ミラーは、キリストご自身が文字どおりに来られることが、聖書に明らかに教えられていることを発見した。パウロは、次のように言っている。「主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる」(テサロニケ第一・4章16節)。「そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう」「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう」と救い主は言われた(マタイ24章30、27節)。彼には、天の全軍が従ってくるのである。 GCJap 369.2
「人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来る」(マタイ25章31節)。「また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、……四方からその選民を呼び集めるであろう」(マタイ24章31節)。 GCJap 370.1
キリストの再臨の時に、死んだ義人はよみがえらされ、生きている義人は変えられる。パウロは次のように言っている。「わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである」(コリント第一・15章51~53節)。また彼は、テサロニケ人への手紙の中で、主の再臨を描写したあとで次のように言っている。「その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう」(テサロニケ第一・4章16、17節)。 GCJap 370.2
キリストがご自身で来られるまでは、神の民はみ国を受けることができないのである。救い主は言われた。「人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい』」(マタイ25章31~34節)。今ここに引用した聖句によって、人の子が来る時に、死者はよみがえらせられて朽ちないものとなり、生きている者は変えられるということをわれわれは知った。この大変化によって、彼らはみ国を受ける準備ができるのである。パウロは次のように言っている。「肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない」(コリント第一・15章50節)。人間の現在の状態は、死ぬべきものであり、朽ちるものである。しかし、神の国は、朽ちず、永遠に続くものである。それゆえに人間は、現在の状態のままでは、神のみ国に入ることはできない。 GCJap 370.3
しかし、イエスが来られる時に、彼はご自分の民に不死をお与えになる。そして、これまではただ相続人でしかなかった彼らに、み国を継ぐようにと言われるのである。 GCJap 371.1