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各時代の大争闘 - Contents
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    普遍救済説の欺瞞

    永遠の責め苦の教理を嫌悪する多くの人々は、これと反対の誤りに追い込まれる。聖書に神は愛と憐れみに満ちたお方として示されているので、被造物を永遠の焦熱地獄に投げ込むとは信じることができないのである。しかし、魂はもともと不死であると信じられているので、全人類はついには救われると結論するほかはないのである。聖書に恐ろしいことが記されていても、それは単に人を服従させるためのおどしであって、文字どおりに実現はしないと思っている人が多い。こうして、罪人は利己的な快楽を楽しみ、神の律法を無視しても、ついには神の恵みにあずかることができるということになる。神の恵みにつけ込んだこのような教理は、神の正義を無視し、肉の心を喜ばせ、大胆に罪を犯させるようになる。GC 1859.1

    万人は救われると信じる人々が、魂を破滅に陥れるこの教理を支持するために、聖書をどのように曲解するかを示すためには、彼ら自身が言っていることを引用すれば十分であろう。事故のために即死したところの、神を信じていなかった一青年の葬式において、普遍救済論者(ユニバーサリスト)の牧師は、ダビデに関する次の聖句を引用した。「彼は、アムノンが死んだのを見て、アムノンに関しては気持ちが落ち着いた」(サムエル下13:39・英語訳)。GC 1859.2

    説教者は次のように言った。「わたしは、罪のうちにこの世を去る人々、酩酊状態のまま死ぬ人、その着物に罪の赤いしみを残したままで死ぬ人、または、この青年のように、信仰を告白せず、宗教生活の経験を持たないで死ぬ人の運命について、よく質問を受ける。われわれは聖書でもって満足している。聖書の解答が、恐ろしい問題に解決を与える。アムノンは、非常に罪深かった。彼は悔い改めなかった。そして、酒に酔い、酩酊状態のまま殺された。ダビデは、神の預言者であった。彼は、アムノンが来世において、幸福になるか不幸になるかを知っていたにちがいない。彼の心境についてなんと言われているであろうか。『王は心に、アブサロムに会うことを、せつに望んだ。彼はアムノンが死んだのを見て、アムノンに関しては気持ちが落ち着いたからである。』GC 1859.3

    この言葉から、どんな結論が得られるであろうか。ダビデは永遠の苦しみを信じていなかったのではなかろうか。われわれはそう考える。そして、最後には普遍的な純潔と平和が来るという、さらに喜ばしくさらに高尚で慈愛にあふれた仮説を支持するところの、輝かしい論証をここに発見するのである。彼は、自分の息子が死んだのを見て、気持ちが落ち着いた。それは、なぜであるか。それは、彼が予言的眼をもって、輝かしい将来をながめ、息子がすべての誘惑から遠く引き離され、束縛から解放されて、罪の汚れから清められ、そして、十分に清めと光を与えられた後で、昇天して、天の喜びにあずかっている霊魂の群れに入れられるのを見ることができたからである。彼の唯一の慰めは、彼の愛する息子が、現在の罪と苦悩の状態から取り去られて、聖霊の高貴ないぶきが彼の暗くなった心にそそがれるところに行き、彼の心が天の知恵と永遠の愛の喜びに対して開かれて、こうして、清い性質を与えられて、天の嗣業の休息と交わりに入ることであった。GC 1859.4

    こう考える時に、天国の救いは、人間がこの地上でなし得ることや、今心を変化させること、あるいは、今何を信じ、どんな信仰を告白するかなどによらないと、われわれが信じていることも、理解してもらえるであろう。」GC 1859.5

    こうして、キリストの牧師と称している人が、エデンでへびが言った「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。」「それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となる」という偽りをくり返している。彼は、極悪の罪人たち、すなわち、人を殺し、盗み、姦淫を行う人々が、死後、永遠の祝福にあずかる準備をすることができるというのである。GC 1859.6

    この聖書の曲解者は、何を根拠にして、こういう結 論に達するのであろうか。それは、神の摂理に対するダビデの服従をあらわしている1つの文章からである。「王は心に、アブサロムに会うことを、せつに望んだ。彼はアムノンが死んだのを見て、アムノンに関しては気持ちが落ち着いたからである。」彼の激しい悲哀は、時がたつにつれて、やわらげられ、その思いは、死んだ息子から、生きている息子に、すなわち、自分の犯罪の当然の罰を恐れて逃亡した息子に向けられたのであった。ところが、これが、近親相姦の罪を犯し、酒に酔ったアムノンが、死んだ時に直ちに幸福な住居に移され、そこで清められて、罪のない天使たちとの交わりに入る準備をするということの、証拠だというのである。これは、まことに、肉の心を満足させるのに都合のよい快い作り話である。これは、サタン自身が作り出した教義であって、効果的にサタンの働きをしている。こういう教えがあるのであるから、罪悪が満ちても驚くにはあたらないのである。GC 1859.7

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