第7章 悲劇の王ヤラベアム
- 序
- 第1章 ソロモン王の選択
- 第2章 エルサレム神殿の建設
- 第3章 繁栄の落とし穴
- 第4章 権力者が倒れるとき
- 第5章 ソロモン王の改心
- 第6章 王国の分裂
- 第7章 悲劇の王ヤラベアム
- 第8章 急速にひろがった背信
- 第9章 預言者エリヤの出現
- 第10章 罪を責める声
- 第11章 カルメル山の対決
- 第12章 砂漠へ逃れる預言者
- 第13章 失敗から立ちあがる
- 第14章 預言者エリヤの力
- 第15章 妥協するヨシャパテ王
- 第16章 アハブ家の没落
- 第17章 預言者エリシャの召し
- 第18章 悪水を良水にかえる
- 第19章 平和をつくり出す人
- 第20章 大国シリヤからの訪問者
- 第21章 預言者工リシャの貢献
- 第22章 アッスリヤの首都ニネベ
- 第23章 大国アッスリヤの支配
- 第24章 破滅を定めるもの
- 第25章 預言者イザヤの召し
- 第26章 「あなたがたの神を見よ」
- 第27章 大国に援助を求めたアハズ王
- 第28章 熱心な改革者ヒゼキヤ王
- 第29章 虚栄のつけ
- 第30章 大国アッスリヤからの解放
- 第31章 諸国民の希望
- 第32章 暗黒時代をもたらしたマナセ王と改革の星ヨシヤ王
- 第33章 律法の書の発見
- 第34章 立ちあがった預言者エレミヤ
- 第35章 破滅が近い
- 第36章 ユダ王国の最後の王
- 第37章 バビロン捕囚
- 第38章 暗黒を貫く光
- 第39章 バビロン王宮の4青年
- 第40章 ネブカデネザル王の夢
- 第41章 火の燃える炉からの救い
- 第42章 真の偉大さとは何か
- 第43章 目に見えない守護者
- 第44章主義に固く立つ
- 第45章 バビロン捕囚から帰る
- 第46章敵対者に直面して
- 第47章大祭司ヨシュアと天使
- 第48章 権力をこえる力
- 第49章 王妃エステルの決心
- 第50章 学者エズラに導かれた改革
- 第51章 精神の大覚醒
- 第52章 総督ネヘミヤの活躍
- 第53章 市街の建てなおし
- 第54章 搾取に対する譴責
- 第55章 隣国の陰謀
- 第56章 律法の公布
- 第57章 改革が始まる
- 第58章 救い主を待望する人々
- 第59章 理想のイスラエル
- 第60章 栄光にみちた国が来る
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第7章 悲劇の王ヤラベアム
ダビデの家に反逆したイスラエルの10部族に推されて、王位についたかつてのソロモンの家来、ヤラベアムは、政治と宗教の両方の面において、賢明な改革を行う立場に置かれた。彼は、ソロモンの治世下において、よい素質と健全な判断力を持っていることを示したのである。そして、彼が忠実に王に仕えた年月の間に得た知識は、彼を思慮深く支配するに適した者にしたのである。ところが、ヤラベアムは神に信頼しなかった。PK 430.26
ヤラベアムが何よりも恐れたことは、やがて将来に おいて、国民の心が、ダビデの位を占める王の方に引かれていってしまうのではないかということであった。もし10部族が、昔ながらのユダ王国の首都をたびたび訪れることを許されるならば、宮では、ソロモンの時代と同様に礼拝が行われていたので、多くの者はエルサレムに首都をおく政府に忠誠をつくしたいと思うかも知れなかった。ヤラベアムは、助言者たちの勧告を受け入れて、彼の支配に対する反逆の可能性をできるだけ少なくするために、断固とした一撃を加えることにした。彼は、新しく形成された王国の国境内にベテルとダンの二か所に礼拝の中心を設けて、これを達成しようとした。10部族は、エルサレムではなくて、こうした場所に、神を礼拝するために招かれるのであった。PK 430.27
このような移動を行うに当たって、ヤラベアムは、目に見えない神の臨在を象徴する目に見える何物かを置くことによって、イスラエルの人々の想像力に訴えようと考えた。そこで彼は、2つの金の子牛を造らせて、それを礼拝の中心地に定められた場所の堂内にすえさせた。ヤラベアムは、神を代表するものを作って、明らかに主がお命じになった戒めを犯した。「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。……それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない」(出エジプト20:4、5)。PK 431.1
ヤラペアムは、10部族をエルサレムから引き離すことを強く願うあまりに、彼の計画の基本的弱点を見のがした。イスラエルの人々の先祖たちがエジプトの奴隷であった時に親しんだ神の偶像的象徴を彼らの前に置くことによって、彼らをどんなに大きな危険にさらしているのかを、彼は考慮しなかったのである。最近、ヤラベアムがエジプトに滞在していたことは、人々の前にこうした異教の偶像を置くことの愚かさを教えたはずであった。しかし、北方の部族を毎年、聖なる都に行くことをやめさせようとする彼の固い決意は、最も無分別な方法を彼にとらせた。「あなたがたはもはやエルサレムに上るには、およぼない。イスラエルよ、あなたがたをエジプトの国から導き上ったあなたがたの神を見よ」と彼は言った(列王紀上12:28)。こうして彼らは金の像の前に身をかがめ、異なった礼拝の形態を採用するように招かれた。PK 431.2
王は、新しくべテルとダンに建てられた神殿で祭司として奉仕するように彼の領地内に住んでいたレビびとたちに訴えたが、彼の努力は失敗に終わった。そこで彼は「一般の民」を祭司に任命しなければならなかった(同12:31)。多くのレビ人をも含んだ数多くの忠実な人々は、将来を心配して、神の戒めに従って礼拝することができるエルサレムに逃れて行った。PK 431.3
「またヤラベアムはユダで行う祭と同じ祭を8月の15日に定め、そして祭壇に上った。彼はべテルでそのように行い、彼が造った子牛に犠牲をささげた。また自分の造った高き所の祭司をベテルに立てた」(列王紀上12:32)。PK 431.4
このようにして、神が定められた制度を破棄した王の大胆な神への反抗的態度は、譴責を受けずにすますことはできなかった。王がベテルで建てた異教の神の祭壇の奉献の式をつかさどり、香をたいていたさなかに、ユダの王国から、神の人が彼の前に現れた。この人は、新しい礼拝制度を始めようと試みた王を告発するために送られたのであった。預言者は、「祭壇にむかい…呼ばわって言った、『祭壇よ、祭壇よ、主はこう仰せられる、「見よ、ダビデの家にひとりの子が生れる。その名をヨシヤという。彼はおまえの上で香をたく高き所の祭司らを、おまえの上にささげる。また人の骨がおまえの上で焼かれる」』。PK 431.5
その日、彼はまた1つのしるしを示して言った、「『主の言われるしるしはこれである、「見よ、祭壇は裂け、その上にある灰はこぼれ出るであろう」』」。直ちに「神の人が主の言葉をもって示したしるしのように祭壇は裂け、灰は祭壇からこぼれ出た」(同13:2、3、5)。PK 431.6
ヤラベアムは、これを見て、神に対する反抗的精神に満たされ、彼に使命を伝えた者を止めようとした。彼は怒って、「祭壇から手を伸ばして、『彼を捕らえよ』と言ったが」、彼の性急な行動は、直ちに譴責を受けた。主の使命者に向かって伸ばした手は、急に力が ぬけて、枯れ、引っ込めることができなくなった。PK 431.7
王は驚いて、彼のために神に祈ってほしいと、預言者に訴えた。「『あなたの神、主に願い、わたしのために祈って、わたしの手をもとに返らせてください』。神の人が主に願ったので、王の手はもとに返って、前のようになった」(列王紀上13:4、6)。PK 432.1
異教の神の祭壇を厳粛に奉献しようとしたヤラベアムの努力はむだに終わった。それを尊敬するということは、エルサレムにある主の神殿の礼拝を敬わないことになるめであった。イスラエルの王は、預言者の言葉を聞きいれて、神の礼拝から人々を引き離していた彼の邪悪な目的を悔い改めて捨て去るべきであった。しかし、彼は心をかたくなにして、自分勝手な道を歩こうと決意したのである。PK 432.2
ベテルの祭りの時には、イスラエルの人々の心はまだ、かたくなになり切っていたのではなかった。多くの者は、聖霊の力に感じやすい心を持っていた。主は、急速に背信の道を歩んでいる者が、とりかえしがつかなくなる前にその歩みを止めるように計画された。主は、偶像礼拝の儀式を中断するために神の使者を送り、王と国民とに、この背信がどのような結果をもたらすかを示されたのである。祭壇が裂けたことは、イスラエルの中で行われていた憎むべきことに対する神の怒りのしるしであった。PK 432.3
主は、滅ぼすことではなくて、救おうと努めておられる。主は罪人を救うことを喜ばれる。「わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ばない」(エゼキエル33:11)。PK 432.4
彼は警告と嘆願とによって、心のかたくなな人々が、彼らの悪い行いを離れて神に帰り、生きるように呼びかけておられる。神は、お選びになった使命者に、聖なる大胆さをお与えになる。それは、聞く人々が恐れを抱いて、悔い改めに至るためである。神の人は、なんと厳然と王を譴責したことであろう。そして、この確固不動の態度は必要であった。これ以外に、当時の罪悪を譴責する方法はなかった。主は、聞く者の心に忘れ得ない印象を与えるために、彼のしもべに大胆さをお与えになったのである。主の使命者は、人の顔を恐れずに、正義のために、ひるまず立たなければならない。彼らは、神に信頼しているかぎり、恐れる必要はない。なぜならば、任命を彼らにお与えになる方は、また、彼の守護の確証をもお与えになるからである。PK 432.5
預言者が、彼のメッセージを語り終えて帰ろうとした時に、ヤラベアムは彼にむかって、「わたしと一緒に家にきて、身を休めなさい。あなたに謝礼をさしあげましょう」と言った。預言者は答えて言った、「たとい、あなたの家の半ばをくださっても、わたしはあなたと一緒にまいりません。またこの所では、パンも食べず水も飲みません。主の言葉によってわたしは、『パンを食べてはならない、水を飲んではならない。また来た道から帰ってはならない』と命じられているからです」(列王紀上13:7~9)。PK 432.6
遅延させずにユダヤに帰ろうという計画どおりに行動したならば、預言者は安全だったのである。彼が別の道を通って家に帰っていると、自分も預言者であると主張する1人の老人が彼に追いつき、神の人に向かって、偽りの証言をなし、次のように言った。「わたしもあなたと同じ預言者ですが、天の使が主の命によってわたしに告げて、『その人を一緒に家につれ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ』と言いました」。くりかえし虚偽の言葉が語られ、しつこく招かれたので、ついに神の人は説得されて引き返すことになった。PK 432.7
真の預言者が、義務の命じるところとは反対の道を歩んだために、神は、彼が罪の罰を受けることをお許しになった。彼と彼をベテルに引き返すように招いた者とが、食事についていたとき、全能者の霊感が、偽りの預言者に臨んだ。「彼はユダからきた神の人にむかい呼ばわって言った、『主はこう仰せられます、「あなたが主の言葉にそむき、あなたの神、主がお命じになった命令を守らず、……水を飲んだゆえ、あなたの死体はあなたの先祖の墓に行かないであろう」』」(列王紀上13:18~22)。PK 432.8
この運命の預言は、間もなく文字通り成就した。「そしてその人がパンを食べ、水を飲んだ後、彼はそ の人のため、……ろばにくらを置いた。こうしてその人は立ち去ったが、道でししが彼に会って彼を殺した。そしてその死体は道に捨てられ、ろばはそのかたわらに立ち、ししもまた死体のかたわらに立っていた、人々はそこをとおって、……かの老預言者の住んでいる町にきてそれを話した。その人を道からつれて帰った預言者はそれを聞いて言った、『それは主の言葉にそむいた神の人だ』」(同13:23~26)。PK 432.9
不忠実な使命者にくだった刑罰は、祭壇にむかって発せられた預言の真実性をさらに証拠だてるものであった。もし、預言者が主の言葉にそむいた後でもなお、安全に道を行くことを許されたならば、王は、この事実を自分自身の不服従を正当化するために用いたことであろう。裂けた祭壇、枯れた手、主の明白な命令にあえてそむいた者の恐るべき死などによって、ヤラベアムは、神の怒りの速やかなことを悟り、これらの刑罰を見て、悪行をいつまでも続けないように、自らに対する警告とすべきであった。しかし、ヤラベアムは、悔い改めるどころか、「一般の民を、高き所の祭司に任命した。すなわち、だれでも好む者は、それを立てて高き所の祭司とした」。こうして、彼は、自分自身が大きな罪を犯すばかりでなくて、「イスラエルに(罪を)犯させた」。「この事はヤラベアムの家の罪となって、ついにこれを地のおもてから断ち滅ぼすようになった」(同13:33、34、14:16)。PK 433.1
ヤラベアムは、22年の騒然とした治世の末期近くになって、レハベアムの後継者アビヤと戦って、惨敗した。「ヤラベアムは、アビヤの世には再び力を得ることができず主に撃たれて死んだ」(歴代志下13:20)。PK 433.2
ヤラベアムの治世に始まった背信は、ますます著しくなって、ついにイスラエル王国を全く滅亡させるに至った。ヤラベアムの死ぬ前に、ヤラベアムが王位につくことを以前に預言したシロの老預言者アヒヤは、次のように言った。「主はイスラエルを撃って、水に揺らぐ葦のようにし、イスラエルを、その先祖に賜わったこの良い地から抜き去って、ユフラテ川の向こうに散らされるでしょう。彼らがアシラ像を造って主を怒らせたからです。主はヤラベアムの罪のゆえに、すなわち彼がみずから犯し、またイスラエルに犯させたその罪のゆえにイスラエルを捨てられるでしょう」(列王紀上14:15、16)。PK 433.3
それでも、主は、彼らを主に対する忠誠に引きもどすために、なし得る限りのことをまずしたうえでなければ、イスラエルをお捨てにならなかった。王たちが次々と天の神に大胆に反逆してイスラエルをさらに邪悪な偶像礼拝におとしいれていた長い暗黒時代を通じて、神は、背信した人々に、次々と使命をお送りになった。神は、預言者たちによって、背信の潮流を止め、神に立ち返るようにあらゆる機会を彼らにお与えになった。王国分裂後の時代に、エリヤとエリシャが生存して働き、ホセア、アモス、オバデヤなどのあわれみに満ちた訴えが国中に聞こえるのであった。罪から人々を救う神の大いなる力についての気高い証言を与えることなくして、イスラエル王国は放棄されてしまうのではなかった。最も暗黒の時代においてさえ、天の支配者に忠実な人々がいくらか残っていて、偶像礼拝のさなかにあってさえ、聖なる神の前に潔白な生活を送ったのである。これらの忠実な人々は、主の永遠のみこころが、ついに成就される多くの残りの民の中に数えられるのであった。PK 433.4