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各時代の大争闘 - Contents
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    使命を受け入れた人々

    きわめて重要な敬虔の精神さえ欠けていれば、人間が宗教の形式を保つことは、サタンの策略には都合がいいのである。ユダヤ人は、福音を拒否した後も、相変わらず熱心に昔からの儀式を守り、厳格に国家的排他主義を保ってきたが、その反面、自分たちの間に神の臨在がもはや現れていないことを認めないわけにいかなかった。ダニエルの預言は、メシヤの来臨の時を明白に示し、彼の死をはっきりと預言していたので、彼らは、その研究をやめさせ、ついにラビたちは、時を計算しようとするすべての者に、のろいを宣言するに至った。イスラエルの人々は、無分別と頑迷のうちに、その後の歳月を送ってきた。彼らは、救いの恵み深い招待に無関心であった。また、福音の祝福と、天からの光を拒むことについての厳粛で恐ろしい警告とに、心をとめなかった。GC 1777.4

    原因のあるところには、必ずその結果が伴う。義務であると知りながらも、それが自分の好みに合わないからと言って、故意にその信念をもみ消すものは、ついに、真理と誤りの区別をする能力を失ってしまう。理解力はにぶり、良心は無感覚になり、心はかたくなになり、魂は神から離れてしまう。神からの真理のメッセージが、拒絶または軽視される時に、教会は暗黒に覆われる。信仰と愛は冷え、離反と分離が起こる。教会員は、世俗の追求に興味と精力を集中し、罪人は心をかたくなにして悔い改めないのである。GC 1777.5

    神のさばきの時を知らせ、神をおそれ礼拝するよう人々に呼びかけた、黙示録14章の第一天使の使命は、神の民と称する人々を世俗の悪影響から引き離し、世俗化と背信という彼らの真の状態を認めさせるためのものであった。この使命によって、神は教会に1つの警告をお与えになった。もし彼らが、それを受け入れていたならば、彼らを神から閉め出していた害悪を正すことができたのであった。もしも彼らが、 天からの使命を受け入れ、主の前に心を低くして、み前に立つ準備を真心から求めていたならば、聖霊と神の力が、彼らの間にあらわされていたことであろう。教会は再び使徒時代の時のような、一致と信仰と愛の幸福な状態に到達していたことであろう。GC 1777.6

    使徒時代には信者たちは、「心を1つにし思いを1つにして、」「大胆に神の言を語り、」「主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである」(使徒行伝4:32、31、2:47)。GC 1778.1

    もし神の民と称する人々が、み言葉から輝く光を受け入れるならば、彼らは、キリストが祈られた一致に到達することであろう。それは、使徒が「平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を」と言ったところのものである。「からだは1つ、御霊も1つである。あなたがたが召されたのは、1つの望みを目ざして召されたのと同様である。主は1つ、信仰は1つ、バプテスマは1つ」と彼は言っている(エペソ4:3~5)。GC 1778.2

    再臨使命を受け入れた人々は、このような幸福を経験した。彼らは、さまざまな異なった教派から来ていたが、そうした教派的障害は打ち砕かれた。相いれない信条は、こなごなに砕かれた。この世の至福千年期という非聖書的な希望は、放棄された。キリスト再臨に関する誤った見解は正された。誇りと世俗との妥協は一掃された。悪は正された。人々の心は親しい交わりを結び、愛と喜びがみなぎった。もしこの教義が、これを信じた少数の者に、このようにしたのであれば、すべての者が受け入れていたなら、すべての者に同じような影響を及ぼしたはずであった。GC 1778.3

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