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各時代の大争闘 - Contents
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    福音の伝播

    ウィクリフが教えた教義は、その後もしばらくの間人々の間に広まっていった。ウィクリフ派、ロラード派として知られた彼の信奉者たちは、英国をへめぐっただけでなく、他の国々にも散っていって、福音の知識を人々に伝えた。今や指導者が取り去られたからには、説教者たちはこれまで以上の熱心さで活動した。そして群衆は、彼らの教えを聞くために集まってきた。改心者のなかには、貴族もあれば、王妃さえ混じっていた。多くの場所で、人々の生活態度に著しい改革が行われ、ローマ教の偶像的な象徴が教会から取り除かれた。しかし、聖書を自分たちの指導書として信じる人々の上に、間もなく、残酷な迫害のあらしが吹き荒れた。ローマの支援を受けて権力を強化しようとする英国の君主たちは、改革者たちを犠牲にすることをためらわなかった。英国の歴史上初めて、福音の弟子たちに対して火刑の布告が出された。殉教者があいついだ。真理の擁護者たちは、追放され、拷問にかけられて、その叫びを万軍の主にあげることしかできなかった。彼らは、教会の敵、国家の裏切り者として狩り立てられながらも、ひそかに説教をつづけ、貧しい人々のあばらやでもどこにでも隠れ家を見つけ、しばしば洞穴にさえ隠れたりした。GC 1633.4

    激しい迫害にもかかわらず、広く見られた信仰の腐敗に対するところの、冷静で敬虔、熱心で忍耐強い抗議が、幾世紀にもわたって叫ばれ続けた。当時のキリスト者たちは、真理の知識を部分的にしか持っていなかったが、神のみ言葉を愛し服従していたので、そのための苦しみに耐えたのであった。多くの者は、使徒時代の弟子たちのように、キリストのためにこの世の財産を犠牲にした。家に住むことを許された者たちは、追放された兄弟たちを喜んでかくまい、そして、自分たちも追放されたならは、喜んてその運命に目んじた たしかに、おひたたしい数の者か、迫害者の激しい怒りを恐れて、信仰を犠牲にして自由を得た そして、自説撤回を公衣するために悔悟者の衣を着て、牢獄から出たのであった。しかし、牢獄の独房や“ロラード塔”、そして拷問と炎のなかにあっても、「その苦難にあずかる」に足るものとされたことを喜び、真理のために恐れずあかしを立てたものが少なからずあった。そしてその中には身分の卑しい者もいたが、同時に高貴な生まれの人々もあったのである。GC 1634.1

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