかもこれらの部族でさえ、道徳的に国家的に破滅寸前にあった。預言者たちは、ソロモンの神殿があり、国家的偉大さについては地上のあらゆる希望の中心であった、麗しい都の全滅を預言し始めていた。神は、ご自分に信頼する者を助けると約束されたことを、撤回しようとしておられるのであろうか。義人に対して長く続いた迫害や、一見悪人が繁栄しているかのように思われることなどに直面した、神に忠実な人々は、将来良い日が来ることを望むことができたであろうか。PK 533.2
こうした切実な疑問を預言者ハバククは発した。彼はその時代の忠実な人々の状態を見て、彼の心の重荷を表現して次のようにたずねた。PK 533.3
「主よ、わたしが呼んでいるのに、いつまであなたは聞きいれて下さらないのか。わたしはあなたに『暴虐がある』と訴えたが、あなたは助けて下さらないのか。あなたは何ゆえ、わたしによこしまを見せ、何ゆえ、わたしに災を見せられるのか。略奪と暴虐がわたしの前にあり、また論争があり、闘争も起っている。それゆえ、律法はゆるみ、公義は行われず、悪人は義人を囲み、公義は曲げて行われている」(ハバクク1:2~4)。PK 533.4
神は忠実な民の叫びにお答えになった。神はご自分が選ばれた代弁者の口によって、神から離反して、異教の神々に仕えた国家に罰を下されるという決意をあらわされた。将来の事について神にたずねていた人々のある者が生きているうちに、神は奇跡的に地の強国の状勢を導いて、バビロン人が支配権を握るようになさるのであった。「きびしく、恐ろしく」これらのカルデヤびとが突然神の命によるむちとして、ユダの国を襲うのであった(同1:7)。ユダの君たちと最も優れた人々は、捕虜としてバビロンに連れて行かれた。ユダの町々、村々、耕地は、荒れ果てるのであった。それは何1つ容赦しないのであった。PK 533.5
この恐ろしい刑罰の中にさえ、その民に対する神のみこころはなんらかの方法によって成就されることを確信して、ババククは啓示された主のみこころに心を 低くして従った。「わが神、主、わが聖者よ。あなたは永遠からいますかたではありませんか」と彼は叫んだ。そしてハバククは、信仰をもって間近に迫った将来の悲しむべき状態のかなたを眺め、神に信頼する民に対する神の愛をあらわした尊い約束を把握して、次のようにつけ加えた。「わたしたちは死んではならない」(同1:12)。彼はこの信仰の宣言をもって、彼自身の運命とすべての信じるイスラエルの人々の運命とを、憐れみ深い神のみ手に委ねたのである。PK 533.6
ハバククが強い信仰を働かせたのは、ただこの経験だけではなかった。ある時彼は、将来のことを瞑想していて次のように言った。「わたしはわたしの見張所に立ち、物見やぐらに身を置き、望み見て、彼がわたしになんと語られるかを見」る。主は恵み深く彼にお答えになった。PK 534.1
この幻を書き、これを板の上に明らかにしるし、走りながらも、これを読みうるようにせよ。この幻はなお定められたときを待ち、終りをさして急いでいる。それは偽りではない。もしおそければ待っておれ。それは必ず臨む。滞りはしない。見よ、その魂の正しくない者は衰える。しかし義人はその信仰によって生きる」(ババクク2:1~4)。PK 534.2
あの大いなる試練の時代に、ハバククおよびすべての聖徒たちとすべての義人たちを力づけた信仰は、今日、神の民を支えるのと同じ信仰であった。キリスト信者は、最も暗黒で最も険悪な状態のもとにあって、すべての光と力の源に寄り頼んでいることができる。日ごとに神を信じる信仰によって、希望と勇気を新たにすることができる。「義人はその信仰によって生きる」。神の奉仕においては、落胆も動揺も恐怖も不必要である。主は彼に信頼する者のどんな大きな期待にもまさることをなしとげて下さるのである。主は彼らに必要な様々の知恵をお与えになるのである。PK 534.3
使徒パウロは試練のうちにあるすべての魂に豊かな助けが与えられることについて、雄弁にあかししている。彼に、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしめ力は弱いところに完全にあらわれる」という確証が与えられた。試練の中にある神のしもベパウロは、感謝と確信をもって答えた一「それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。だから、わたしはキリストのためならば、弱さと侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである」(Ⅱコリント12:9、10)。PK 534.4
われわれは預言者たちや使徒たちが試した信仰を抱いて、それを強めるようにしなければならない。それは神の約束をしっかりと把握して、神がお定めになった時と方法によって救いをお与えになるのを待つ信仰である。預言の確かな言葉は、われわれの主、救い主イエス・キリストが、王の王、主の主として栄光のうちに再臨なさるときに、完全に成就するのである。待望の期間は長く思われるかも知れない。心は失望的状況下に圧倒されるかも知れない。また、信頼されていた多くの人々が、途中で倒れてしまうかも知れない。しかしわれわれは、未曽有の背信の時代にあって、ユダを励まそうと努力した預言者と共に次のように言おう。「主はその聖なる宮にいます、全地はそのみ前に沈黙せよ」(ハバクク2:20)。「この幻はなお定められたときを待ち、終りをさして急いでいる。それは偽りではない。もしおそければ待っておれ。それは必ず臨む。滞りはしない。……しかし義人はその信仰によって生きる」という励ましの言葉を常に覚えていよう(同2:3、4)。PK 534.5
あなたの油そそいだ者を救うために出て行かれた」。PK 535.5
輝かしい希望の言葉を語り、現在の刑罰と共に将来の勝利について語ったのは、ハバクク1人ではなかった。ヨシヤの治世に主の言葉がゼパニヤに臨み、背信が続くならばどのような結果を招くかを明示し、真の教会の注目を輝かしい将来の展望に向けさせた。ユダに切迫した刑罰についての彼の預言は、キリストの再臨の時に悔い改めない世界に下る刑罰について、同様に適用することができる。PK 535.16
「わたしは人々になやみを下して、盲人のように歩かせる。彼らが主に対して罪を犯したからである。彼らの血はちりのように流され、……彼らの銀も金も、主の怒りの日には彼らを救うことができない。全地は主のねたみの火にのまれる。主は地に住む人々をたちまち滅ぼし尽される」(同1:17、18)。PK 535.29
すなわち、もみがらのように追いやられる前に、PK 535.32
主の激しい怒りがまだあなたがたに臨まない前に、PK 535.33
主の憤りの日がまだあなたがたに来ない前に。PK 535.34
すべて主の命令を行うこの地のへりくだる者よ、PK 535.35
「『見よ、その時あなたをしえたげる者をわたしはことごとく処分し、歩けない者を救い、追いやられた者を集め、彼らの恥を誉にかえ、全地にほめられるようにする。その時、わたしはあなたがたを連れかえる。わたしがあなたがたを集めるとき、わたしがあなたがたの目の前に、あなたがたの幸福を回復するとき、地のすべての民の中で、あなたがたに名を得させ、誉を得させる』と主は言われる」(ゼパニヤ3:19、20)PK 535.42
イスラエルの王なる主はあなたのうちにいます。PK 535.48