無神論者が完成しつつあった仕事を最初に始めたのは法王権であった。フランスをこのように速やかに破滅に陥れた、社会的政治的宗教的状勢を引き起こしたのは、ローマの政策であった。著作家たちは、革命の恐怖に言及して、これらの暴挙は国王と教会の責任であると述べている。厳密に言うならば、それらは教会の責任であった。 GCJap 318.2
法王側は、王たちに、宗教改革に対する反感を抱かせ、それが王の敵であり、国家の平和と秩序を破壊する不穏な分子であると考えさせた。こうして、国王に最も恐ろしい残酷な行為と悲惨な迫害を行わせるのが、ローマのやり方であった。 GCJap 318.3
自由の精神は、聖書と共に伝わった。福音が伝えられたところはどこでも、人々の心が覚醒された。彼らは、今まで自分たちを、無知と悪習と迷信の奴隷として縛っていた拘束を捨て始めた。彼らは、人間として思考し行動し始めた。国王たちはこれを見て、彼らの専制政治の安泰を気づかった。 GCJap 318.4
ローマは、彼らの嫉妬深い恐怖心をたきつけるのに後れをとらなかった。一五二五年、フランスの摂政にあてて法王は言った。「この宗教狂(プロテスタント主義)は、宗教を混乱させ破壊するだけでなくて、すべての主権者、貴族、法律、秩序、階級をも破壊するものである」。その数年後に、法王の使節は、王に警告して言った。「陛下、欺かれてはなりません。プロテスタントは、宗教的秩序とともにあらゆる市民的秩序をもくつがえすでしょう。……祭壇と同様に、王座も非常な危険にさらされております。……新しい宗教をとり入れることは、当然新しい政府をもたらすことになります」。また神学者たちは、プロテスタントの教義は、「人々を目新しい愚かなものに誘い、国民の王に対する敬愛を失わせ、教会と国家を二つとも荒廃させる」と言って、人々の偏見をあおった。こうして、ローマは、フランスをして宗教改革に敵対させるのに成功した。「フランスにおいて、迫害の剣が最初に抜かれたのは、王位を安全にし、貴族を保護し、法律を維持するという名の下にであった」 GCJap 319.1