国の支配者たちは、この致命的政策の結果を予見することが、ほとんどできなかった。聖書の教えは、正義、節制、真実、平等、慈愛など、国家の繁栄の基礎である原則を、人々の心と思いに植えつけたはずであった。「正義は国を高く」し、正義によって、「その位が……堅く立」つのである(箴言14章34節、16章12節)。 GCJap 319.2
「正義は平和を生じ、正義の結ぶ実はとこしえの平安と信頼である」(イザヤ書32章17節)。神の律法に従う者は、真心から自分の国の法律を重んじて、守るのである。神をおそれる者は、すべての正当で合法的な権威を行使する王を、尊ぶのである。しかし、不幸なことに、フランスは聖書を禁止し、それを信じる者たちを追放した。幾世紀にわたって、原則に堅く立つ誠実な人々、知的鋭さと道徳的強靱さを持った人々、確信するところを公言する勇気と、真理のために苦しむ信念を持った人々―─こうした人々が幾世紀にもわたって、ガレー船の奴隷となって苦しみ、火刑にされ、あるいは牢獄でやせ衰えていった。幾千もの人々が逃亡して、安全な地に行った。そしてこれは、宗教改革が始まってから、二五〇年間も続いたのである。 GCJap 319.3
「その長期間のどの時代においても、迫害者の狂った怒りから逃亡する福音の使徒たちを見なかったフランスの世代は、ほとんどなかった。そして彼らは一般に、著しく優れた知能、技術、工芸、秩序を持っていて、逃亡した先の国々を富ませた。そして、彼らがこれらの優れた才能によって、他の国々を満たしたのに比例して、フランス自体はからになっていった。追いやられた人々がみなフランスに残っていたならば、また、この三〇〇年の間に、逃亡者たちの産業的技術が、土地の耕作に向けられていたならば、そしてこの三〇〇年の間に彼らの芸術的趣向が、フランスの製品を改善していたならば、また、もしこの三〇〇年の間に彼らの創造的才能と分析的能力とが、フランスの文学を豊富にし、科学を発展させていたならば、また、もし彼らの知恵がフランスの議会を指導し、彼らの勇敢さが戦場で戦い、彼らの公正が法律を制定し、聖書の宗教がフランス人の知能を啓発し、良心を支配していたならば、今、フランスはどんなにか栄光に輝いていたことであろう。フランスは、どんなにか偉大な、繁栄した幸福な国となり、諸国の模範となっていたことであろう。 GCJap 320.1
しかし、盲目で冷酷な頑迷さのために、フランスは、その国土からすべての高潔な教師、すべての秩序の支持者、すべての真実な王位擁護者を追い払ってしまった。フランスは、自国を『名声と栄光』の国としたはずの人々に、火刑か追放か、そのどちらかを選べと言ったのであった。 GCJap 320.2
ついに国家は、衰退の極に達した。もはや禁じるべき良心はなくなり、火刑に引きずっていくべき宗教はもうなくなった。かり立てて追放すべき愛国心は、もはやなくなってしまった」。そして、その恐るべき結果として、戦慄すべき革命が起きたのであった。 GCJap 320.3