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第45章 バビロン捕囚から帰る PK 591

クロスの軍勢がバビロンの城壁の前に出現したことは、ユダヤ人にとっては捕囚から解放されることの近いしるしであった。霊感はクロスが生まれる1世紀以上も前に彼の名を挙げて、彼が不意にバビロンを占領して捕囚の民を解放する道を開き、実際にどんなことをするかを記録させたのである。イザヤは次のように語った。 PK 591.4

「わたしはわが受膏者クロスの PK 591.5

右の手をとって、 PK 591.6

もろもろの国をその前に従わせ、…… PK 591.7

とびらをその前に開かせて、 PK 591.8

門を閉じさせない、と言われる主は PK 591.9

その受膏者クロスにこう言われる、 PK 591.10

『わたしはあなたの前に行って、 PK 591.11

もろもろの山を平らにし、 PK 591.12

青銅のとびらをこわし、鉄の貫の木を断ち切り、 PK 591.13

あなたに、暗い所にある財宝と、 PK 591.14

ひそかな所に隠した宝物とを与えて、 PK 591.15

わたしは主、あなたの名を呼んだ PK 591.16

イスラエルの神であることをあなたに知らせよ PK 591.17

う。』」 PK 591.18

(イザヤ45:1~3) PK 591.19

ペルシャの征服者たちの軍勢が、水をよそに流して川を通ってバビロンの首都の中心に不意に侵入し、不用意にも無防備のまま開かれていた内壁の扉を通ってきたことは、ユダヤ人にとっては彼らの圧迫者の突然の崩壊に関する、イザヤの預言が文字どおりに成就した明白な証拠であった。そしてこれは、神が彼らのために諸国の動向を導いておられることの、動かすことのできないしるしでなければならなかった。バビロンの占領と陥落を描写した預言と、次の言葉は不可分につながっている。 PK 592.1

「またクロスについては、『彼はわが牧者、 PK 592.2

わが目的をことごとくなし遂げる』と言い、 PK 592.3

エルサレムについては、 PK 592.4

『ふたたび建てられる』と言い、 PK 592.5

神殿については、 PK 592.6

『あなたの基がすえられる』と言う」。 PK 592.7

「『わたしは義をもってクロスを起した。 PK 592.8

わたしは彼のすべての道をまっすぐにしよう。 PK 592.9

彼はわが町を建て、 PK 592.10

わが捕囚を価のためでなく、 PK 592.11

また報いのためでもなく解き放つ』と PK 592.12

万軍の主は言われる」。 PK 592.13

(同44:28、45:13) PK 592.14

捕囚の民が速やかに解放される望みを抱くに至ったのは、ただこれらの預言だけに基づいたのではなかった。彼らの手もとにはエレミヤの書物があった。そして、イスラエルがバビロンから回復される前に経過すべき期間が、そこに明示されていたのである。主はその使命者によって、預言されたのであった。「主は言われる、70年の終った後に、わたしはバビロンの王と、その民と、カルデヤびとの地を、その罪のために罰し、永遠の荒れ地とする」(エレミヤ25:12)。ユダの残りの者たちに対しては、熱心な祈りに答えて恵みが与えられるのであった。「わたしはあなたがたに会うと主は言われる。わたしはあなたがたの繁栄を回復し、あなたがたを万国から、すべてわたしがあなたがたを追いやった所から集め、かつ、わたしがあなたがたを捕われ離れさせたそのもとの所に、あなたがたを導き帰ろうと主は言われる」(同29:14)。 PK 592.15

ダニエルと彼の仲間たちは、神の民に対するみこころを描写した、これらの預言、また類似した預言をよく調べた。そして今や、急速な事件の展開が、諸国間に神の大いなるみ手が働いていることを示した時に、ダニエルはイスラエルに与えられた約束に、特別な注意を払ったのである。彼は預言の言葉を信じていたので、聖書の筆者たちが預言した経験へと導かれていった。 PK 592.16

「主はこう言われる、バビロンで70年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたを……導き帰る。主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈を聞く。あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば」(エレミヤ29:1013)。 PK 592.17

バビロンが滅亡する少し前に、ダニエルがこれらの預言を瞑想し、時に関する理解を神に祈り求めていた時に、国家の興亡に関する一連の幻が彼に与えられた。ダニエル7章に記されている第一の幻とともに、解き明かしが与えられた。しかしすべての事が預言者に明らかにされたのではなかった。彼はこの時の経験について、「これを思いまわして、非常に悩み、顔色も変った」と書いた(ダニエル7:28)。 PK 592.18

もう1つの幻によって、将来のでき事についてさらに光が与えられた。そしてこの幻の最後のところで、ダニエルは「ひとりの聖者の語っているのを聞いた。またひとりの聖者があって、その語っている聖者にむかって……『幻にあらわれたことは、いつまでだろうか』」と言うのを聞いた(同8:13)。「2300の夕と 朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」という解答の言葉が、彼の心を大いに悩ました(同8:14)。彼は熱心に幻の意義を知ろうとした。彼はエレミヤが預言した70年の捕囚の期間と、神の聖所が清められる前に経過すると、幻の中で天の聖者が宣言するのを聞いた2300年との間の関係を、理解することができなかった。天使ガブリエルはダニエルに部分的解き明かしを与えたが、彼は「これは多くの日の後にかかわる事だから」という言葉を聞いた時に、気を失ってしまった。「われダニエルは疲れはてて、数日の間病みわずらったが、後起きて、王の事務を執った。しかし、わたしはこの幻の事を思って驚いた。またこれを悟ることができなかった」と、ダニエルは自分の経験を記している(同8:26、27)。 PK 592.19

ダニエルはイスラエルのためになお心を悩まし、改めてエレミヤの預言を研究した。それは非常にはっきりしたものであった。彼は書物に記されたこれらの明白な記録によって、「主が預言者エレミヤに臨んで告げられたその言葉により、エルサレムの荒廃の終るまでに経ねばならぬ年の数は70年であることを」悟った(同9:2)。 PK 593.1

ダニエルは確かな預言の言葉に基づいた信仰をもって、これらの約束が速やかに成就されるように主に嘆願した。ダニエルは神の誉れが保たれるように嘆願した。彼はその訴えのなかで、神のみこころに従わなかった人々と自分とを全く同じ状態におき、彼らの罪を自分自身の罪として告白した。 PK 593.2

ダニエルは言った、「それでわたしは、わが顔を主なる神に向け、断食をなし、荒布を着、灰をかぶって祈り、かつ願い求めた。すなわちわたしは、わが神、主に祈り、ざんげして言った」(同9:3、4)。ダニエルは長い間神に仕え天使によって「大いに愛せられている者」と呼ばれたにもかかわらず、彼は今、神の前に罪人として立ち、彼の愛する民の大いなる必要を訴えたのである。彼の祈りは簡単でありながら雄弁で、しかも熱烈極まるものであった。彼は嘆願して言った。 PK 593.3

「ああ、大いなる恐るべき神、主、おのれを愛し、おのれの戒めを守る者のために契約を保ち、いつくしみを施される者よ、われわれは罪を犯し、悪をおこない、よこしまなふるまいをなし、そむいて、あなたの戒めと、おきてを離れました。われわれはまた、あなたのしもべなる預言者たちが、あなたの名をもって、われわれの王たち、君たち、先祖たち、および国のすべての民に告げた言葉に聞き従いませんでした。主よ、正義はあなたのものですが、恥はわれわれに加えられて、今日のような有様です。すなわちユダの人々、エルサレムの住民および全イスラエルの者は、近き者も、遠き者もみな、あなたが追いやられたすべての国々で恥をこうむりました。これは彼らがあなたにそむいて犯した罪によるのです。……あわれみと、ゆるしはわれわれの神、主のものです。これはわれわれが彼にそむいたからです」。 PK 593.4

「主よ、どうぞあなたが、これまで正しいみわざをなされたように、あなたの町エルサレム、あなたの聖なる山から、あなたの怒りと憤りとを取り去ってください。これはわれわれの罪と、われわれの先祖の不義のために、エルサレムと、あなたの民が、われわれの周囲の者の物笑いとなったからです。それゆえ、われわれの神よ、しもべの祈と願いを聞いてください。主よ、あなたご自身のために、あの荒れたあなたの聖所に、あなたのみ顔を輝かせてください。わが神よ、耳を傾けて聞いてください。目を開いて、われわれの荒れたさまを見、み名をもってとなえられる町をごらんください。われわれがあなたの前に祈をささげるのは、われわれの義によるのではなく、ただあなたの大いなるあわれみによるのです。主よ、聞いてください。主よ、ゆるしてください。主よ、み心に留めて、おこなってください。わが神よ、あなたご自身のために、これを延ばさないでください。あなたの町と、あなたの民は、み名をもってとなえられているからです」(ダニエル9:4~9、16~19)。 PK 593.5

天の神はダニエルの熱心な祈りに、耳を傾けておられた。赦しと回復を求める彼の嘆願が終わらないうちに、大いなる天使ガブリエルが彼に現れ、バビロ ンの滅亡とベルシャザルの死に先立って彼が見た幻に、彼の注意を向けた。そしてガブリエルは、「エルサレムを建て直せという命令が出」る時から始まる70週の期間について、くわしくダニエルに説明した(同9:25)。 PK 593.6

ダニエルの祈りは「ダリヨス……の治世の第1年に」捧げられた(同9:1、2)。ダリヨスはメデアの王で、その将軍クロスはバビロンから世界的支配権を奪ったのである。ダリヨスの治世は、神から栄誉を受けた。「彼を強め、彼を力づけ」るために、天使ガブリエルがダリヨスのところにつかわされた(同11:1)。バビロンが滅びて約2年足らずで彼は死に、クロスが王位についた。そして彼の治世が始まるとともに、ネブカデネザルがヘブル人の最初の一団をユダヤの故郷から、バビロンに連れていった時から70年が経過したのである。 PK 594.1

神はダニエルがししの穴から救い出されたことを、クロス大王の心に好感を抱かせるためにお用いになった。先見の明を備えた政治家として、神の人ダニエルはすぐれた特質を持っていたので、ペルシャの王は彼に非常な敬意を表して、彼の判断を尊んだ。そして今、エルサレムにある神殿を再建させると神が言われたちょうどその時に、神はご自分の代理者としたクロスに働きかけて、ダニエルがよく知っていたクロス自身に関する預言を彼に認めさせて、ユダヤ民族に自由を与えさせようとなさった。 PK 594.2

王が自分の生まれる100年以上も前に預言された、バビロン占領の模様についての言葉を見た時に、また「あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたを強くする。これは日の出る方から、また西の方から、人々がわたしのほかに神のないことを知るようになるためである」と、宇宙の王が彼に言われた言葉を読んだ時に、また、「わがしもベヤコブのために、わたしの選んだイスラエルのために、わたしはあなたの名を呼んだ。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたに名を与えた」という永遠の神の宣言を、彼が目の前に見た時に、また「わたしは義をもってクロスを起した。わたしは彼のすべての道をまっすぐにしよう。彼はわが町を建て、わが捕囚を価のためでなく、また報いのためでもなく解き放つ」という霊感の記録をたどった時に、彼は深く感動した(イザヤ45:5、6、4、13)。そして自分に命じられた任務を遂行しようと決心したのである。彼はユダヤの捕囚たちに、自由を与えようとした。そして主の神殿の再建を援助しようとしたのである。 PK 594.3

クロスは「全国に布告を発し」、ヘブル人たちの帰還と、神殿再建の援助をすることを発布した。王はこの布告の中で、神に感謝して言った、「天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに下さって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。あなたがたのうち、その民である者は皆その神の助けを得て、……エルサレムに上って行き、イスラエルの神、主の宮を復興せよ。彼はエルサレムにいます神である。すべて生き残って、どこに宿っている者でも、その所の人々は金、銀、貨財、家畜をもって助け、そのほかにまたエルサレムにある神の宮のために真心よりの供え物をささげよ」(エズラ1:1~4)、 PK 594.4

王はさらに、神殿の建物について指示を与えた。「エルサレムにある神の宮については、犠牲をささば燔祭を供える所の宮を建て、その宮の高さを60キュビトにし、その幅を60キュビトにせよ。大いなる石の層を3段にし、木の層を1段にせよ。その費用は王の家から与えられる。またネブカデネザルが、エルサレムの宮からバビロンに移した神の宮の金銀の器物は、これをかえして、エルサレムにある宮のもとの所に持って行き、これを神の宮に納めよ」(同6:3~5)、 PK 594.5

この布告は王の領地の最も遠方の地にまで伝えられて、各地の離散した民の間に大きな喜びがわき起こった。多くの人々はダニエルのように預言を研究し神がシオンのために約束しておられた介入を祈り求めていた。そして今や、彼らの祈りは聞かれようとしていた。彼らは心から喜んで歌に加わることができたのである。 PK 594.6

「主がシオンの繁栄を回復されたとき、 PK 594.7

われらは夢みる者のようであった。 PK 594.8

その時われらの口は笑いで満たされ、 PK 595.1

われらの舌は喜びの声で満たされた。 PK 595.2

その時『主は彼らのために大いなる事をなされた』と PK 595.3

言った者が、もろもろの国民の中にあった。 PK 595.4

主はわれらのために大いなる事をなされたので、 PK 595.5

われらは喜んだ。」 PK 595.6

(詩篇126:1~3) PK 595.7

「ユダとベニヤミンの氏族の長、祭司およびレビびとなど、すべて神にその心を感動された者」は、すぐれた残りの民であって、捕囚の地のユダヤ人のうちの約5万人の勇者たちであった。彼らは与えられた驚くべき機会を活用して、「エルサレムにある主の宮を復興するために上って行こうと」決心したのである。彼らの友人たちは、何も持たずに彼らを行かせなかった。「その周囲の人々は皆、銀の器、金、貨財、家畜および宝物を与えて彼らを力づけ」た。 PK 595.8

これらとそのほか多くの任意の捧げ物のほかに、「ネブカデネザルが、さきにエルサレムから携え出し……た主の宮の器を取り出した。すなわちペルシャ王クロスは倉つかさミテレダテの手によってこれを取り出して、……合わせて5,469」個を、再建される神殿の用に当てた(エズラ1:5~11)。 PK 595.9

クロスはダビデ王の子孫ゼルバベル(セシバザルとも呼ばれた)に、ユダヤに帰還する一団の人々の総督となる責任を負わせた。そして大祭司ヨシュアが彼を支持していた。荒涼とした砂漠を通った長い旅は、無事に終わった。神の多くの憐れみを感謝した幸福な一団の人々は、直ちに破壊されていたものの再建の仕事に取りかかった。「氏族の長数人」は、神殿再建の費用をまかなうために進んで彼らの財産を捧げた。民は彼らの模範に倣って、わずかなものの中から心からの捧げ物をした(同2:64~70参照)。 PK 595.10

昔の神殿の庭の祭壇があったところに、祭壇ができるだけ速やかに建設された。人々はこの祭壇の献納の式に「ひとりのように……集まった」。そしてそこで、彼らは1つとなって、ネブカデネザルがエルサレムを破壊した時に中断された、聖なる儀式を復興したのである。彼らは再建中の家に住むために別れるに先立って、「仮庵の祭を行」った(同3:1~6参照)。 PK 595.11

日毎の燔祭を捧げる祭壇を築いたことは、忠実な残りの民を大いに喜ばせた。彼らは心から、神殿の再建に必要な準備を行い、毎月準備が進行するのを見て勇気づけられた。彼らは長い間、目に見える神の臨在のしるしを持つことができなかった。今彼らは、先祖たちの背信を思い起こさせる悲しいしるしに取り囲まれているとは言え、何か神の赦しと恵みの永続的しるしを持ちたいと待望したのである。彼らは個人的所有や昔の特権を回復するに先立って、まず神の是認をいただくことを尊んだのである。神は彼らのために驚くべきことをなさった。そして彼らは、神が彼らとともにおられることを確信したのである。それでも彼らは、さらに大きな祝福を望んだのである。彼らは喜ばしい期待に胸をふくらませて、神殿が再建されて、神の栄光がそのなかから輝き出るのを見る時を待望したのである。 PK 595.12

建築材料の準備に当たっていた職人たちは、廃虚のなかから、ソロモンの時代に神殿の敷地に運ばれた巨大な石をいくつか発見した。これらの石はすぐ使えるようになっていた。そのほか多くの新しい資材が準備された。やがて工事は進んで、基礎の石をすえる段階にきた。これは、工事の進行を見るために集まってきた、幾十の人々の前で行われた。そして彼らは工事に参加した喜びを表した。隅石が置かれたとき、人々は祭司たちのラッパとアサフの子らのシンバルの伴奏に合わせて、「互に歌いあって主をほめ、かつ感謝し、『主はめぐみ深く、そのいつくしみはとこしえにイスラエルに絶えることがない』と言った」(同3:11)。 PK 595.13

今再建されようとしていた神殿は、神がシオンに示そうと望まれた恵みについての、多くの預言の主題であった。そして礎石がすえられる時に、そこに居合わせた者はみな心からその場の精神にとけ込むべきであった。ところがその喜ばしい日に、音楽と賛美の叫びに混じって聞こえたのは、それとは一致しない音で あった。「しかし祭司、レビびと、氏族の長である多くの人々のうちに、もとの宮を見た老人たちがあったが、今この宮の基礎のすえられるのを見た時、大声をあげて泣いた」(同3:12上句)。 PK 595.14

これらの年老いた人々が、長く続いた頑なな生活の結果を考えた時に、彼らの心が悲しみに満たされたのは当然のことであった。もしも彼らとその同時代の人々とが神に従い、イスラエルに対する神のみこころを実行していたならば、ソロモンの神殿は破壊されることもなく、また捕囚も必要ではなかったことであろう。しかし彼らは、忘恩と不忠実のために、異邦人の間に散らされたのである。 PK 596.1

今や状況は変わったのである。主は豊かな憐れみをもってふたたびその民を訪れ、彼らが故国に帰ることをお許しになった。過去の過ちに対する悲しみは、大いなる喜びの感情に代わるべきであった。神は神殿の再建を援助するように、クロスの心に感動をお与えになった。そして人々は、この事に対して深い感謝を表さなければならなかった。それなのにある人々は、神の摂理の働きを認めることができなかった。 PK 596.2

彼らは喜ぶ代わりに、失望と不満の念を抱いた、彼らはソロモンの神殿を見ていたのである。彼らは今建てられようとする建物の規模が劣っていることを嘆いたのである。 PK 596.3

つぶやきと不満、好ましくない比較などは、多くの人々の心に暗い影を投げ、建設者たちの手を弱めた。職人たちは、最初からあからさまに批判され、非常な嘆きの原因となった建物の建設を、進めるべきものかどうかを疑問に思うようになった。 PK 596.4

しかし会衆の中には、大きな信仰と広い幻をもった人々が多くいて、この劣った栄光に対してそれほどの不満を感じなかった。「また喜びのために声をあげて叫ぶ者も多かった。それで、入々は民の喜び叫ぶ声と、民の泣く声とを聞きわけることができなかった。民が大声に叫んだので、その声が遠くまで聞えたからであるゴ(エズラ3:12下句、13)。 PK 596.5

もしも基礎の石が置かれた時に喜ばなかった人々が、その日の彼らの不信仰の結果を予昆することができたならば、恐れおののいたことであろう。彼らは自分たちの非難と失望の言葉の重要性を悟らなかった。また、彼らの不満の表明が、どれだけ主の家の完成を遅らせるに至るかを知らなかった。 PK 596.6

最初の神殿の壮麗さと、その宗教的礼拝の厳粛な儀式は、捕囚前のイスラエルにとって何よりの誇りであった。しかし彼らの礼拝には、神が最も重要と思われる特質に欠けていることがしばしばあった。最初の神殿の栄光、その礼拝の華麗さは、彼らを神に受け入れられるものとすることができなかった。彼らは神のみ前に、唯一の価値のあるものを捧げなかったのである。彼らは謙遜な、くだけた心の犠牲を神に捧げなかったのである。 PK 596.7

神の国の極めて重要な原則が見失われるとき、儀式は繁雑になり過度に陥る。品性建設がおろそかになり、魂の麗しさが欠けて単純な信心深さが軽べつされる時に、誇りと虚飾を愛好する心は壮麗な教会の建物、りっぱな装飾、印象的儀式などを要求するのである。しかし、こうしたすべての事において、神に栄光が帰せられていないのである。 PK 596.8

神はその外見的優位ではなくて、教会を世俗から区別する誠実な敬神の念によって、教会を評価されるのである。神は教会員がキリストの知識に成長し、霊的経験に進むことによって教会を評価されるのである。神は愛と恵みの原則をお求めになる。どんなに芸術的に美しいものであっても、キリストの代表者のうちにあらわされる、性質と品性の美しさとに比較することはできないのである。 PK 596.9

会衆はその地における、最も貧しい人々であるかもしれない。外見上なんの魅力もないかもしれない、しかしもし会員たちが、キリストの品性の原則を持つているならば、天使たちがその礼拝に加わるのである。感謝にあふれた心から賛美と感謝が、香ばしい供え物のように神に昇っていくのである。 PK 596.10

「『主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない』と、 PK 596.11

主にあがなわれた者は言え。 PK 597.1

主は彼らを悩みからあがない」、 PK 597.2

「主にむかって歌え、主をほめうたえ、 PK 597.3

そのすべてのくすしきみわざを語れ。 PK 597.4

その聖なるみ名を誇れ。 PK 597.5

主を尋ね求める者の心を喜ばせよ」。 PK 597.6

「主はかわいた魂を満ち足らせ、 PK 597.7

飢えた魂を良き物で満たされるからである」。 PK 597.8

(詩篇107:1、2、105:2、3、1079) PK 597.9