本章はダニエル3章に基づく PK 574.4
終末に至るまでのでき事をネブカデネザルの前に示した巨大な像の夢は、彼が世界の歴史においてどんな役割を果たし、彼の王国が天の王国とどんな関係を維持すべきかを理解するためであった。彼は夢の解き明かしの中で、神の永遠の王国が建設されることを明らかに教えられたのである。 PK 574.5
ダニエルは言った。「それらの王たちの世に、天の神は1つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがなく、その主権は他の民にわたされず、かえってこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこの国は立って永遠に至るのです。……その夢はまことであって、この解き明かしは確かです」(ダニエル2:44、45)。 PK 574.6
王は神の力を認めてダニエルに言った、「まことに、あなたがたの神は神々の神、王たちの主であって、秘密をあらわされるかただ」(同2:47)。その後しばらくの間、ネブカデネザルは神に対する畏敬の念を抱いていた。しかし彼の心はまだ、世俗的野心と自己称揚の願望を捨て切っていなかった。その治世の繁栄に、彼の心はおごり高ぶった。やがて彼は神を崇めることをやめ、ますます熱心さと頑なさをもって、偶像礼拝に逆もどりしてしまった。 PK 574.7
「あなたはあの金の頭です」という言葉が、王の心に強い印象を与えた(同2:38)。国内の賢者たちは、これと彼が偶像礼拝にもどったことを利用して、彼が夢の中で見たのと同じような像を造って、彼の王国の代表であると解き明かされた金の頭を、すべての者が見ることのできるところに建てようと提案した。 PK 574.8
彼は諂(へつら)いの言葉を喜んで、その案を実行することにし、さらにそれ以上のことをすることに決めた。彼は自分が見た像を再現するどころか、それよりもさらに巨大なものにしようと望んだ。彼の像は頭から足へと価値が低下するようなものではなくて、その全体が金であって、バビロンが他のすべての国々を打ち砕いて、いつまでも継続する永遠不滅の強大な王国を象徴するものでなければならなかった。 PK 574.9
永遠に続く帝国と王朝とを建設するという考えは、この偉大な王に強く訴えるところがあった。彼の武 力の前に、地上の諸国は立ち向かうことができなかったのである。彼は果てしない野心と、利己的誇りからくる熱意をもって、賢者たちとこの計画の実現について謀った。大いなる像の夢に関連した驚くべき神の摂理を忘れ、またイスラエルの神がそのしもベダニェルによって像の意義を明らかにし、そしてこの解き明かしによって全国の知者たちが屈辱的な死に遭わずにすんだことを忘れ、また自己の権力と主権を確立しようとする願望のほかはすべてのことを忘れて、王とその助言者たちは万難を排してバビロンを最上の権力とし、全世界の忠誠を受けるに価するものにしようとした。 PK 574.10
神が王と国民に向かって、地上の諸国に対するみこころをあらわすためにお用いになった象徴が、今や人間の力に栄光を帰すために用いられた。ダニエルの解き明かしは拒否され、忘れ去られるのであった。真理は誤って解釈され、誤って適用されるのであった。人間の心に将来の重要なでき事を展開するために天の神が考案された象徴が、世界の人々に信じさせようと神が望まれた知識を広めるのを妨げるために用いられるのであった。こうして野心をもった人々の策略によって、サタンは人類に対する神のご計画を阻止しようとしたのである。人類の敵は、誤りの混じっていない真理には、人を救う大きな力があることを知っていた。しかしそれが、自己を高め人間の計画を推し進めるために用いられる時に、それは悪を助長する力となる。 PK 575.1
ネブカデネザルはその豊富な財宝を用いて、幻の中で見たのと同じような巨大な金の像を造らせたが、ただ1つ、それが構成されている材料の点が異なっていた。カルデヤびとは異教の神々の壮大な像になれていたとはいえ、高さ60キュビト、幅6キュビトというこのように光り輝く、巨大で荘厳な像は造ったことがなかった。偶像礼拝が広く行きわたっていた国にあって、バビロンの栄光とその壮大さと権力をあらわした美麗きわまる貴重な像が、礼拝の対象としてドラの平野で捧げられても、少しも不思議ではないのである。そのようなわけで、このことについての取り決めが行われた。そしてその落成式の日には、すべての者が像の前にひれ伏して、バビロンの権力に対する絶対の忠誠を誓わなければならなかった。 PK 575.2
定められた日がやってきた。そして「諸民、諸族、諸国語」からの1大群衆が、ドラの平野に集まった。楽器の音を聞いたときに、全群衆は王の命令に従って、「ひれ伏して……金の像を拝んだ」(ダニエル3:7)。この重大な日に、悪の勢力は大いなる勝利を収めたように思われた。そして金の像の礼拝は、国教として承認された既成の偶像礼拝の儀式と永久に結びつけられる可能性が十分にあったのである。サタンはこのようにして、イスラエルの捕虜をバビロンに置いて、あらゆる異教の国々に祝福を与えようとする、神のみこころを挫折させようとしたのである。 PK 575.3
しかし神は、それとは別のことをお命じになった。すべての者が、人間の権力を象徴する偶像にひれ伏したのではなかった。礼拝している群衆の中に、そのようなことをして天の神の栄えを汚すまいと固く決意した3人の者がいた。彼らの神は、王の王、主の主であった。彼らは他の何ものにもひれ伏さないのであった。 PK 575.4
勝ち誇ったネブカデネザルに、彼の命令に敢えて背いた者たちが、国民の中にあることが知らされた。ダニエルの忠実な仲間たちに授けられた栄誉をねたんだ知者のある者が、今、王の命令に対するはなはだしい違反を、王に告げたのである。彼らは声を高くして言った。「王よ、とこしえに生きながらえられますように。……ここにあなたが任命して、バビロン州の事務をつかさどらせられているユダヤ人シャデラク、メシャクおよびアベデネゴがおります。王よ、この人々はあなたを尊ばず、あなたの神々にも仕えず、あなたの立てられた金の像をも拝もうとしません」(同3:9~12)。 PK 575.5
王はその人々を前に連れてくるように命じた。「あなたがたがわが神々に仕えずまたわたしの立てた金の像を拝まないとは、ほんとうなのか」と王はたずねた(同3:14)。王は脅迫によって、彼らを群衆に参加させようと努めた。王は火の燃える炉を指さして、 もし彼らがあくまでも王の意志に逆らうならば、彼らには刑罰が待っていることを思い起こさせた。しかしヘブル人たちは、彼らが天の神に忠誠をつくすことと、神には彼らを救う力があると信じていることとをあかしした。 PK 575.6
すべての者は像にひれ伏すことを、礼拝の行為として理解するのであった。彼らはこのような尊敬を、ただ神にしかあらわすことができなかったのである。 PK 576.1
3人のヘブル人が王の前に立った時に、王は彼らが王国の他の知者たちの持っていない何物かを持っているのを悟った。彼らはすべての任務を忠実に果たしていた。王は彼らにもう1度機会を与えたいと思った。もし彼らが群衆とともに、喜んで像を礼拝する意志があることを表明するならば、それで万事は円満におさまるのであった。王はつけ加えた。「しかし、拝むことをしないならば、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる」。そして王は、傲慢な態度で手をあげて、「いったい、どの神が、わたしの手からあなたがたを救うことができようか」とたずねた(ダニエル3:15)。 PK 576.2
王の脅迫はむだであった。王はこの人々の、宇宙の王なる神に対する忠誠を曲げさせることはできなかった。彼らは先祖の歴史から、神に従わないことは不名誉と不幸と死という結果を招くことを学んでいた。また主を恐れることは知恵のはじめであり、すべての真の繁栄の基礎であることを学んでいた。彼らは炉に直面しても冷静に言った。「ネブカデネザルよ、この事について、お答えする必要はありません。もしそんなことになれば、(もしこれがあなたの決定であれば)わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます」(同3:16、17)。彼らの救いによって神に栄光が帰せられるということを宣言した時に、彼らの信仰は強化された。そして彼らは神に対する絶対的信頼に基づいた大いなる確証をもって、「たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」とつけ加えた(同3:18)。 PK 576.3
王は極度に怒った。王は「怒りに満ち」、侮べつすべき捕囚の民族の代表である「シャデラク、メシャクおよびアベデネゴにむかって、顔色を変え」た(同3:19)。王は炉を平常よりも7倍も熱くすることを命じ、直ちに処刑する準備として、軍勢の強い人々に、真の神の礼拝者たちを縛るように命じた。 PK 576.4
「そこでこの人々は、外套、下着、帽子、その他の衣服のまま縛られて、火の燃える炉の中に投げ込まれた。王の命令はきびしく、かつ炉は、はなはだしく熱していたので、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを引きつれていった人々は、その火炎に焼き殺された」(同3:21、22)。 PK 576.5
しかし主はご自身の者たちをお忘れにならなかった。主の証人たちが炉の中に投げ入れられた時に、救い主は彼らにご自身をあらわされた。そして自ら彼らとともに火の中を歩かれた。熱と冷気を支配される主の前にあっては、炎も焼きつくす力を失った。 PK 576.6
王は玉座から、彼に反抗した人々が全く焼きつくされるものと思って眺めていた。しかし王の勝ち誇った気持ちは、突然一変した。側に立っていた大臣たちは、王が玉座から立ち上がってじっと燃える炎を眺めた時に、彼の顔が青ざめるのを見た。王は驚いて大臣たちにたずねた。「われわれはあの3人を縛って、火の中に投げ入れたではないか。……しかし、わたしの見るのに4人の者がなわめなしに、火の中を歩いているが、なんの害をも受けていない。その第四の者の様子は神の子のようだ」(同3:24、25)。 PK 576.7
異教の王はどのようにして、神の子の姿を知ることができたであろうか。バビロンにおいて信任の地位についたヘブルの捕虜たちは、その生活と品性において王の前に真理をあらわした。彼らはその信仰の理由を聞かれた時に、ためらわずにそれを伝えた。彼らは簡単明瞭に義の原則を示し、彼らの周りの人々に彼らの礼拝する神のことを教えた。彼らは来たるべき贖い主キリストのことを語った。であるから王は、火の中の第四番目の姿に神のみ子を認めた のであった。 PK 576.8
ここにおいてネブカデネザルは、彼自身の偉大さも威厳も忘れて玉座をおり、炉の入り口まで行って、「いと高き神のしもベシャデラク、メシャク、アベデネゴよ、出てきなさい」と叫んだ(ダニエル3:26)。 PK 577.1
そこでシャデラク、メシャク、アベデネゴは、大群衆の前で、その身に何の害も受けずに現れた。彼らの救い主の臨在が彼らを害から守り、ただ彼らを縛っていたものが焼けただけであった。「総督、長官、知事および王の大臣たちも集まってきて、この人々を見たが、火は彼らの身にはなんの力もなく、その頭の毛は焼けずその外套はそこなわれず、火のにおいもこれに付かなかった」(同3:27)。 PK 577.2
大いなる壮麗さをもって立てられた巨大な金の像のことは、全く忘れられてしまった。人々は生ける神の前で恐れおののいた。「シャデラク、メシャク、アベデネゴの神はほむべきかな。神はその使者をつかわして、自分に寄り頼むしもべらを救った。また彼らは自分の神以外の神に仕え、拝むよりも、むしろ王の命令を無視し、自分の身をも捨てようとしたのだ」と、へりくだった王は認めないではいられなかった(同3:28)。 PK 577.3
ネブカデネザルはその日にこういうことが起こったので、命令を発した。「諸民、諸族、諸国語の者のうちだれでも、シャデラク、メシャク、アベデネゴの神をののしる者があるならば、その身は切り裂かれ、その家は滅ぼされなければならない。」王が、このような命令を出した理由は、「このように救を施すことのできる神は、ほかにないからだ」と力説した(同3:29)。 PK 577.4
バビロンの王は、これとまたこれに類した言葉によって、ヘブルびとの神の力と権威とは、最高の崇敬に価することを、地のすべての民族の前で広く行きわたらせようと努めた。そして神は、王が神を崇め、神に対する忠誠の告白をバビロン全国に行きわたらせようとする努力を、お喜びになった。 PK 577.5
王が公の告白をし、他のすべての神々にまさって天の神を崇めようとしたことは、正しかった。しかし国民に同様の信仰の告白と、同様の敬神深さを示すように強制したことは、ネブカデネザルの地上の王としての権威を越えたことであった。王は金の像を拝むことを拒否するすべての者を、火で焼く命令を出す権威がないのと同様に、政治的であれ道徳的なことであれ、神を礼拝しない者を殺すと脅かす権威はないのである。神は人間に服従を強制されることはない。神はすべての人々が自由に、何に仕えるかを選ばせておられる。 PK 577.6
主は忠実なしもべたちを救済することによって、彼が圧迫を受けている者とともにあって、天の神の権威に反抗するすべての地上の国家を譴責されることを宣言なさったのである。3人のヘブル人は、彼らが礼拝する神に対する信仰を、バビロン全国に宣言した。彼らは神に信頼した。彼らは試練の時に、「あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる。川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない。あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、炎もあなたに燃えつくことがない」という約束を思い出した(イザヤ43:2)。そして彼らの生けるみ言葉に対する信仰は、すべての人々の前で、驚くばかりに栄誉を受けたのである。彼らの驚くべき救いの知らせは、ネブカデネザルに招かれて落成式に来ていた多くの国々の代表者によって、広く国々に伝えられた。神はその民の忠実さによって、全地においてそのみ名が崇められたのである。 PK 577.7
ドラの平野でのヘブルの青年たちの経験から学ぶべき教訓は、実に重大である。このわれわれの時代においても、神のしもべたちの多くは何の悪い行為もしていないにもかかわらずサタンにそそのかされてねたみと宗教的頑強さに満たされた人々の手に渡されて、屈辱と迫害を受けるのである。特に第4条の安息日を清くする者に対しては、人々の激しい怒りが燃やされる。そしてついに、世界的法令が発布されて、これらの人々を死に価する者として告発するのである。 PK 577.8
神の民はこれらの悩みの時を前にして、揺らぐことのない信仰を持たなければならない。神の民は、た だ神だけが礼拝の対象であること、そしていかに重大なことであり、それが生命そのものにかかわるものであっても、彼らを偽りの礼拝に少しでも妥協させることはできないことを明らかにしなければならない。忠実な心の持ち主にとっては、罪深い有限な人間の命令は、永遠の神の言葉と比較する時に、全く無意味なものとなってしまうのである。たとえ投獄と追放の憂き目に遭い、死に処せられても真理には従うのである。 PK 577.9
シャデラク、メシャク、アベデネゴの時代のように、主は地上歴史の最後の時代において、正義のために固く立つ人々のために、大いなる働きをなさるのである。ヘブルの勇者たちと火の燃える炉の中を歩かれた方は、どこであっても、主に従う人々とともにおられるのである。彼の臨在が彼らを慰め支えろ。国が始まってからその時に至るまで、かつてなかったほどの悩みの時の最中に、神に選ばれた人々は揺らぐことなく立つのである。サタンは悪の全軍をもってしても、神の聖徒たちの最も弱い者をさえ滅ぼすことはできない。強い力をもった天使が彼らを守る。そして主は、主に信頼する者を全く救うことがおできになる「神々の神」として、彼らのためにご自身をあらわされるのである。 PK 578.1