カルバンはまだパリにいて、研究と瞑想と祈りとによって、将来の働きの準備をしながら、光を輝かしていた。しかし、ついに、彼に嫌疑がかかった。当局者たちは、彼を火刑にすることに決めた。彼は、隠れ家にいて安全だと思っていたので、危険を感じなかった。とそのとき、友人たちがあわてて彼の部屋にやってきて、役人たちが彼を捕らえるためにやってくるということを知らせた。それと同時に、表の戸をたたく大きな音が聞こえた。今や一刻も猶予はなかった。友人たちが扉のところで役人に応対している間に、他の者たちがカルバンを助けて、窓からつりおろした。彼は急いで都の外に逃れた。改革主義に好意を持った労働者の家に隠れ、そこで主人の着物を着て変装し、くわを肩にして旅に出た。彼は南に旅を続け、マルグリットの領内に入って、ふたたび隠れ家を見つけた。 GCJap 258.1
ここで彼は、有力な友人たちの保護のもとに数か月滞在し、以前のように研究に従事した。しかし、彼の心はフランスの伝道のことを考えていたので、長くじっとしていることはできなかった。嵐がいくぶんおさまってくると、彼はポアチエに新しい働き場を求めた。 GCJap 258.2
ここには大学があって、新しい主張が喜んで迎えられていた。各階級の人々が喜んで福音に耳を傾けた。カルバンは、公衆に説教はしなかったが、長官の家、 GCJap 258.3
自分の住居、また、時には公園で、聞きたいと思う人々に永遠の生命の言葉を語った。しばらくして聴衆の数が増加したので、市外で集まるのが安全であろうと思われた。狭く深い峡谷の洞穴が、木や突出した岩に覆われて、人目を避けるのには何よりと思われたので、そこが集会の場所に選ばれた。少数の者が組になって町を出て、別々の道を通ってここに集まった。この隠れ家で、聖書が読まれ、説き明かされた。ここでフランスのプロテスタントは、初めて主の晩餐を祝った。この小さな教会から、幾人かの忠実な伝道者が、世に送り出された。 GCJap 259.1
カルバンは、もう一度パリに帰った。彼は、フランスが国家として改革を受け入れるという希望を、まだ捨てることはできなかった。しかし、働きの門戸はほとんど閉ざされていることがわかった。福音を教えることは、直接、火刑への道であった。そこで彼は、ついにドイツへ行くことにした。彼がフランスを脱出するやいなや、プロテスタントに対する嵐がまき起こった。もし彼が残っていたならば、全面的な破滅にまき込まれたにちがいない。 GCJap 259.2