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各時代の大争闘 - Contents
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    ローマの政策

    無神論者が完成しつつあった仕事を、最初に始めたのは法王権であった。フランスをこのように速やかに破滅に陥れた、社会的政治的宗教的状勢を引き起こしたのは、ローマの政策であった。著作家たちは、革命の恐怖に言及して、これらの暴挙は国王と教会の責任であると述べている。厳密に言うならば、それらは教会の責任であった。GC 1726.5

    法王側は、王たちに、宗教改革に対する反感を抱かせ、それが王の敵であり、国家の平和と秩序を破壊する不穏な分子であると考えさせた。こうして、国王に最も恐ろしい残酷な行為と悲惨な迫害を行わせるのが、ローマのやり方であった。GC 1726.6

    自由の精神は、聖書と共に伝わった。福音が伝えられたところはどこでも、人々の心が覚醒された。彼らは、今まで自分たちを、無知と悪習と迷信の奴隷として縛っていた拘束を捨て始めた。彼らは、人間として思考し行動しはじめた。国王たちはこれを見て、彼らの専制政治の安泰を気づかった。GC 1726.7

    ローマは、彼らのしっと深い恐怖心をたきつけるのに後れをとらなかった。1525年、フランスの摂政にあてて法王は言った。「この宗教狂(プロテスタント主義)は、宗教を混乱させ破壊するだけでなくて、すべての主権者、貴族、法律、秩序、階級をも破壊するものである。」13その数年後に、法王の使節は、王に警告して言った。「陛下、欺かれてはなりません。プロテスタントは、宗教的秩序とともにあらゆる市民的秩序をもくつがえすでしょう。……祭壇と同様に、王座も非常な危険にさらされております。……新しい宗教をとり入れることは、当然新しい政府をもたらすことになります。」14また神学者たちは、プロテスタントの教義は、「人々を目新しい愚かなものに誘い、国民の王に対する敬愛を失わせ、教会と国家を2つとも荒廃させる」と言って、人々の偏見をあおった。こうして、ローマは、フランスをして宗教改革に敵対させるのに成功した。「フランスにおいて、迫害の剣が最初に抜かれたのは、王位を安全にし、貴族を保護し、法律を維持するという名の下にであった。」15GC 1726.8

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