Loading...
Larger font
Smaller font
Copy
Print
Contents
各時代の大争闘 - Contents
  • Results
  • Related
  • Featured
No results found for: "".
  • Weighted Relevancy
  • Content Sequence
  • Relevancy
  • Earliest First
  • Latest First
    Larger font
    Smaller font
    Copy
    Print
    Contents

    夜中の叫び

    この運動が起きたのは、2300日の起算点であるところの、エルサレムを建て直せというアルタシャスタ王の勅令は、紀元前457年の秋に効力を発したのであって、以前に信じられていたように、その年の初めではなかったということが、発見されたからであった。457年の秋から数えれば、2300年は、1844年の秋に完了する。GC 1788.1

    また、旧約聖書の型から見ても、「聖所の清め」によって表わされている事件が起こるのは、秋であることが示されていた。これは、キリストの初臨に関する型が成就した方法に注目した時、非常に明瞭となった。GC 1788.2

    過越の小羊をほふることは、キリストの死の型であった。パウロは次のように言っている。「わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ」(Ⅰコリント5:7)。過越の祭りの時に主の前で揺り動かす初穂の束は、キリストの復活の典型であった。パウロは、主と主のすべての民との復活について、こう述べている。GC 1788.3

    「最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち」(Ⅰコリント15:23)。収穫に先だって最初に実った穀物が揺祭としてささげられたように、キリストは、将来復活の時に神の倉に収められる贖われた人々の、永遠の収穫の初穂である。GC 1788.4

    こうした型は、そのできごとだけでなくて、その時に関しても成就した。ユダヤ暦の1月14日、すなわち1500年という長期にわたって過越の小羊がほふられてきたその月その日に、キリストは、弟子たちと過越の食事をともにし、「世の罪を取り除く神の小羊」としてのご自身の死を記念する式典を制定された。その夜、彼は悪人たちの手に捕らえられ、そして十字架にかけられて殺されることになった。そして、われわれの主は、揺祭の束の実体として、3日目に死からよみがえり、「眠っている者の初穂」となり、贖われたすべての者の「卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変え」ることを実証された(同15:20、ピリピ3:21)。GC 1788.5

    これと同様に、再臨に関連した型も、象徴的奉仕の中で指示されたその時期に成就しなければならない。モーセの律法において、聖所の清め、すなわち、大いなる贖罪の日は、ユダヤ暦の7月10日に行われた(レビ16:29~34)。その日に、大祭司は、全イスラエル人の罪の贖いをなし、彼らの罪を聖所から除き、出て来て、民を祝福した。そのように、われわれの大祭司キリストが現れて、罪と罪人を滅ぼし、地を清め、待望していた神の民に永遠の生命を与えるものと、人々は信じた。聖所の清めの時である大いなる贖罪の日の7月10日は、1844年の10月22日にあたり、その日が主の再臨の時であると考えられた。これは、2300日が秋に終結するという前記の証拠とも一致し、この結論は反論できないと思われた。GC 1788.6

    マタイ25章のたとえでは、待機と眠りのあとに花婿が来ることになっている。これは、預言と型との両面から提示された今の議論とも一致していた。彼らは、それらが真実であることを堅く信じた。そして、「夜中の叫び」が、幾千の信徒たちによって叫ばれた。GC 1788.7

    Larger font
    Smaller font
    Copy
    Print
    Contents