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各時代の大争闘 - Contents
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    懐疑主義をもたらすもの

    俗受けのする神学の誤りが、多くの者を懐疑論者にしてしまった。これらの人々は、そのようなことがなければ、聖書を信じていた人々なのである。人は自分の抱いている正義感、慈悲、博愛の精神などを踏みにじるような教理は、受け入れることができない。しかも、それが聖書の教えであると説かれるために、聖書を神のみ言葉として受け入れようとしないのである。GC 1853.2

    これこそ、サタンが達成しようとねらっている目的である。サタンは何よりも、神と神のみ言葉に対する信頼感を失わせようと望んでいる。サタンは懐疑主義者の大軍の首領であって、人々を欺いて自分の味方にしようと全力を尽くしている。疑うことが流行になっている。聖書が、その著者であられる神と同様に、罪を責め、人々を罪に定めるので、多くの者は、神のみ言葉を不信の念をもって見る。聖書の要求に服従しようとしない者は、その権威を覆そうとはかる。彼らが聖書を読み、説教を聞くのは、聖書や説教の中に欠点を見つけようとするためである。自らを義とするために、または、果たすべき義務を怠った言いわけのために、無神論者になる者も少なくない。高慢と怠慢から懐疑的になる者もいる。彼らは安逸を好むために、努力と克己を要する何か価値のある働きを達成することによって抜きんでようとはしない。そこで、聖書を批評することによって、すぐれた知恵の持ち主であるという名声を得たいと思うのである。GC 1853.3

    天からの知恵によって光が与えられなければ、限りある人間にはわからないことが多い。そこに彼らは、批評の機会を見いだす。不信、懐疑、無神論の側に立つことが、何か名誉ででもあるかのように思っている者が多い。彼らは、いかにも率直をよそおっているが、実は、自負心高慢心に駆られているのである。他の人の頭を悩ますような聖句を見いだすことに興味を感じている者が多い。初めはただの議論好きから、反対の側に立って批評したり理屈を言ったりする者もある。彼らはこのようにして捕獲者の網にかかってしまうことを知らない。彼らは、すでに公然と不信を表明した以上、あくまでもその立場を守らなければならないと考える。こうして、彼らは不信仰な者と一致し、自分から天国の門を閉ざしてしまうのである。GC 1853.4

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