ついに皇帝の前に立つ時が来た。カール五世は、選挙侯や諸侯に囲まれて王位につき、プロテスタントの改革者たちの言葉に耳を傾けた。信仰の告白が読み上げられた。この華麗な会議において、福音の真理が明らかに宣言され、法王の教会の誤りが指摘された。この日を称して、「宗教改革の最大の日、キリスト教と人類歴史の最も輝かしい日の一つ」であると言われるのは当然である。 GCJap 239.2
ウィッテンベルクの修道士がウォルムスの国会でただ一人で立った時から、まだ数年しか経っていなかった。今、彼に代わって、帝国内の最も高貴で有力な諸侯たちがあらわれた。ルターは、アウグスブルクに姿を見せることを禁じられていたが、彼の言葉と祈りとによって出席していた。「わたしは、この時まで生きてきたことを非常に喜ぶ。今、キリストは、このような輝かしい会合において、このような堂々たる告白者たちによって、公然とあがめられたのである」と彼は書いた。こうして、「わたしはまた王たちの前にあなたのあかしを語」るという聖書の預言が成就した(詩篇119篇46節)。 GCJap 239.3
パウロの時代において、パウロは福音のために投獄されたのであったが、そのために福音は、ローマ市の王侯や貴族に伝えられた。この場合も同様で、皇帝が説教壇から説教することを禁じたものが、王宮から宣言された。召使いでさえ聞くべきものでないと言われたものを、帝国の領主や諸侯たちが、驚嘆して聞いたのである。王侯、貴人が聴衆で、諸侯が説教者で、説教は、神の尊い真理についてであった。「使徒時代以来、これほどの大きな業や堂々たる告白が行われたことはなかった」とある著者は言っている。 GCJap 240.1
「ルター派の言ったことは、みな真実である。われわれは、それを否定することはできない」と法王側の司教が言った。「選挙侯とその支持者たちが作成した告白を、あなたは正しい理由のもとに論駁できるか」と他の者がエック博士にたずねた。「使徒や預言者の書によるならばできない。しかし教父や会議の書によるならばできる」と彼は答えた。「わかった。あなたの言葉によれば、ルター派は聖書的であり、われわれは非聖書的なのだ」と質問者は言った。 GCJap 240.2
ドイツの諸侯の何人かは、改革派の信仰に導かれた。皇帝自身が、プロテスタントの信条は真実であると宣言した。信仰告白は、多くの国語に翻訳されて、全ヨーロッパに散布された。そしてそれは、その後、各時代の幾百万人の信仰の告白として用いられたのである。 GCJap 240.3
神の忠実なしもべたちは、ただ一人で苦労しているのではなかった。もろもろの支配と権威と天上にいる悪の霊がこぞって彼らに対抗しても、主は主の民を捨てられなかった。もしも彼らの目が開かれたならば、彼らは、昔の預言者に与えられたのと同じ神の臨在と助けの著しい証拠を見たことであろう。エリシャのしもべが、自分たちは敵軍に包囲され、逃げる機会が全くなくなったことをエリシャに告げた時に、エリシャは、「主よ、どうぞ、彼の目を開いて見させてください」と祈った(列王紀下6章17節)。彼が見ると、火の馬と火の戦車が山に満ちて、天の軍勢が神の人を保護するために部署についていた。このように、天使たちが、宗教改革における働き人たちを保護したのであった。 GCJap 240.4