神殿の再建事業に取りかかったイスラエル人の近くに、サマリヤ人が住んでいた。彼らはサマリヤとガリラヤに残っていた10部族の人々と、アッスリヤの諸州から来た異教の移住者たちとの、雑婚によって生じた混血民族であった。後年、サマリヤ人は真の神を礼拝すると主張はしていたが、彼らはその考え方においても風習においても、偶像礼拝者であった。偶像とは、宇宙の支配者であられる生ける神を思い起こさせるものに過ぎないと、彼らは確かに言っていた。しかし人々は、偶像を崇拝する傾向を持っていた。こうしたサマリヤ人は、捕囚からの回復期において、「ユダとベニヤミンの敵」として知られるようになった。「捕囚から帰ってきた人々が、イスラエルの神、主のために神殿を建てている事を聞き、ゼルバベルと氏族の長たちのもとに来て」その建設に彼らも参加したいと申し出た。「われわれも、あなたがたと一緒にこれを建てさせてください。われわれはあなたがたと同じく、あなたがたの神を礼拝します。アッスリヤの王エサル・ハドンがわれわれをここにつれて来た日からこのかた、われわれは彼に犠牲をささげてきました」と彼らは言った。しかし、彼らが願い出た特権は与えられなかった。イスラエルの指導者たちは言った。「あなたがたは、われわれの神に宮を建てることにあずかってはなりません。ペルシャの王クロス王がわれわれに命じたように、われわれだけで、イスラエルの神、主のために建てるのです」(エズラ4:1~3)。 PK 597.10
バビロンから帰ることを選んだのは、ほんのわずかの残りの者であった。そして今、彼らが自分たちの力ではとうてい成し遂げられそうもない事業に着手するに当たって、一番近くにいる隣人が援助を申し出たのである。 PK 597.11
サマリヤ人は自分たちも真の神を礼拝していると言い、神殿の務めに関連した特権と祝福にあずかりたいという希望を表明した。彼らは、「われわれはあなたがたと同じく、あなたがたの神を礼拝します」と言った。 PK 597.12
「われわれも、あなたがたと一緒にこれを建てさせてください。」しかしもし、ユダの指導者たちがこの援助の申し出を受け入れたならば、彼らは偶像礼拝が侵入する扉を広く開くことになるのであった。彼らはサマリヤ人に、誠意がないことを見抜いたのである。彼らは、これらの人々と同盟して得られる援助は、主の明白な命令に従って受けることができる祝福と比較するならば、全く無に等しいことを自覚したのである。 PK 597.13
イスラエルが周囲の民との維持すべき関係について、主はモーセによって次のように言われた。「彼らとなんの契約をもしてはならない。彼らに何のあわれみをも示してはならない。……それは彼らがあなたのむすこを惑わしてわたしに従わせず、ほかの神々に仕えさせ、そのため主はあなたがたにむかって怒りを発し、すみやかにあなたがたを滅ぼされることとなるからである。」「あなたはあなたの神、主の聖なる民だからである。主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた」(申命記7:2~4、14:2)。 PK 597.14
周囲の国々と契約関係を結んだ結果は、明白に予告されていた。モーセは宣言した。「主は地のこのはてから、かのはてまでのもろもろの民のうちにあな たがたを散らされるであろう。その所で、あなたもあなたの先祖たちも知らなかった木や石で造ったほかの神々にあなたは仕えるであろう。その国々の民のうちであなたは安きを得ず、また足の裏を休める所も得られないであろう。主はその所で、あなたの心をおののかせ、目を衰えさせ、精神を打ちしおれさせられるであろう。あなたの命は細い糸にかかっているようになり、夜昼恐れおののいて、その命もおぼつかなく思うであろう。昂なたが心にいだく恐れと、目に見るものによって、朝には『ああ夕であればよいのに』と言い、夕には『ああ朝であればよいのに』と言うであろう」(申命記28:64~67)。「しかし、その所からあなたの神、主を求め、もし心をつくし、精神をつくして、主を求めるならば、あなたは主に会うであろう」という約束が与えられていた(同4:29)。 PK 597.15
ゼルバベルと彼の仲間たちは、これらの聖句とほかのこれに似た聖句をよく知っていた。そして今回の捕囚において、その成就の証拠を次々とみたのである。そして今、彼らはモーセが明らかに予告した刑罰を、彼らと彼らの先祖たちに下した罪悪を悔い改め、心から神に立ち返って神との契約関係を新たにしたために、破壊されたものを回復するためにユダヤに帰ることを許されたのであった。彼らはその事業のまず最初において、偶像礼拝者たちと契約を結ぶべきであっただろうか。 PK 598.1
神は、「彼らとなんの契約をもしてはならない」と仰せになった。そして、このたび神の神殿の廃虚の前に築かれた祭壇において、主に再献身を誓った人々は、神の民と世俗との間には、常にはっきりした区別がなければならないことを自覚したのである。彼らは、神の律法の要求するところを知っていると言いながら、それに従わない者たちと、同盟を結ぶことを拒否したのである。 PK 598.2
イスラエルの教訓として申命記に示された原則は、神の民が終末に至るまで従わなければならないものである。真あ繁栄は、われわれが神との契約関係を持続することにあるのである。われわれは神を恐れない人々と同盟を結んで、原則を曲げることはできない。 PK 598.3
キリスト者であると公言する者が世俗の人々に影響を及ぼすためには、ある点まで世俗と妥協しなければならないと考える危険が常にある。しかしそのような行動は、大きな利益をもたらすように思われるが、それは常に霊的損失に終わるのである。真理の敵はへつらいによってわれわれを誘い、取り込もうとしてあらゆる陰険な手段を用いてくるから、神の民は厳重に警戒していなければならない。彼らはこの世界においては、危険に満ちた道を旅する旅人であり、寄留者である。彼らは、忠誠の道からそらそうとして向けられる、巧妙な口実や魅惑的な誘惑に心を引かれてはならない。 PK 598.4
最も恐るべきものは、神の働きに公然と反対する敵ではない。ユダとベニヤミンの敵のように、なめらかな言葉と美しい表現を用いて、いかにも神の民と友好的同盟を求めるかのように近づいてくる者たちが、もっと大きな欺瞞力を持っている。このような人々に対して、一人一人は十分警戒して、注意深く隠された巧みなわなに、気づかずに捕らえられることのないようにしなければならない。 PK 598.5
特に今日、地上の歴史が終わろうとしている時に、主はご自分の民が、気をゆるめることなく警戒することを要求しておられる。しかし、戦いはどんなに絶え間なく続いても、誰1人として孤軍奮闘するままに放置されていない。天使たちは、へりくだって神の前を歩く者を助け保護する。主はご自分に信頼する者を裏切られることはない。主の民が、悪から保護されることを求めて主に近づく時に、主は彼らを愛しあわれんで、敵の前で彼らの上に旗を掲げられる。彼らに触れてはならない。彼らはわたしのものである。わたしは彼らをわたしのたなごころに彫り刻んだと、主は言われる。 PK 598.6
サマリヤ人たちはたゆまず反対して、「ユダの民の手を弱らせて、その建築を妨げ、その企てを破るために役人を買収して彼らに敵せしめ、ペルシャ王クロスの代からペルシャ王ダリヨスの治世にまで及んだ」 (エズラ4:4、5)。彼らは虚偽を伝えて、疑念を持ちやすい人々の心に疑惑を抱かせた。しかし、長年にわたって悪の勢力は抑制され、ユダの人々は自由に彼らの工事を続けたのである。 PK 598.7
サタンがメド・ペルシャ王国の最高の権威者に働きかけて、神の民に敵意を示させようと努力する一方において、天使たちは捕囚の民のために働いていた。この争闘は、全天が関心を持ったものであった。われわれは預言者ダニエルによって、善と悪との軍勢間の、大きな戦いの片鱗を知ることができる。ガブリエルは3週間にわたって、クロスの心に働いていた影響力に対抗しようとした、暗黒の勢力と戦った。そしてその戦闘の終了に先立って、キりストご自身がガブリエルを助けに来られた。ガブリエルは言っている。「ペルシャの国の君が、21日の間わたしの前に立ちふさがったが、天使の長のひとりであるミカエルがきて、わたしを助けたので、わたしは、彼をペルシヤの国の君と共に、そこに残してお」いた(ダニエル10:13)。天が神の民のためになし得ることは、すべてなされた。勝利はついに得られた。そして敵の勢力は、クロスの全時代と7年半にわたった彼の子カンビセスの時代全体にわたって、制圧されたのであった。 PK 599.1
これはユダヤ人にとって、驚くべき機会であった。天の最高の権威者たちが、王たちの心に働きかけていた。であるから神の民は、クロスの命令を実行するために、最も活発に活動すべき時であった。彼らは、神殿とその務めの復興のために努力を惜しむことなく、ユダヤの故郷にふたたび定着しなければならなかった。しかし、神が力をあらわされる日に、快く従わない者が多くいたのである。彼らの敵の反対は、強力で頑強であった。そして建設者たちは、徐々に勇気を失っていった。ある人々は基礎の石が置かれた時に、多くの者が工事に対する不信をあらわしたことを、忘れることができなかった。そして、サマリヤ人がますます大胆になるにつれて、多くのユダの人々は、果たして再建の時が来たのかどうかと疑問を抱いた。多くの働き人たちは失望落胆して家に帰り、普通の職業についた。 PK 599.2
カンビセスの治世中、神殿の工事は遅々として進まなかった。そして、偽スメルデス(アルタシャスタとも呼ばれる一エズラ4:7参照)の治世中、サマリヤ人たちはこの無節操な王位略奪者に迫って、ユダの人々が神殿と都を再建するのを禁止する命令を出させたのである。 PK 599.3
1年以上にわたって神殿はなおざりにされ、ほとんど見捨てられてしまった。人々は自分たちの家に住んで、物質的に繁栄しようと努めたが、その状態は哀れなものであった。彼らはどんなに働いても、繁栄しなかったのである。自然の力そのものが、彼らに逆らっているかのように思われた。彼らが神殿を荒廃させていたために、主は彼らの財産に破滅的な干ばつをお送りになった。神の恵みのしるしとして、彼らに野や畑の産物、穀物、油、酒などをお与えになった。しかし、彼らがこれらの豊かな賜物を利己的に用いたために、祝福は取り去られたのである。 PK 599.4
ダリヨス・ヒスタスパスの治世の初期は、このような状態であった。イスラエル民族は物質面と同様に、霊的にも哀れむべき状態にあった。彼らは長期にわたって、つぶやき疑った。彼らは長い間、主の神殿が荒廃しているのを冷淡に眺めながらも、自分たちの個人的利益を第一にしてきたので、多くの者は彼らをユダに回復なさった神のみこころを見失ってしまった。そしてこの人々は、「主の家を再び建てる時は、まだこない」と言っていた(ハガイ1:2)。 PK 599.5
しかしこの暗黒の時においてさえ、神に信頼する者にとって、希望がなかったわけではなかった。預言者ハガイとゼカリヤは、この危機に当面するために立てられた。これらの任命を受けた使命者たちは、人心を揺り動かす証言によって、人々に彼らの苦難の原因を明らかにした。物質的繁栄がなかったことは、まず神を彼らの第一の関心事にすることを怠った結果であると、預言者たちは宣言した。もしイスラエルの人々が、神の家を建てることを彼らの第一の仕事として、神を崇め、神に対する敬意と礼儀を示したならば、彼らは神の臨在と祝福を受けたことであろ う。 PK 599.6
ハガイは失望に陥った人々に、次のように痛烈な質問をした。「主の家はこのように荒れはてているのに、あなたがたは、みずから板で張った家に住んでいる時であろうか。それで今、万軍の主はこう言われる、あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい。あなたがたは多くまいても、取入れは少なく、食べても、飽きることはない。飲んでも、満たされない。着ても、暖まらない。、賃銀を得ても、これを破れた袋に入れているようなものである」(同1:4~6)。 PK 600.1
それから主は、彼らが誤って解釈することがないような言葉で、彼らに欠乏をもたらした原因をお示しになった。「あなたがたは多くを望んだが、見よ、それは少なかった。あなたがたが家に持ってきたとき、わたしはそれを吹き払った。これは何ゆえであるかと、万軍の主は言われる。これはわたしの家が荒れはてているのに、あなたがたは、おのおの自分の家の事だけに、忙しくしている。それゆえ、あなたがたの上の天は露をさし止め、地はその産物をさし止めた。また、わたしは地にも、山にも、穀物にも、新しい酒にも、油にも、地に生じるものにも、人間にも、家畜にも、手で作るすべての作物にも、ひでりを呼び寄せた」(同1:9~11)。 PK 600.2
「あなたがたは、自分のなすべきことを考えるがよい。山に登り、木を持ってきて主の家を建てよ。そうすればわたしはこれを喜び、かつ栄光のうちに現れる」と主は訴えられた(同1:7、8)。 PK 600.3
イスラエルの民の指導者たちは、ハガイによって与えられた勧告と謎責の言葉を心に留めた。彼らは、神が真剣に訴えておられることを感じた。彼らは自分たちの物質的および霊的の繁栄が、ともに神の命令に忠実に服従することにかかっているという、くり返して与えられた教えを無視することはできなかった。預言者の警告によって目を覚まされて、ゼルバベルとヨシュア、および「残りのすべての民は、その神、主の声と、その神、主のつかわされた預言者ハガイの言葉とに聞きしたが」った(同1:12)。 PK 600.4
イスラエルが服従する決意をするや否や、認責の言葉につづいて励ましの言葉が与えられた。「ハガイは……民に告げて言った、『わたしはあなたがたと共にいると主は言われる』。そして主は、……ゼルバベルの心と、……ヨシュアの心、および残りのすべての民の心を、振り動かされたので、彼らは来て、その神、万軍の主の家の作業にとりかかった」(同1:13、14)。 PK 600.5
神殿の作業が再開されてから1か月もたたないうちに、建設者たちにはもう1つの慰めの言葉が与えられた。「ゼルバベルよ、勇気を出せ。……ヨシュアよ、勇気を出せ。主は言われる。この地のすべての民よ、勇気を出せ。働け。わたしはあなたがたと共にいると、万軍の主は言われる」(同2:4)。 PK 600.6
主はシナイ山の前に陣営を張った、イスラエルの人々に言われた。「わたしはイスラエルの人々のうちに住んで、彼らの神となるであろう。わたしが彼らのうち住むために、彼らをエジプトの国から導き出した彼らの神、主であることを彼らは知るであろう。わたしは彼らの神、主である」(出エジプト29:45、46)。そして今、彼らは何度となく「そむいてその聖なる霊を憂えさせた」にもかかわらず(イザヤ63:10)、神は預言者の言葉によって、もう1度救いの手を伸べておられたのである。神は彼らが、神のみこころと協力したことの承認として、神の霊が彼らのうちに宿るという契約を、更新しておられたのである。そして神は、彼らに「恐れるな」とお命じになった。 PK 600.7
主は今日の彼の民に、「勇気を出せ。働け。わたしはあなたがたと共にいる」と言われる。キリスト者は常に主という強力な助け手を持っている。主がどのような方法で助けて下さるかは、われわれには分からない。しかし主は、ご自分に信頼する者を決して失望に陥れられないことを知っている。もしキリスト者が、彼らに対する敵の策略をくじくために、主が何回彼らの道に指図をお与えになったかを自覚することができたならば、不平を言いながらよろめき、つまずくことはないであろう。彼らは固く神を信じて、どんな試練にも揺り動かされることはない。彼らは神を自分の知恵とし、力とする。そして神は彼らによって、 成し遂げようと望まれることを実現されるのである。 PK 600.8
ハガイが叫んだ熱烈な嘆願と激励の言葉を、ゼカリヤが強調してさらに追加した。神は起きて建てよという命令を実行するよう、イスラエルを促すためにゼカリヤを起こして、ハガイのかたわらに立たされた。ゼカリヤの第一の言葉は、神の言葉は絶対に間違いがないという確証と、確実な預言の言葉に耳を傾ける者に対する、祝福の約束であった。 PK 601.1
イスラエルの民は、畑が荒れ果て、乏しい食糧の貯えが急速に減少し、非友好的な民族に取り囲まれていたにもかかわらず、神の使命者たちの召しに答えて信仰をもって前進した。そして彼らは、荒廃した神殿の再建のために精出して働いた。それは、しっかりと神に信頼しなければならない仕事であった。民が彼らの分をしようと努力して、心と生活に神の恵みが新たに与えられることを願い求めた時に、ハガイとゼカリヤを通じて言葉が次々と与えられた。そしてそれとともに、彼らの信仰は豊かに報われ、彼らが再建している神殿の将来の栄光に関する神の言葉は、必ず成就するという確証も与えられた。時が満ちた時に、この建物そのものの中に、万物の願うところのものであられる方が人類の教師、救い主として出現なさるのであった。 PK 601.2
こうして建設者たちは、自分たちだけで苦闘するように放置されていなかった。「神の預言者たちも、彼らと共にいて彼らを助けた」。万軍の主ご自身が、「勇気を出せ。働け。わたしはあなたがたと共にいる」と言われた(エズラ5:2、ハガイ2:4)。 PK 601.3
彼らが心から悔い改めて、自発的に信仰をもって前進しようとした時に、物質的繁栄の約束が与えられた。「わたしはこの日から、あなたがたに恵みを与尺る」と主は言われた(ハガイ2:19)。 PK 601.4
バビロンから帰還以来、ずっと激しく試練を受けてきた彼らの指導者ゼルバベルに、最も尊い言葉が与えられた。神の選民のすべての敵が滅ぼされる時が来ると、主は言われた。「わがしもベゼルバベルよ、……その日、わたしはあなたを立て、あなたを印章のようにする。わたしはあなたを選んだからであると、万軍の主は言われる」(同2:23)。ここでイスラエルの総督ゼルバベルは、彼が経てきた失望と悩みの中にあって、彼を導いた摂理の意味を悟ることができた。 PK 601.5
ゼルバベルに与えられたこの個人的な言葉は、各時代の神の民に対する励ましのために、記録に残されたのである。神が民に試練をお送りになるのは、目的があるのである。神は、もし彼らが初めから終わりを見ることができて、彼らが達成しているみこころの輝かしさを悟ることができたならば、彼らが導いてほしいと考える以外の道に導かれることは、絶対にないのである。神が彼らに試みや試練としてお与えになるものはみな、彼らが神のために強くなり、苦しみに耐えるためである。 PK 601.6
ハガイとゼカリヤの言葉を聞いて人々は目を覚まし、神殿再建のためにできる限りの努力をするようになった。ところが彼らが工事に従事したところ、妨害を企てたサマリヤ人やその他の民族から、痛烈な攻撃を受けた。ある時はメド・ペルシャの領地の、その地域の知事たちがエルサレムにやってきて、だれが神殿を再建することを命じたかをたずねた。もしこの時ユダの人々が、主の指導を信頼していなかったならば、この質問は彼らにとって悲しい結果に終わったことであろう。「しかしユダヤ人の長老たちの上には、神の目が注がれていたので、彼らはこれをやめさせることができず、その事をダリヨスに奏して、その返答の来るのを待った」(エズラ5:5)。知事たちに対する返答は非常に賢明に行われたので、彼らは当時のメド・ペルシャの王ダリヨス・ヒスタスパスに手紙を書いて、クロスが発布した最初の布告に彼の注意を促すことに決定したのである。その布告はエルサレムにある神の神殿の再建を命じ、そのための費用は王の倉から支払わるべきことを命じたものであった。 PK 601.7
ダリヨスはこの布告を探してそれを発見した。そこで王は、問い合わせてきた人々に、神殿再建の推進を許すことを命じた。ダリヨスは次のように命じた。「神のこの宮の工事を彼らに任せ、ユダヤ人の知事 とユダヤ人の長老たちに、神のこの宮をもとの所に建てさせよ。わたしはまた命を下し、神のこの宮を建てることについて、あなたがたがこれらのユダヤ人の長老たちになすべき事を示す。王の財産、すなわち川向こうの州から納めるみつぎの中から、その費用をじゅうぶんそれらの人々に与えて、その工事を滞らないようにせよ。またその必要とするもの、すなわち天の神にささげる燔祭の子牛、雄羊および小羊ならびに麦、塩、酒、油などエルサレムにいる祭司たちの求めにしたがって、日々怠りなく彼らに与え、彼らにこうばしい犠牲を天の神にささげさせ、王と王子たちの長寿を析らせよ」(同6:7~10)。 PK 601.8
王はさらに、命令を少しでも変える者があるならば、厳しい罰を下すと命じた。そして王は、次のような驚くべき言葉をもって終わった。「これを改めようとする者、あるいはエルサレムにある神のこの宮を滅ぼそうとして手を出す王あるいは民は、かしこにその名をとどめられる神よ、願わくはこれを倒されるように。われダリヨスは命を下す。心してこれを行え」(同6:12)。こうして主は、神殿完成のための準備をして下さったのである。 PK 602.1
この命令が出される前の数か月間、イスラエルの人々は信仰によって働きつづけた。そして神の預言者たちは、なお時機にかなった言葉によって援助を与え、そうした言葉によって、イスラエルに対する神のみこころを、働く人々の前に示したのである。ハガイの最後の記録された言葉が語られてから2か月後に、地上における神の働きについての一連の幻が、ゼカリヤに与えられた。比喩と象徴の形式によるこれらの言葉は、大いなる不安と悩みの時に与えられた。そしてそれは、イスラエルの神の名のもとに前進している人々にとって、特別の意味をもったものであった。指導者たちには、ユダヤ人に与えられた再建の許可が、今にも撤回されるのではないかと思われた。将来の見通しは暗たんとしていた。神は無限の憐れみと愛によって、ご自分の民を支え励まさなければならないことを見られた。 PK 602.2
ゼカリヤは幻の中で、主の天使が次のように叫ぶのを聞いた。「『万軍の主よ、あなたは、いつまでエルサレムとユダの町々とを、あわれんでドさらないのですか。あなたはお怒りになって、すでに70年になりました』。主はわたしと語る天の使に、ねんごろな慰めの言葉をもって答えられた。そこで、わたしと語る天の使は言った、『あなたは呼ばわって言いなさい。万軍の主はこう仰せられます。わたしはエルサレムのため、シオンのために、大いなるねたみを起し、安らかにいる国々の民に対して、大いに怒る。なぜなら、わたしが少しばかり怒ったのに、彼らは、大いにこれを悩ましたからであると。それゆえ、主はこう仰せられます。わたしはあわれみをもってエルサレムに帰る。わたしの家はその中に建てられ、測りなわはエルサレムに張られる』」(ゼカリヤ1:12~16)。 PK 602.3
今や預言者ゼカリヤは、「万軍の主はこう仰せられます、わが町々は再び良い物で満ちあふれ、主は再びシオンを慰め、再びエルサレムを選ぶ」と預言するように命じられた(同1:17)。 PK 602.4
ゼカリヤは、「ユダイスラエルおよびエウサレムを散らした」国々が、4つの角によって象徴されたのを見た。彼はその後、直ちに4人の鍛冶を示されたが、彼らは主の民と主の礼拝の家を回復するために、主がお用いになる勢力を表していた(同1:正8~21参照)。 PK 602.5
ゼカリヤは次のように言った。「またわたしが目をあげて見ていると、見よ、ひとりの人が、測りなわを手に持っているので、『あなたはどこへ行くのですか』と尋ねると、その人はわたしに言った、『エルサレムを測って、その広さと、長さを見ようとするのです』。すると見よ、わたしと語る天の使が出て行くと、またひとりの天の使が出てきて、これに出会って言った、『走って行って、あの若い人に言いなさい、「エルサレムはその中に、人と家畜が多くなるので、城壁のない村里のように、人の住む所となるでしょう。主は仰せられます。わたしはその周囲で火の城壁となり、その中で栄光となる」と』。」(同2:1~5)。 PK 602.6
神はエルサレムの再建をお命じになったのであつた。都を測る幻は、神が苦しんでいる人々に慰めと カを与え、彼らに永遠の契約という約束を成就するという確証であった。 PK 602.7
彼の保護は、「その周囲で火の城壁となる」と言われた。そして彼らによって、神の栄光がすべての人の子らにあらわされるのであった。神が民のために成し遂げておられたことは、全地に告げ知らされるのであった。「シオンに住む者よ、声をあげて、喜びうたえ。イスラエルの聖者はあなたがたのうちで大いなる者だから」(イザヤ12:6)。 PK 603.1