福音派の会議が開かれた時に、お互いは困惑した顔をしていた。彼らは、次々に「どうすればよいのか?」と問うた。今や、世界の運命を決定する大問題が持ち上がっていた。「改革派の首脳者たちは、屈服して、勅令に従うであろうか。この危機、真に恐るべき危機において、誤った道に落ちこんでしまうことは、何とやさしかったことであろう。屈服するためのまことしやかな口実やもっともな理由は、いくらでもあった。 GCJap 230.2
ルター派の諸侯には、信教の自由が与えられていた。同じ自由は、この案が通過する前に改革派の信仰を持ったすべての臣下にも与えられていた。彼らは、これで満足すべきではなかったか。服従すれば、どんなに多くの危機を避けることができるであろう。反対するならば、どんなにはかり知れない危機と争闘に巻き込まれることであろうか。将来、どんな機会があるかわからない。平和を結ぼう。ローマが差し出すオリーブの枝をつかんで、ドイツの傷を包もう。―このような議論のもとに、改革者たちは、速やかに彼らの事業をくつがえしてしまう道に進むことを、正当化することもできたであろう。 GCJap 230.3
しかし幸いにも彼らは、こうした妥協の根底にある原則を見て、信仰によって行動した。その原則とは、なんであったろうか。それは、ローマは良心を強制し、自由な研究を禁じる権利を持つという主張である。しかし、彼ら自身とプロテスタントの臣下には、宗教上の自由が与えられないのであろうか。いや、与えられはするが、それは妥協案の中で特に記載された恩恵としてであって、権利としてではない。その措置以外のあらゆる点においては、権威の大原則が支配するのであった。良心は無視された。ローマは、誤ることのない裁判官で、服従を要求した。妥協案を受け入れることは、改革主義を受け入れたザクセンだけに宗教の自由を限定することを、事実上認めたことになる。そして、その他のすべてのキリスト教国においては、改革主義の信仰を研究して信じることは犯罪で、投獄と火刑の罰を受けなければならなかった。彼らは、宗教の自由を一地方にとどめるということに、同意できるであろうか。宗教改革の改心者はこれで終わり、征服すべき地はこれまでであると宣言するのであろうか。そして、現在ローマが支配しているところはどこであっても、永久にその主権が続くのであろうか。改革者たちは、この協定が実施されることによって、法王権下の地方において生命をささげなければならなくなる幾百幾千の人々の血に対して、自分たちの無罪を主張することができるであろうか。そうすることは、この一大危機において、福音の事業とキリスト教国の自由に対する裏切りとなるのであった」。そこで彼らは、むしろ、「すべてのものを、国や王位や生命さえも、犠牲にしよう」としたのである。 GCJap 231.1