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各時代の大争闘 - Contents
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    フスの生い立ち

    ヨハン・フスは、卑しい身分の家に生まれ、幼少の時に父親を失った。しかし、彼の信心深い母親は、教育と神を恐れることとを最も価値ある財産とみなして、こうした遺産を息子のために確保しようとした。フスは、地力の学校で学んでから、慈善学生としてプラハの大学に入学を許された。彼は母に付き添われて、プラハへと旅立った。彼女は貧し未亡人であって、息子に与えるようなこの世の富は何も持っていなかった。しかし彼らが大都会に近づくと、彼女は、父親のいない息子のそばにひさまずいて、彼の上に天の父の祝福を祈り求めた。自分の祈りがどのように答えられるか、この母親は知るよしもなかった。GC 1635.2

    大学においてフスは、たゆまぬ熱心と急速な進歩によって、すぐに頭角をあらわした。また、彼の非難されるところのない生活、穏やかで好感のもてる態度は、だれからも尊敬された。彼は、ローマ教会の誠実な信者で、教会が与えると主張している霊的祝福を熱心に求めていた。大赦のおりには告白に行き、乏しいさいふをはたいてささげ、罪のゆるしを受けるために行列に加わった。彼は、大学を終えてから聖職者の道に進み、どんどん昇近して、間もなく王室づきになった。彼はまた、母校の教授となり、後には総長になった。わずか数年のうちに1人の卑しい慈善学生かボヘミアの誇りとなり、彼の名はヨーロッパ全体に知れわたった。GC 1635.3

    しかし、フスが改革の事業を始めたのは、別の分野においてであった。彼は司祭に任じられてから数年後に、ベツレヘム礼拝堂の説教者として指名された。この礼拝堂の創設者は、聖書を自国語で説くことが非常に重要であると主張したのであった。このことに対するローマの反対にもかかわらず、ボヘミアでは、それが完全に中止されてはいなかった。しかし聖書に関する無知ははなはだしく、あらゆる階級の人々の間で、最もひどい不道徳が有われていた。フスは、こうした悪習を容赦なく責め、神のみ言葉を引用することによって、彼の説く真理と純潔の原則を強調した。GC 1635.4

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