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各時代の大争闘 - Contents
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    世界各地の再臨運動

    再臨使命は、英国においては、早くも1826年から伝えられ始めた。ここの運動は、米国のようにはっきりとした形をとらなかった。再臨の正確な時は、それほど一般には伝えられなかったが、しかしキリストが力と栄光をもってまもなく来られるという大真理は、広く宣言された。そして、これは、単に非国教徒たちの間だけではなかった。英国の著作家モーラント・ブロックの言うところによれば、英国国教会の牧師約700人が、「この、御国の福音」の宣布に従事したということである。1844年が主の再臨の時であるというメッセージも、英国で伝えられた。再臨に関する出版物が米国から来て広く配布された。書籍や雑 誌が英国で再発行された。そして、1842年に、米国で再臨信仰を受け入れた英国人ロバート・ウィンターが帰国して、主の来臨を宣布した。彼の事業に協力する者が多くあらわれ、審判のメッセージは英国各地で宣布された。GC 1769.6

    未開と聖職者たちの政略とのただ中にあった南米において、スペイン人でイエズス会のラクンザは、聖書を知って、キリストが速やかに来られるという真理を受け入れた。彼は、世に警告を発したいと思ったが、ローマの譴責を免れるために、改宗したユダヤ人をよそおって「ラビ・ベンエズラ」という偽名で、彼の見解を発表した。ラクンザは18世紀の人であったが、1825年ごろに彼の本はロンドンに渡り、英訳された。この書物の発行は、英国においてすでに起こっていた再臨問題に関する興味を、深めることになった。GC 1770.1

    ドイツにおいてこの教義は、18世紀に、ルーテル教会の牧師で、聖書学者・批評家として有名なベンゲルによって唱えられた。教育を終了したベンゲルは、「神学の研究に没頭した。若い時からの教育と訓練によって深められた、彼のまじめで宗教的な性格は、自然と彼をそのほうへ向けたのであった。古今の思慮深い青年たちと同様に、彼も、宗教的な疑惑や困難と戦わなければならなかった。そして彼は、『彼の哀れな心を刺し通して、彼の青春を耐え難いものにした多くの矢』について、感慨深く語っている。」ビュルテンベルクの宗教法院の一員となってから、彼は宗教の自由を提唱した。「彼は、教会の義務と特権を維持しながらも、良心的理山のもとに教会の交わりから去らねばならないと考える者には、あらゆる正当な自由を与えるべきことを主張した。」13この方針の好結果は、今でも彼の故郷に残っている。GC 1770.2

    降誕節の日曜日の説教を黙示録21章から準備していた時に、キリスト再臨の光がベンゲルの心に差し込んだ。黙示録の預言が、これまでになくはっきりと理解できた。彼は、預言者に示された光景の驚くべき重要性とすばらしい栄光とに圧倒されて、一時は、この問題の瞑想を差し控えなければならなかった。彼が講壇にあった時に、それが再び、そのまま生き生きと力強く彼に示された。その時以来彼は、預言、特に黙示録の預言の研究に没頭し、まもなく、預言はキリストの再臨が近いことを示しているという信仰に到達した。彼が再臨の時として定めた時は、後にミラーが定めた時と2、3年しか離れていなかった。GC 1770.3

    ベンゲルの著書は、キリスト教国に広く伝わった。預言に対する彼の見解は、彼の故郷のビュルテンベルクにおいて、一般に受け入れられ、ドイツの他の地方にもある程度波及した。この運動は彼の死後も続けられ、再臨使命は、他の国々において人々の注目をひいたのと時を同じくして、ドイツでも聞かれた。初期のころにロシアに行き、そこで植民地を開いた信者もあった。今日においても、同国のドイツ教会では、キリストがまもなく来られるという信仰を保っている。GC 1770.4

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