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各時代の大争闘 - Contents
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    ツウィングリ、働きにつく

    まもなくツウィングリは、バーゼルから呼ばれて、彼の一生の仕事に従事することになった。彼の最初の任地は、彼の郷里からそれほど遠くないアルプスの教区であった。司祭としての按手を受けてから、「彼は、全力をあげて、神の真理の探究に専念した。それは、キリストの群れを託された者は、どんなによく聖書を知らねばならないかを痛感したからであった」1と、彼の同僚である王一改革者は語っている。彼が聖書を探究すればするほど、聖書の真理とローマの邪説との対照がいっそう明らかになった。彼は、聖書が神の言葉であって、完全で誤ることのない唯一の規準であることを信じた。彼は、聖書が聖書自身の解釈者でなければならないことを認めた。彼は、先入観による理論や教義を支持するために聖書を説明しようとはせずに、聖書が直接はっきりと教えていることは何かを学ぶことを彼の義務とした。彼は、その意味を完全正確に理解するために、あらゆる助けを活用しようとした。そして、彼は聖霊の助けを祈り求めた。聖霊は、真剣に祈り求めるすべての者に、その真意をあらわすのであると、彼は断言した。GC 1674.2

    ツウィングリは次のように言った。「聖書は、人間からではなく、神から来ている。そして、光をお与えになる神が、み言葉が神からのものであることを理解させてくださる。神の言葉は、……誤ることがない。それは輝き、それ自身を教え、それ自身を啓示し、あらゆる救いと恵みとによって魂を照らし、神にあって慰めを与え、謙虚にする。そこで魂は、自分を忘れ去って、神を受け入れるのである。」ツウィングリは、こうした言葉を実際に体験していた。当時の経験を、彼は後にこう書いた。GC 1674.3

    「わたしが聖書に没頭し始めると、哲学や神学(スコラ哲学)が常にわたしに反論するのであった。そこでわたしは、ついに『それはそのままにしておいて、神ご自身の単純な言葉からだけ、神が言おうとなさっていることを学ばなければならない』という結論に達した。それからわたしは、神の光を求めるようになり、聖書はわたしにとって、たやすく理解できるようになった。」2GC 1674.4

    ツウィングリが説いた教義は、ルターから受けたのではなかった。それは、キリストの教義であった。「もしルターがキリストを説教しているならば、彼はわたしと同じことをしている。彼がキリストに導いた人々は、わたしが導いた者よりは数が多い。しかしこれは問題ではない。わたしは、キリストの名以外のどんな名も帯びない。わたしは彼の兵卒であり、彼だけがわたしの主である。わたしはルターに…言も書かなかったし、彼もわたしに書いていない。それだのに、なぜ?……われわれが何1つ共謀しなかったのに、キリストの教義をこのように王・様に教えるということは、いかに神の霊ご自身が同一のものであるかを示している」とツウィングリは言った。3GC 1674.5

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