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各時代の大争闘 - Contents
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    悪人たちの回想と後悔

    わたしは神の子であるとのキリストの宣言をあざけった者たちは、今は何も言えない。そこには、イエスの王の称号をあざけって、あざ笑う兵士たちに命じてイエスに冠をかぶらせたヘロデもいる。不敬な手で紫の衣を着せ、その尊い額にいばらの冠をかぶらせ、なんの抵抗もなさらないみ手に偽の笏を持たせ、嘲笑しながら礼拝のまねをして神を汚した、その当人たちがいる。いのちの君を打ち、つばをはきかけた者たちは、今、キリストの射るような視線から顔をそむけ、そのご臨在の圧倒的な栄光から逃げようとする。イエスの手と足に釘を打った者たちや、その脇腹を刺した兵士は、恐怖と後悔とに打ち震えてその傷跡を見る。GC 1913.1

    祭司たち、為政者たちは、恐ろしいばかりにはっきりと、カルバリーのできごとを思い起こす。悪魔のように勝ち誇った気持ちで、頭を振りながら「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい」と叫んだことを思い出して、彼らは震えあがる(マタイ27:42、43)。GC 1913.2

    彼らは、主人のぶどう園の実を納めることを拒んで、主人のしもべたちを辱しめ、主人の子を殺した農夫たちについての救い主のたとえ話を、はっきり思い起こす。彼らは、また、ぶどう園の主人は「悪人どもを皆殺しに」するであろうと、彼ら自身が言い放った宣告を思い出す。これらの不忠実な人々の罪と刑罰の中に、祭司や長老たちは、自分たちの歩んだ道と、自分たちの受けるべき運命とを認める。そして今や、彼らの断末魔の苦悩の叫びがあがる。「十字架につけよ、十字架につけよ」とエルサレムの町じゅうに響いた叫びよりも、さらに大きな声で、「彼は神のみ子だ!彼は真のメシヤだ!」という恐ろしい、絶望的な嘆きの声があがる。彼らは王の王のみ前から逃げようとする。自然界の変動のためにできた地のほら穴の奥深くに隠れようとするが、むだである。GC 1913.3

    だれでも真理を拒む者の一生には、いつかは、良心が目覚め、偽善的な生活をふりかえって苦しみ、魂がとりかえしのつかない後悔に悩まされる時がある。けれども、そうしたことは、「恐慌が、あらしのように……臨」み、「災が、つむじ風のように臨」むその日の激しい後悔とは、とうていくらべられない(箴言1:27)。キリストとキリストの忠実な民とを殺そうとした人々は、今、その人たちの上に栄光が宿っているのを見る。彼らは、自分たちが恐怖に襲われている最中に、聖徒たちが喜ばしい声で、「見よ、これはわれわれの神である。わたしたちは彼を待ち望んだ。彼はわたしたちを救われる」と叫ぶのを聞く(イザヤ25:9)。GC 1913.4

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