彼は、非常な興味をもって、他の聖句の解釈と同様の原則を用いつつダニエル書と黙示録を研究し、預言的象徴が理解できることを発見して大いに喜んだ。彼は、その時までの預言が、文字どおりに成就したことを知った。また、さまざまな比喩、隠喩、たとえ、類似などは、みな、その前後関係で説明されるか、それとも、そこで表現された言葉が他の聖句によって定義づけられているかであることを知った。そして、このように説明された時、それは文字どおりに理解すべきであった。「こうしてわたしは、聖書が、啓示された真理の体系であって、道を行く者が、たとえ愚かであっても、迷う必要がないほど、明らかに単純に与えられているのに満足した」と彼は言っている。預言の大筋を一歩一歩たどっていった時に、真理の鎖が一つずつ明らかにされて、彼の努力は報いられた。天使が彼の心を導き、聖書を彼に理解させた。 GCJap 368.1
過去において成就した預言を規準にして、将来に関する預言を判断するならば、キリストの霊的支配─―すなわち、世界の終末に先立つこの世の千年期―─という一般の見解は、神のみ言葉の支持を得ていないことを知って、彼は納得がいった。主がみずから再臨されるに先立って義と平和の千年期があるというこの教義は、神の日の恐怖をはるか先へと延期するものであった。しかし、どんなに耳ざわりの良いものであっても、それは、収穫すなわち世界の終末まで、麦と毒麦とはともに生長するというキリストと使徒たちの教えに、相反するのである。 GCJap 368.2
「悪人と詐欺師とは、……悪から悪へと落ちていく」「終わりの時には、苦難の時代が来る」。そして、暗黒の王国は主の再臨まで継続し、主の口の息によって焼きつくされ、来臨の輝きによって滅ぼされる(マタイ13章30、38~41節、テモテ第二・3章13、1節、テサロニケ第二・2章8節)。 GCJap 368.3
全世界が改心し、キリストの霊的支配が来るという教義は、使徒時代の教会が支持したものではなかった。それは、一八世紀の初期になって初めて、一般キリスト教会が受け入れたものであった。他のすべての誤りと同様に、その結果は有害なものであった。それは人々に、主の再臨をはるか遠い将来のことに思わせ、主が近づいておられることを告げるしるしに人々が注意することを妨げた。それは、根拠のない自信と安心感を与え、主に会うために必要な準備を怠らせたのである。 GCJap 369.1