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患難から栄光へ - Contents
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    第37章 パウロの最後のエルサレム旅行

    本章は使徒行伝20:4~21:16に基づくAA 1503.6

    パウロは、過越の祭に世界の各地から集まってくる人々に会う機会があるので、祭の前にエルサレムに到着したいと切望した。彼は何とかして、不信仰な同胞の偏見を除き、彼らを福音の尊い光に導く器になりたいという希望を常に抱いていた。彼はまた、エルサレムの教会員に会い、異邦人がユダヤの貧しい兄弟たちにおくった贈り物を届けたいと願った。そして、彼は、この訪問によって、ユダヤ人と異邦の信者 との間の結合を一層強固にしようと望んだ。AA 1503.7

    彼は、コリントにおける働きをなし遂げたので、パレスチナ海岸のどこかの港へ直接、船で行こうと決心した。すべての準備が整い、彼がまさに乗船しようとした時、彼は、ユダヤ人が彼の生命を取ろうと企てていることを聞いた。これまで、これら信仰の反対者たちが、パウロの働きをやめさせようとした努力は、みな挫折していた。AA 1504.1

    福音の宣教の成功が、新たにユダヤ人の怒りを引き起こした。ユダヤ人はもはや礼典律を守る必要はなくなり、異邦人はユダヤ人と同じように、アブラハムの子孫の特権にあずかるのである、という新しい教理が広まったとの報告が、各地から入って来ていた。パウロは、コリントで伝道したとき、手紙の中で力強く主張したのと同じように論じた。彼が強調した「もはやギリシャ人とユダヤ人、割礼と無割礼……の差別はない」という言葉を、彼の敵たちは、はなはだしく神を冒瀆するものであるとみなし、彼の声を沈黙させなければならぬと決意した(コロサイ3:11)。AA 1504.2

    パウロは、陰謀の警告を受けて、マケドニヤを経由して行くことに決めた。過越の祭までにエルサレムに到着する計画は放棄しなければならなかったが、ペンテコステには間に合いたいと彼は望んだ。AA 1504.3

    パウロとルカに同行したのは、「ベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、それからテモテ、またアジヤ人テキコとトロピモ」などであった。パウロは、異邦の教会からの多額の金を持っていたので、ユダヤの働きを指導する兄弟たちの手に、それを手渡すつもりであった。そして、このために、献金をした各地の教会の代表者が、エルサレムまで彼に同行するように計画したのである。AA 1504.4

    パウロはピリピに滞在して、過越祭を過ごした。ただルカだけがパウロととどまり、一行の他の人々はトロアスへ行って、そこで彼を待った。ピリピ人は、パウロの改心者たちの中で、最も愛情深く、また最も真実な人々であった。そして、彼は、祭の8日の間、彼らとの平和で幸福な交わりを楽しんだ。AA 1504.5

    パウロとルカは、ピリピから出帆し、5日かかってトロアスに到着して、仲間と落ち合い、そこの信者たちと共に7日間滞在した。AA 1504.6

    パウロが兄弟たちのところにとどまっていた最後の晩に、彼らは「パンをさくために集まった」。愛する教師が去ろうとしているので、平常より多くの人々が集まった。彼らは、三階の「屋上の間」に集まっていた。パウロは、彼らを熱烈に愛し、深く気づかっていたので、真夜中まで説教した。AA 1504.7

    ユテコという若者が、開いた窓に腰かけていた。彼は、この危ない場所で眠ってしまい、下の庭に落ちた。たちまち人々はあわてふためき、大騒ぎになった。若者をかかえ起こしてみると、もう死んでいた。そして、多くの人々が彼のまわりに集まって、嘆き悲しんだ。しかしパウロは、驚きあわてる人々の間をとおって、若者を抱き、神が彼を生きかえらせて下さるように、熱心な祈りをささげた。彼の祈りは聞かれた。人々の嘆きと悲しみの叫びを越えて、使徒パウロの、「騒ぐことはない。まだ命がある」という言葉が聞こえた。信者たちは喜んで、また屋上の間に集まった。彼らは、聖餐をすませ、それからパウロは、「明けがたまで長いあいだ人々と語り合っ」た。AA 1504.8

    パウロと同行者たちが旅を続けることになっていたその船が、まさに出帆しようとしていたので、兄弟たちは急いで乗船した。しかし、パウロ自身は、トロアスとアソス間の陸路の近道を行き、アソスで、仲間たちに会うことにした。こうして彼は、しばらくの間、瞑想と祈りの時間を持つことができた。今回のエルサレム訪問に伴う困難と危険、彼および彼の働きに対するエルサレム教会の態度などが、諸教会の状態のことや、他の伝道地における福音の働きの進展の状況などと共に、彼が真剣に憂慮した問題であった。そして彼は、この特別の機会を活用して、神の力と導きを求めた。AA 1504.9

    旅の一行が、アソスから南下した時に、彼らは、パウロが長い間働いた場所であるエペソの町を過ぎた。パウロは、エペソの教会に重要な教訓と勧告とを与えようと思っていたので、ぜひ訪問したいと願った。しかし、よく考えた上で、「できればペンテコステ の日には、エルサレムに着いていたかったので」、先を急ぐことにしたのである。しかし、ミレトに着いてみると、そこはエペソから約30マイルの所で、船が出帆する前に教会と連絡がとれることがわかった。そこで彼は、直ちに長老たちに使いを送って、彼が出帆する前に、彼らがミレトまで彼に会いに来るように頼んだ。AA 1504.10

    長老たちが彼の招きに応じて来た時、彼は、感動的で力強い勧告と告別の言葉を語って言った。「わたしが、アジヤの地に足を踏み入れた最初の日以来、いつもあなたがたとどんなふうに過ごしてきたか、よくご存じである。すなわち、謙遜の限りをつくし、涙を流し、ユダヤ人の陰謀によってわたしの身に及んだ数々の試練の中にあって、主に仕えてきた。また、あなたがたの益になることは、公衆の前でも、また家々でも、すべてあますところなく話して聞かせ、また教え、ユダヤ人にもギリシャ人にも、神に対する悔改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、強く勧めてきたのである」。AA 1505.1

    パウロは、常に神の律法を高く掲げた。彼は、律法には、不服従の罰から人々を救う力がないことを人々に示した。悪を行った人は、罪を悔い改めて、神の前に心を低くしなければならない。彼らは、神の律法を破ったので、当然、神の怒りをこうむった。また彼らは、ゆるしの唯一の道であるキリストの血に対する信仰を働かせなければならない。神のみ子は、彼らの犠牲として命を捨て、昇天され、彼らの仲保者として父なる神の前に立たれた。彼らは、悔い改めと信仰によって罪の罰から逃れることができる。またキリストの恵みによって、今後、神の律法に服従することができるようになるのである。AA 1505.2

    パウロは、続けて言った。「今や、わたしは御霊に迫られてエルサレムへ行く。あの都で、どんな事がわたしの身にふりかかって来るか、わたしにはわからない。ただ、聖霊が至るところの町々で、わたしにはっきり告げているのは、投獄と患難とが、わたしを待ちうけているということだ。しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。わたしはいま信じている、あなたがたの間を歩き回って御国を宣べ伝えたこのわたしの顔を、みんなが今後2度と見ることはあるまい」。AA 1505.3

    パウロは、このような言明をするつもりはなかった。しかし、彼が語っていた時に、聖霊の霊感を感じ、エペソの兄弟たちと会うのはこれが最後かもしれないと考えたことが事実になることを示された。AA 1505.4

    「だから、きょう、この日にあなたがたに断言しておく。わたしは、すべての人の血について、なんら責任がない。神のみ旨を皆あますところなく、あなたがたに伝えておいたからである」。パウロは、人を怒らせはしないかという懸念や、友情と称賛を得たいという願望のゆえに、神が彼にお与えになった教訓、警告、訓戒のことばを差しひかえるようなことはしなかった。今日、神は、神のしもべたちが、何ものも恐れずにみことばを宣べ伝え、その戒めを実行することを要求しておられる。キリストの伝道者は、人々が最も喜ぶ真理だけを伝えて、彼らの心に苦痛を与える他の真理を差しひかえてはならない。彼は、心からの関心をもって、人々の品性の向上を見守らなければならない。もしも、彼の群れの中に、罪を抱いている者があれば、彼は忠実な牧者として、神のみことばから、彼らの事情に適した教訓を与えなければならない。もし彼らに何の警告も与えず、自負心をもつがままに放任しておけば、彼らの魂の責任を彼が負わなければならない。崇高な任務を達成する牧者は、信徒たちにキリスト教の信仰のすべての点を忠実に教え、神の日に完全に立ち得るためには、どんな人間になり、何をすべきかを示さなければならない。真理を忠実に教えた教師だけが、その働きの最後において、パウロと共に、「わたしは、すべての人の血について、なんら責任がない」ということができるのである。AA 1505.5

    パウロは、兄弟たちに勧告して言った。「どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなた がたをその群れの監督者にお立てになったのである」。もし福音の伝道者たちが、自分たちの扱っているのはキリストの血によってあがなわれた人々であることを、常に覚えているならば、彼らは、自分たちの働きの重要性をさらに深く感じることであろう。彼らは、彼ら自身と彼らの群れとに気をくばっていなければならない。彼ら自身の模範が、彼らの教えを説明し、強化するものでなければならない。彼らは、生命の道の教師として、真理がそしられるような口実を与えてはならない。彼らは、キリストの代表者として、キリストのみ名の栄えを維持しなければならない。彼らは、その献身と純潔な生活と敬虔な言行によって、自分たちが崇高な召しに値するものであることを証明しなければならない。AA 1505.6

    パウロは、エペソの教会を襲う危険を示して言った。「わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている。また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起るであろう」。パウロは将来を展望して、教会には、外部と内部の両方から敵の攻撃が襲ってくるのを見、震えおののいた。彼は、厳粛で熱誠のこもった口調で、兄弟たちが目を覚まして、彼らの神聖な義務を守るように命じた。その例として、彼は、自分が彼らの間でうまずたゆまず働いたことを指摘した。「だから、目をさましていなさい。そして、わたしが3年の間、夜も昼も涙をもって、あなたがた一人一人を絶えずさとしてきたことを、忘れないでほしい」。AA 1506.1

    彼は続けて言った。「今わたしは、主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。御言には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある。わたしは、人の金や銀や衣服をほしがったことはない」。エペソの兄弟たちのある者は富んでいたが、パウロは、彼らから個人的利益を求めたことは決してなかった。自分の必要に人の注意を引くことは、彼の使命の一部ではなかった。「わたしのこの両手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人たちのためにも、働いてきたのだ」と彼は言った。彼は、困難な仕事とキリストの働きのための長い旅のさ中にあっても、ただ自分の必要を満たすだけでなくて、仲間たちを支え、困っている人々を救済するために分け与えることができた。彼は、絶え間ない勤勉と、極度の倹約によって、これを達成したのである。彼が自己の模範を指し示して、次のように言うことができたのも当然である。「わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。AA 1506.2

    「こう言って、パウロは一同と共にひざまずいて祈った。みんなの者は、はげしく泣き悲しみ、パウロの首を抱いて、幾度も接吻し、もう2度と自分の顔を見ることはあるまいと彼が言ったので、特に心を痛めた。それから彼を舟まで見送った」。AA 1506.3

    一行は、ミレトを出港して、「コスに直航し、次の日はロドスに、そこからパタラに着いた」。パタラは、小アジヤの南西岸にあった。彼らは、「ここでピニケ行きの舟を見つけたので、それに乗り込んで出帆した」。ツロで積荷が陸上げされ、彼らは、幾人かの弟子たちを見つけて、そこに7日間とどまることができた。これらの弟子たちは、エルサレムで危険がパウロを待ちうけているという警告を聖霊によって与えられ、「エルサレムには上って行かないように」しきりにパウロに勧めた。しかし、パウロは、苦難に会おうが、投獄されようが、意図したことを変えるつもりはなかった。AA 1506.4

    ツロにおける1週間の滞在が終わった時に、兄弟たちはみな、妻や子供を連れて、船までパウロと一緒に来た。そして彼らは、パウロが船に乗る前に、海岸にひざまずいて互いのために祈った。AA 1506.5

    一行は、ふたたび南に旅をつづけて、カイザリヤに着き、「かの7人のひとりである伝道者ピリポの家に行き、そこに泊まった」。ここで、パウロは、数日間の平和で幸福な時を過ごした。しかし、長期間にわたって、彼が完全な自由を楽しむのは、これが最後になるのであった。AA 1506.6

    ルカは、パウロがカイザリヤに滞在している間に、「アガボという預言者がユダヤから下ってきた」と言っている。「そして、わたしたちのところにきて、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った、『聖霊がこうお告げになっている、「この帯の持ち主を、ユダヤ人たちがエルサレムでこのように縛って、異邦人の手に渡すであろう」』」。AA 1507.1

    ルカは続けて言っている。「わたしたちはこれを聞いて、土地の人たちと一緒になって、エルサレムには上って行かないようにと、パウロに願い続けた」。しかし、パウロは、義務の道からそれようとはしなかった。彼は、必要ならば、獄屋にも、死にも、キリストに従って行くのであった。彼は叫んだ。「あなたがたは、泣いたり、わたしの心をくじいたりして、いったい、どうしようとするのか。わたしは、主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことをも覚悟しているのだ」。兄弟たちは、いたずらに彼の心を苦しめ、彼の決心を変えることができないのを悟って、無理に強いることをやめ、「主のみこころが行われますように」と言っただけで、それ以上何も言わなかった。AA 1507.2

    やがて、カイザリヤにおける短い滞在の期間が終わる時が来た。そして、パウロと彼の一行は、数人の兄弟たちと共に、エルサレムに向かって出発した。彼らの心は、接近するわざわいの予感に深くおおわれていた。AA 1507.3

    パウロはこれまで、このような悲しい思いをもってエルサレムに近づいたことはなかった。彼は、友が少なく、敵が多くいることを知っていた。彼は、神のみ子を拒否して殺害した都、そして、今や、神の怒りが臨もうとしている都に近づいているのであった。彼は、自分自身が、いかにキリストの弟子たちに対して苦々しい偏見を抱いていたかを思い起こして、惑わしにおちいっている同胞に、深いあわれみの情を感じた。しかし、彼らを助けることのできる望みは、なんとうすいことであろうか。かって、彼自身の心の中に燃えていたのと同じ盲目的怒りが、今、彼に対して、恐ろしい勢いで、全国民の心の中で燃えているのであった。AA 1507.4

    またパウロは、同信の兄弟たちの同情と支援にさえ頼ることができなかった。悔い改めないユダヤ人たちは、しつこく彼につきまとって、時を移さず、直接また手紙の両方によって、彼と彼の働きに関する不利な報告を広めた。そして、使徒たちや長老たちのあるものは、この報告が真実であると信じて、何の反駁もしなければ、彼と一致しようとするどんな希望も示さなかった。AA 1507.5

    しかし、パウロは、失望すべき状況のさ中にありながらも、絶望しなかった。彼は、彼自身の心に語った天からの声が、なお、同胞の心に語りかけることを信じ、同信の弟子たちが愛し仕えている主が、彼らの心と彼の心を一致させ、福音の働きに従事させて下さることを信じたのである。AA 1507.6

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