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各時代の大争闘 - Contents
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    現代のリバイバルは本物か

    ところが、現代のリバイバルの多くは、初期の時代において神のしもべたちの働きに伴った神の恵みのあらわれと、著しく異なっている。たしかに、広く人々の関心をあおり、多くの者が自分たちは改心したと言い、教会に多数の信者が加わっている。しかし、それに伴って真の霊的生命が向上したということを保証するような結果は、あらわれていない。一時燃え立った火は、すぐに消えて、暗黒は前よりもいっそう深刻になる。GC 1820.5

    一般のリバイバルは、ともすれば、想像に訴え、感情を刺激し、新奇なことに対する愛好心を満足させるようなやり方で行われている。こうして得た改心者は、聖書の真理を聞くことを望まず、預言者や使徒たちのあかしに興味を示さない。集会も何か感情をそそるようなものがないかぎり、彼らをひきつけることができない。冷静な理性に訴えるメッセージは、なんの反応も起こさない。彼らの永遠の幸福に直接関係のある、神の言葉の明白な警告も、注意を払われないのである。GC 1820.6

    真に改心したすべての魂にとって、神と永遠の事物とに対する関係は、人生の大問題である。しかし今日、一般の教会のどこに、神への献身の精神があるであろうか。改心者たちは、誇りと世俗を愛する心を捨てていない。彼らが、自己を否定し、十字架を取り上げて、柔和で謙遜なイエスに従っていこうとしないのは、改心前と全く同様である。宗教は、多くの者が、その名をとなえながらその原則に無知であるために、無神論者や懐疑論者の物笑いとなってきた。敬虔さの持つ力は、多くの教会からほとんど姿を消している。行楽、演劇、バザー、りっぱな建物、信徒の華美な装いなどが、神の思いを遠ざけてしまっている。土地、財産、世俗の職業が心を奪い、永遠のことに気を配るものはほとんどいない。GC 1820.7

    しかし、信仰と敬虔さが一般に衰微したとはいっても、これらの教会の中に、キリストの真の弟子たちがいるのである。地上に神の最後のさばきが下るに先だって、主の民の間に、使徒時代以来かつて見ら れなかったような初代の敬虔なリバイバルが起きる。神の霊と力が神の子供たちの上に注がれる。GC 1820.8

    その時、多くの者が、神と神の言葉の代わりにこの世を愛してきた諸教会から離れる。牧師も信徒も、多くの者が、主の再臨に民を備えさせるために神が今宣布させておられるこれらの大真理を、喜んで受け入れる、魂の敵は、この働きを妨害しようとする。そして、こうした運動が起こる前に、偽物を提示することによってそれを妨害しようとする。彼は、自分の欺瞞の力のもとに置くことのできる諸教会において、神の特別な祝福が注がれているかのように見せかける。大いなる宗教的関心と思われるものが現れる。多くの人々は、神が彼らのために驚くべきことをしておられると喜ぶが、それは、別の霊の働きなのである。宗教的装いのもとに、サタンは、キリスト教世界に自分の勢力を広げようとする。GC 1821.1

    過去半世紀の間に起こったリバイバルの多くには、将来大規模にあらわれるのと同じ勢力が、多少とも働いていた。そこには感情の興奮と、真理と虚偽の混合が見られ、それは人を欺くのに好適なのである。しかし、だれも欺かれる必要はない。神の言葉に照らしてみるならば、これらの運動の本質を見定めることは、むずかしいことではない。人々が聖書の証言をおろそかにし、克己と世俗の放棄とを要求する明快で人の心を試す真理から顔をそむけるならば、神の祝福を受けることができないのは確かである。そして、「その実によって彼らを見わけるであろう」という、キリストご自身がお与えになった規準によって、これらの運動は神の霊の働きではないことが明らかなのである(マタイ7:16)。GC 1821.2

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